COLUMN

「健康は最高の投資」40年のキャリアが語る、経営者の体と姿勢の真実|青山一丁目カイロプラクティック・山口博院長インタビュー【Part2】

  • INTERVIEW
2026.05.29

全3回にわたるインタビュー Part2では、経営者の孤独と精神的ストレスが体に与える深刻な影響をテーマに掘り下げます。施術前に患者の「歩き方」「表情」「声質」を観察するプロの視点と、投資家として起業家を評価する際の「人物のOS」チェックの共通点が明かされます。カイロプラクティック院長が語る「姿勢と表情は相互に影響し合う」という身体の真実、そして山口先生がカイロプラクティックの道へ進んだ原点のエピソードもお届けします。(このインタビューは2026年4月に実施しました。)

Part1はこちらからご覧ください。

■ スタートアップ経営者の体は「OS」— 姿勢は生産性を最大化するための投資

-杉原-
IT業界やテック業界に勤める若い起業家にとっても、この話は非常に重要だと思います。起業家も物心ついた頃からスマホが当たり前の世代が多くなっているので、彼らにもわかりやすく「姿勢が悪いと何が起きるか」を説明していただけますか。

-山口-
先ほど申しましたように、姿勢を正すということは単なる健康法ではなく、今行っている事業を成功させるための投資、生産性を最大化するための投資と考えていただきたいです。経営者やスタートアップのみなさんなどにとって、体というのは「OS」です。

どんなに優れたアプリ(スキルや戦略)があっても、OSがちゃんと動かなければ意味がありませんよね。そのOSが、まさに経営者ご自身の体なんです。

-杉原-
OSがバグっていたら、いいアプリがあっても、頭の中にある構造を具現化できないですよね。

-山口-
まさにそうです。健康と姿勢はもちろん姿勢だけではありませんが、姿勢も深く関係しています。そういうことをぜひお伝えしたいと思っています。

■ ストレスは体を固くする — 精神的疲労のメカニズム

-杉原-
当ディ・ポップスグループのグループ会社は25社、また出資をしている会社は30社ほどあります。みんな経営者で、様々なフィールドで社会課題の解決に向けて頑張っています。

ただ、資金繰り問題や人事問題など、経営者になると様々なプレッシャーがあり、それを人に言えない立場の方も多いんですよね。経営者の孤独というか、誰にも話せない悩みを抱えながら頑張っています。そういう状態は、やはり体に不調をきたしやすいものなのでしょうか。

-山口-
何かを支えたり持ったりする肉体的な疲労というものがありますよね。そして、もう1つは気を使うこと、問題を解決しなければならないプレッシャー、人の間に挟まれて困ることなど、そういったメンタル的・精神的な疲労も筋肉を固くさせます。

むしろ、運動性の疲労は体を動かせばある程度解消できますが、精神的な疲労の方が体への影響が大きいことも多いんです。

昔の言葉に「借金で首が回らない」という表現がありますよね。思い悩むことが続いたり、辛いことが重なったりすると、首が硬くなって眠れなくなったり、頭痛がしたりする。昔の人はこういった身体症状を的確に言語化していたんです。「借金で首が回らない」は、ストレスによる典型的な身体症状なんですね。

この言葉が生まれた頃は「ストレス」という言葉自体がまだなかった。今の言葉で言えば、まさに「ストレスで首が回らなくなる」ということです。

以前、外資系企業の社長さんで日本語があまりわからない方が来られたことがあります。その方の頭痛や首の痛みはストレスから来ていると思いましたので、英語で「How do you like your new boss?(新しい上司はどうですか?)」と聞いた後に、英語の表現「He's a pain in the neck(あいつが首を痛めている、つまり"あいつには頭が痛い")」の話をしたんです。日本語でも英語でも、ストレスは首を痛める。これは普遍的な事実なんですね。

■ 脳神経が首・肩を直撃する — ストレスの身体メカニズム

-杉原-
抱え込み続けると体に来るんですね。

-山口-
一番気を使う人や、全く気が合わない人と1日仕事をすると、座っていなくても夕方になると首が硬くなって頭痛がすることがよくありますよね。それは肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労から来るものです。

なぜかというと、肩より下の多くの動きは「脊髄」という感情のない部位から出る神経の影響が多く、感情がない部位から出ているので、どれほど気を遣っても足が動かなくなる、手が動かなくなるということは起きません。ところが、首から上(特に頭や首、肩)は「脳神経」という、感情を処理する脳から直接出る神経が関係しています。脳のストレス状態、気疲れやイライラ、心配が脳神経を通じて、首や肩の筋肉を一気に緊張させてしまうんです。

脳神経は12対ありますが、その中でも11番目の「副神経」が、肩や首を動かす「胸鎖乳突筋」などの筋肉に影響します。この神経がストレスの影響を受けると、首が回らなくなったり、肩がガチガチに固まったりします。

また、神経は左右のどちらか一方に出る特性があります。右利きなのに左の肩や首だけが特にきつい、という場合は、スマホの持ち方などの習慣的な問題だけでなく、神経から来ている可能性もあるんです。

■ 蒸気機関車好きの青年が、カイロプラクティックの道へ

-杉原-
さすがプロの先生ですね(笑)。
ところで、先生は学生時代からこの道を目指されていたんですか?

-山口-
いえ、全然そんなことはないんです(笑)。学生時代は蒸気機関車が大好きで、日本中を北海道から九州まで写真を撮りに歩き回っていました。いわゆる「撮り鉄」ですね。
ただ、とにかくお金がないものですから、夜中の12時に出発して深夜3時頃に乗り換え、朝6時頃着くような、ハードなスケジュールで移動していました。家に帰ってくると体がかなりきつかったんです。実家が新宿にあったので、紀伊國屋書店に行って、立ち読みしながらストレッチの本を参考にしていたんです。

大学を卒業してからも、紀伊國屋書店に通う習慣が続いていたのですが、ある日、整形外科のコーナーに「背骨の歪みがこんな病気を引き起こす」というタイトルのカイロプラクティックの先生が書いた本があったんです。なぜそこにあったのかはわかりませんが、手に取ったのが、この世界に入るきっかけになりました。

その本の内容が非常に面白かった。それまで私は、痛みというのは無理をしたり、どこかにぶつけたりすることで生じるものだと思っていました。ところがその本には、悪い姿勢だけでも体のさまざまな部分に不調が出ると書かれていた。これは面白いと思って、すぐに問い合わせの電話をしたら、「カイロプラティックを教えてくれるところがある」と教えていただきました。

■ 会社を辞め、深夜アルバイトをしながら朝まで勉強した日々

-山口-
数カ月悩みましたが、思い切って会社を辞め、アルバイトをしながら勉強することにしました。当時は赤坂プリンスホテルの「ポトマック」という喫茶店で働いていて、夕方4時頃から深夜12時半頃まで仕事をして、送迎で早稲田まで帰る。そして夜が明けるまでずっと勉強する生活でした。

ところが、その勉強が全く苦にならなかったんです。アルバイトで交感神経が緊張した状態が続いていたせいか、深夜でもものすごく集中できた。大学受験の時のように、頭がフル回転していました。解剖学の本を見ながら、夜明けまで没頭して勉強し、外が明るくなって人が歩き始める気配がすると眠り、午後に起きてアルバイトへ行く日々でした。

後から考えると、父親が戦時中に衛生兵として負傷した兵士の治療に携わっていたことも、何かのDNAとして自分の中にあるのかなと思うことがあります。父は軍医ではありませんでしたが、衛生兵として多くの方の治療をしていました。私も医師ではありませんが、多くの方々の健康に携わるこの仕事を続けているのは、そういうつながりを感じるからかもしれません。

-杉原-
独立は何年前のことですか?

-山口-
最初の独立は40年くらい前ですね。
若かったので、自宅の住所をカイロ研究所として、四季報に掲載されている会社数十社に案内を送りました。お酒を飲みながら「どのくらい返事が来るかな」と待っていましたが、もちろん来るはずがないですよね(笑)。当時はパソコンがなかったのでワープロで作ったテキストだけの文書で、図版もなく、紹介者もいない。「御社の社員の方々の健康のために、ぜひ役立ちたいです」というだけの手紙でした。

ただ、この話を大学の恩師や友人にしたところ、3名の方が会社と交渉してくださって、「週に1回、または月に2回なら医務室や社員休憩所を使っていいですよ」という許可を正式にいただきました。勝手に行くのではなく、きちんと会社を通して活動することができました。

その後、渋谷の著名な先生から声をかけていただき、日本でもトップクラスのカイロプラクティック院に入ることになりました。そこには総理大臣経験者が3名、プロスポーツ選手、大手商事会社・大手不動産会社・航空業界の役員の方々、著名な芸能人など、各界の著名人が多数来院されていました。

-杉原-
それは修行時代と言っていいんですか?(笑)

-山口-
そうですね、独立する前の修行時代でした。

そこで、自分にまったく注意を払ってくれない患者さんもいらっしゃいました。ところが院長が来ると、本当に嬉しそうにニコニコとお話しになる。それを見て「よし、頑張るぞ」と闘志が燃えましたね。自分の体を守ってくれる先生の前に来た若造に、わざわざ話しかけてくれなくても当然です。でも、いつか自分もそうなろうと強く思いました。

■ 歩き方・表情・声質から読み解くプロの観察眼

-杉原-
やはり施術する上で、会話は大事なんでしょうか。

-山口-
絶対に必要です。入ってきたときの歩き方、話したときの反応、普段と比べた変化など、施術だけでなく、こうした観察全体が治療の一部です。

うつ状態に近い方は、入ってきたときにもう背中が丸まってうつむいているんですね。「こんにちは」と声をかけたときの反応でも、この方は何かあるなとわかります。歩き方、座り姿、表情、声質、そういったものを総合的に踏まえて施術に向かっています。

-杉原-
すごく共感します。ビジネス開発の仕事をしていた時代も、投資家として起業家と面談する時も同じで、事業モデルはどうか、事業領域はどうか、技術的にどう解決したか、といった質問はもちろんしますが、実はそれよりも、部屋に入ってきた時の表情、質問に答える時の自信の溢れ方、面談者にとって「当たり」の質問をされた時の目の輝きなどをを見ています。まずOSとしての人物をしっかり見ようと思って。人物チェックという意味で同じですね。

-山口-
背中が丸まった人の印象について、以前早稲田の学生にアンケートを取ったことがあります。「自信がなさそう」「弱々しい」「人生うまくいっていなさそう」といった回答が多く集まりました。また、猫背は老けて見える一因でもあります。

反対に、背筋が伸びていると若々しく見えるだけでなく、表情筋が上がり、脳の血流も改善します。逆に姿勢が崩れると脳の血流が悪くなって不活性化してしまいます。姿勢を正すことは、まさに内面と外面の両方に影響を与える「投資」なんです。

-杉原-
確かに猫背だと自信がなさそうに見えますよね。あと、面談した時に表情を見ます。どうしても悪い予感がする人がいて、気がマイナスだなとか。どれだけ言葉で語られても、深く付き合うのはどうかなと思ってしまう。

あるいは同じ人でも久しぶりに会った時に「元気ですよ」と言う時の姿勢や目力と表情を見て、なんか調子が悪いな、もう少し深く何かあれば相談してねというように、寄り添い方を変えたりもしますね。

-山口-
表情は体に影響しますし、また体も表情に影響する。これは双方向なんです。たとえば、胃が荒れると背中にも症状が出ることがあります。胃の内部を直接触ることは私たちにはできませんが、背中を緩めることで胃の状態を間接的に改善できることもある。うつ状態も同じで、背中を緩めることで気持ちが少し楽になることもある。体と心はしっかりつながっているんです。

~Part3へ続く~

☆インタビューアー
D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太

【青山一丁目カイロプラクティック】
院 長:山口博
所在地:東京都港区南青山2-2-15 ウィン青山740
公式サイト:https://aoyama1.jp/

次回・Part3では、
・青山一丁目への移転と、テレビ出演につながった「利他の精神」
・本田宗一郎氏が語った「経営者が健康でなければならない本質的な理由」
・ベンチャーエコシステムとの共通点
などについてお伺いしています。Part3もぜひご覧ください!

 

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—近藤— 完全に後者です。ある程度美味しいものができた段階でスタートして、僕はお客様の反応を見ながら味を寄せていくタイプなので、現場の顔を見ながら「こちらの方が良かったかもしれない」というのを選び取っていく形です。何回リメイクしたか数えきれないほどで、100や500では全然きかないくらいリメイクを重ねています。 お塩の量を考えるとわかりやすいのですが、実は塩の種類を変えただけでも、同じグラム数なのにミネラル分の違いでまろやかさが変わったりします。そういう繊細な違いを、日本人のお客様は特に感じやすいので、さらに美味しくなるように日々試行錯誤を重ねています。 —杉原— それはお客様に直接聞くというより、表情を見て判断するのですか? —近藤— もちろん直接聞くこともありますし、食べてくださっている様子を見ることもあります。結果として、そのラーメンが美味しいから偉いのではなく、お客様に求められているから価値がある。求められる数が増えれば増えるほど、需要が大きくなっていくというのが基本だと思っています。 —杉原— これは特にベンチャーステージの企業とすごく重なる話です。走りながらプロダクトを提供して、フィードバックを得て、また改善するということの繰り返しで、軌道に乗るまで、狙ったお客様に深く浸透するまでの間、何度もトライアンドエラーを重ねるという話がありますが、ラーメン店もまさにそうなんですね。 —近藤— ラーメン店に限らず、あらゆるビジネスに共通することだと僕は思っています。美容師であっても、アプリを作る会社であっても、ラーメン屋であっても本質的には一緒で、基本的には需要が発生する形にどう持っていけるかが重要だと思います。 実際、面白いデータがあって、有名レストラン出身のシェフが独立した場合、味は間違いなく美味しいので、成功率で言うと9割くらいありそうですが、実際には4割ほどが数年で失敗してしまうというものがあります。それだけ味以外のビジネスの部分に目を向けていないと、味だけが完成していてもうまくいかないという、わかりやすい事例だと思います。求められているものを置いておきつつ、それ以外の部分は環境に合わせてどんどん変えていく方が、結果的に生き残っていく。自分のやりたいことを押し通すスタイルはやはり長続きしないのだと思います。 もちろん、語れるだけの知識や技術の裏付けは必要ですが、メインはあくまでお客様が求めるものを作っていく、自分のお客様ならこれを食べたいだろうというものを作っていく、というのがベースにあります。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【麦と麺助】 オーナー:近藤佑介 所在地:大阪府大阪市北区豊崎3-4-12 開業:2018年5月19日(2016年4月、姉妹店「燃えよ麺助」を大阪・福島にオープン) 姉妹店:燃えよ麺助(大阪・福島)、なにわ麺次郎各店舗(大阪・難波&梅田) Part2では、 ・一流の料理人から学ぶという姿勢 ・行列店ならではの経営とコストのリアル ・多店舗経営とブランドの育て方 ・麻布台ヒルズのポップアップストアと希少な高坂鶏との出会い などについて伺っています。Part2もお楽しみに!
  • INTERVIEW
2026.09.10
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part2】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの最終回となるPart2では、赤松社長のバンドマン時代の経験や起業のきっかけ、組織づくりへのこだわり、大病をきっかけに立ち上げたエンタメ事業、そしてディ・ポップスグループへのM&Aの経緯やベンチャーエコシステムへの共感、5年後のビジョン、読者へのメッセージについてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 「バンドマン時代」の経験が経営に活きている —杉原— 事業の話から少し離れて、社長のキャラクターを深掘りさせていただきたいと思います。元はバンドマンだったという話を聞いたことがあるんですが、本当ですか? —赤松— はい、本当です。若い頃はベースを弾いていて、会社経営とは全く違う世界にいたんですが、バンドも一人だけ上手ではチームとしてまとまらないので、結構会社経営と似ている部分もあるのかなと思います。 それぞれ個性もありますし、能力もあります。でも、一つのステージを作るという意味では、会社経営も一緒なのかなと。 —杉原— チームワークやバランス感覚を、音楽の分野で長く経験されていたんですね。その頃のバンドマンとしての経験は、社長業に役立っていますか? —赤松— そうですね、わからないですけどね。ライブでお客さんの反応を見ながら、相手が何を求めているかを感じ取る、という感覚は活きているかもしれません。 —杉原— 確かに。大手企業と取引をするには、空気を読めないと無理ですものね。 ◆ 「納得できる会社をつくる」――opzt創業の原点 —杉原— 最初に少し触れていただきましたが、改めてお聞かせください。opztを起業したきっかけと、創業から13年間を振り返った今のご感想をお聞かせください。 —赤松— 元々の起業のきっかけは、大きな会社、大企業を作りたいという計画があったというよりは、自分自身の責任で事業をやって、自分たちが本当に納得できる会社を作りたいという、割と志が低めの起業ではあるんです。壮大なビジョンはありませんでした。 本当に20年ぐらい前の人材業界は、超がつくブラック企業が多く、その中で働きながら、もっと働く人を大切にしたらいいのではないか、お客様にももっとクイックに柔軟に対応できる会社ができるのではないかと、ふつふつと感じる部分があったので、2013年に創業したというのが元々の経緯になります。 この13年を振り返ると、本当に会社の売上や規模以上に、人とのご縁でなんとかここまで来られたという感覚が大きいですね。 —杉原— 壮大な大企業を作るというより、具体的な計画がないまま起業してうまくいかない社長もいる中で、本当に理想の職場をみんなに提供したいという思いと経験から始まっているというのは、素晴らしいですね。 私自身、以前勤めていたシステム会社にエンジニアになるつもりで入ったのに、結局昔は派遣業だったんです。自分の上司なんて半年に1回ぐらいしか顔を出してくれなくて、派遣先の工場でずっと仕事をしていたんですが、あの頃は単価としてしか見られていなかったんです。現場ではすごく評価されていても、給料には全然反映されない。そんな時代でしたよね。結局、3年で辞めてしまいました。(笑) —赤松— 本当にそうです。僕らも、派遣スタッフに有給を取らせるなとか、人が足りなければ道端で声をかけてこいとか、そういう時代でした。 数字だけで見られて、もっと残業させろとか言われて。無茶苦茶な時代でしたね、本当に。 —杉原— それに関連するんですが、創業時、創業間もない頃から社員になっている方が長く続けられている印象があります。組織作りや会社運営の面で、人に関してこだわりや心がけていることがあればお聞きしたいです。 —赤松— 本当に、単純に感謝しかないというか、長く働いてくれる社員が多いので、本当にありがたいなと思っています。 大切にしているのは、社員を単なる役職や数字だけで見ないということです。人それぞれ得意なこと不得意なことがありますし、営業が得意な人もいれば、管理が得意な人もいます。同じ型にはめるのではなく、それぞれが活躍できる役割を作ることを意識しています。 また、創業メンバーだけで意思決定するのではなく、新しく入った人にもきちんと機会を与えて、次の経営人材や責任者を育てていきたいという思いがあります。そういった昔ながらの良さを残しつつ、属人的ではなく、仕組みで動く組織に変えていくということを意識してやっています。 ◆ 拠点を管理せず、経営者を育てる――複数拠点のマネジメント哲学 —杉原— 私自身、渋谷ヒカリエに拠点を置く東京のopztチームの皆さんとよくお会いします。東京のopztチームの皆さんは、社長がいらっしゃらなくても本当に真面目に、和気あいあいと、真剣さもありながら冗談を言い合いながら明るく雰囲気よく仕事を回されているんですよね。先ほどお話にあった名古屋、四国、九州と点在しているオフィスの中で、スタッフや社員の方々がどうしてそんなに自主自立してしっかりと仕事をされているんでしょうか? —赤松— そうですね、各拠点を細かく管理しすぎないというのが、実はキーになっています。地域によってお客様や採用のマーケットもまったく違うので、本社の成功パターンをそのまま押し付けてもうまくいかないというのが過去にありました。 東京のチームが自走できているのも、現地のメンバーが自分で考えて意思決定し、結果にコミットしてくれているというのが大きいと思っています。拠点を管理するというよりは、拠点の経営者を育てる感覚に近いですね。 —杉原— 凄いですね。みんな本当に自分が経営者だという雰囲気で、東京の成績を上げるんだと動いているんですね。 ◆ 大病が教えてくれたこと――エンタメ事業「SELEBRO」誕生の背景 —杉原— 話は変わりまして、赤松社長はopztとは別にエンタメ系の事業をされているとのこと。こちらはopztの後に立ち上げられたんですよね、「SELEBRO」という会社ですね? —赤松— そうですね。今、「SELEBRO」という会社で、ライブハウスやナイトクラブ、アーティストのマネジメント、音楽フェスなどのイベントの企画を行っています。 ビジネスモデルとしては、本当にがっつりエンタメとテクノロジーを合わせたような、エンタメテックのような事業もやっています。opztとは別で、本社も大阪でここではないんですが、元々私自身が音楽やエンタメが好きだったというのもありますし、きっかけとしては、僕自身が脳動脈解離という病気になって入院したことが大きいです。 2018年の12月にディ・ポップスグループにジョインをして、その半年ほど後、2019年の6月か7月頃です。本当に突然のことで、病院に行ったらすぐに入院してくださいと言われて。本当に深刻な状況で、もう明日死ぬかもしれない状態で1ヶ月過ごしました。 そこで人生観が180度変わったというのが大きいです。それまでは自分自身の未来はまだまだあって、根拠もなく80歳、90歳ぐらいまで生きて死ぬんだろうと勝手に思っていたんですが、それがひっくり返って。音楽もいつか将来、長い人生のどこかのタイミングでチャレンジできたらいいなと漠然と考えていたんですが、病気を経験してから、いつかではなく、いつ来るかわからないので、人生の最後にあれをやっておけばよかったという後悔だけはしたくないと思うようになりました。 そういう心持ちでいると、昔の音楽の縁や、すごくいい場所ができたりと、引き寄せのようにどんどんそういう巡り合わせがあって、これはもうやるしかないなと思いました。代表の後藤さんにもちゃんと話をして、「こういうことをやりたいんです」と伝えました。ただし、「opztもちゃんとやるならいいよ。」ということで、中途半端にはやってほしくないという話をいただきました。 ちなみに病気は治りました。結局、手術には至らず、その後は回復して、今は健康に過ごせています。 今は第二の人生を生きている感覚があります。やりたいことを「いつか」に先送りしないようになりました。 いつ死ぬかわからないので。 ◆ 会社の個性を尊重してくれた――D-POPS GROUPを選んだ理由 —杉原— 病気のことまでお話いただいてありがとうございます。大変なご経験をされたんですね。2018年にM&AでD-POPS GROUPにジョインしていただきましたが、その経緯や、いくつもオファーがあったと思う中で、ディ・ポップスグループを選んでいただいた理由をお聞かせいただけますか? —赤松— 当時、会社は5年目ぐらいで、10億円にいくかいかないかぐらいの規模感だったんですが、一定の規模まで成長していく中で、次のフェーズに進むためには自分たちだけでは持てない経営資源や知見が必要だと思うようになったのが、最初のスタートでした。 順調に成長していたので、いろいろな企業からお話をいただいたんですが、単純に会社を買収するという考え方ではなく、経営者である私自身や会社の個性をしっかり残しながら一緒に成長していくという、D-POPS GROUPの考え方と、後藤さんの人柄に魅力を感じたというのが理由です。 M&Aをした仲間も多いんですが、結局グループ入りした後に経営方針が変わったり、創業経営者が経営から離れるケースも多々見てきたので、そういう意味でも、ディ・ポップスグループは引き続き私自身が経営をさせていただいていますし、opztの文化や強みを尊重しながら成長させてくれています。優しく見守ってくれているというのがすごくいいなと思っています。 本当に、条件面などではなく、誰と一緒に経営するか、グループ入りした後に社員が前向きに働けるかというところを重視して選んだという感じです。 —杉原— その時の期待通り、10億円ぐらいの規模だった会社は、この6年間で大きくなりましたよね。経営体制が変わらないまま、後藤社長やディ・ポップスグループの経営会議などからの学びは結構ありますか? —赤松— そうですね。本当にいろんな面で日々勉強させていただいていますし、今もメンターシップもいただいていて、日々勉強させてもらっている感じです。 ◆ 「グループから次々と経営者が生まれる」ベンチャーエコシステムへの共感 —杉原— 素晴らしいです。では最後に、「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしているディ・ポップスグループですが、この目標に共感する部分や、エコシステム作りを意識した活動などがあればご紹介ください。 —赤松— たくさんあるんですが、特に共感するのは、一社だけが成功するのではなく、グループ内から次々に経営者や新規事業が生まれていくという考え方です。 僕自身も創業経営者として、会社を大きくすることだけが目的ではなく、社員の中から次の事業責任者や経営者が生まれ、その人がまた新しい会社や事業を作っていく、そういう循環する環境を作りたいと思っています。 opztでも、各拠点に権限と裁量を与えて、小さな会社を経営する感覚で拠点運営をやってもらっています。その事業で生まれた人材や資金、信用を次の事業に循環させていくというところが、ベンチャーエコシステムにつながるのではないかと考えていて、そこにすごく共感しています。 —杉原— opztさん自身の中でも、エコシステムができているようなイメージですね。 —赤松— そうですね。規模はまだ小さいですが、通ずる部分があると思っています。 ◆ 5年後、人とテクノロジーで企業の成長を支える会社へ —杉原— 5年後のopztはどのような姿、あるいは具体的な目標があれば教えてください。 —赤松— 5年後は、先ほども出た通り、単純に人材を派遣するだけの会社ではなく、人とテクノロジーを組み合わせて企業の成長を支援していくような会社になりたいと思っています。引き続き派遣事業は大きな基盤でもあるので、しっかりここはやりつつ、AIやデータ、データセンター領域の比率をより高めていきながら、専門性と収益性の高い事業構造に変えていきたいと思っています。あとは、社員やスタッフがきちんと成長して、お客様から長く必要とされること、適正な利益を出しながら新しい事業に投資できるくらいの会社にしていきたいと思っています。 ◆ 読者へのメッセージ —杉原— では最後に、読者の方に一言、何でも結構ですのでお願いします。 —赤松— opzt自体はまだまだ未成熟な会社ですし、これからAIをはじめテクノロジーもすごいスピードで変化していくと思いますが、当社としても過去の成功にとらわれず、新しいことにチャレンジしたいと考えています。仕事を探している方がもしこの記事を見てくださる機会があれば、今の経験だけで自分の可能性を決めてほしくないなと思っています。今経験がなくても、学んで挑戦することで新しいキャリアを作ることができますし、企業の方が見てくださっている場合は、人材の紹介だけでなく、組織作りや業務の改善、新しい事業の挑戦についても一緒に考えられるパートナーでありたいと思っていますので、少しでも興味を持っていただけたら、お気軽にお声がけください。 —杉原— 素晴らしいです。ありがとうございました! ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part1はこちらからご覧ください!
  • INTERVIEW
  • グループ企業
2026.09.03
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part1】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの第1回となるPart1では、opzt株式会社の事業内容や大手企業との信頼関係の築き方、テクノロジー領域への展開、人材育成、そして生成AI時代への向き合い方についてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 人材とテクノロジーを軸に、5拠点で全国展開する事業を紹介 —杉原— D-POPS GROUPでは、現在26社のグループ会社が仲間となっています。 今回は、2018年にグループ入りしたopzt株式会社の代表取締役 赤松 文則さんへ、インタビューさせていただきます!宜しくお願い致します。 まず初めに、ホームページにも掲載されていますが、改めて赤松社長ご自身の言葉で、事業内容の概要をご紹介いただけますか? —赤松— 事業としては、人材派遣・人材紹介、アウトソーシングを含めたHR事業と、ITのテクノロジー領域を扱うTech事業を中心に展開している会社です。創業当初からやっているのは、通信業界を中心とした事務系やコールセンター、営業支援・販売支援の人材サービス事業です。現在は大阪、東京、名古屋、四国、福岡の5拠点で展開しており、全国で多くのメンバーが働いてくれています。直近では、従来型の人材サービスだけでなくITのテクノロジー領域にも力を入れておりまして、その中でもAI、データサイエンティスト、インフラエンジニアといった専門性の高い人材サービスを展開しています。 今はSES(システムエンジニアリングサービス)や業務委託・受託という形が中心ですが、将来的には自社開発したものを販売していく、自社でも開発をやっていきたいという思いはあります。 —杉原— ちなみに社名の由来を教えてください。 —赤松— お客様に選んでいただく会社になりたいというのが元々の由来です。「チョイス」は複数の中から選ぶイメージがありますが、「オプト」は特定の一つだけを選ぶという意味合いがあるので、そういう会社になりたいという思いを込めました。すでに「オプト」という有名な会社があったので、同じ表記は避けたいと思い、アルファベットの最後の文字である「z」を入れて「これ以上ない、いい会社」という意味を込めた造語にしました。 —杉原— 英語から着想を得て、造語で完成させたということですね。派遣している人材の規模は、社員として何名くらいになるんですか? —赤松— 社員といわゆる登録派遣の方を合わせて、今550名ぐらいです。 ◆ NTTとの絆を築いた、創業2年目からの信頼の積み重ね —杉原— とても大きな人材の母数をお持ちですが、その方々を派遣する先の開拓についてお聞きしたいです。事前にお聞きしていますが、NTT関連の取引先がとても多いと聞いています。そんな大企業と取引できるようになったのはどんな背景があったんでしょうか? —赤松— 元々は僕自身がサラリーマンとして働いていた時に、NTTグループさんを担当していたというのが大きいです。当時は本当に若造だったんですが、その時からいろいろな重鎮の方々に可愛がっていただいて、仕事上のお付き合いだけでなく、人としての信頼関係を築くことができました。その後、僕自身が独立するタイミングで、当時お世話になっていたNTTの幹部の方が「赤松が独立するなら応援したい 」と言ってくださって、顧問という形で力を貸してくださることになりました。 それがきっかけというわけではないんですが、独立のタイミングで前職のメンバーや、NTTで実力のある方々が色々とジョインしてくださったのがきっかけになります。 そういう方々の長年の信頼とネットワーク、人脈も含めて、NTTさんをはじめとする大手企業とのつながりが非常に多い方が多かったので、そこをきっかけに取引ができたというのが最初のスタートになります。 そして、本当に奇跡的に、創業2年目という非常に早い段階で、NTTさんと契約することができました。 NTTさんとしても、当時は弊社が帝国データバンクの評価も定まっていない、まだ評価されるべき会社ではなかったので、かなり異例だとは思います。 —杉原— NTTさん以外にも大手企業が顧客として多くあると思うんですが、営業で悩んでいるスタートアップも多い中、赤松社長及び経営チームはどうやってここを開拓してこられたんですか? —赤松— 本当にありがたいことに、2年目でNTTさんという大きな企業と取引できたことで、大きな会社と取引する難しさ(情報管理やコンプライアンス、人材の質など)を試行錯誤しながら学べたことが大きかったです。ある程度、NTTさんとの信頼関係ができたり、大手との付き合い方が組織としてできるようになったので、それを他の大きな企業にも横展開していくのが、比較的早く立ち上がったという感じがあります。 以前からそうですが、契約を取る営業というよりも、契約をいかに長く続けられるかという営業を大切にしています。今もNTTさんをはじめドコモさんなど、大手企業との取引が続いているのは、一つ一つの積み重ねでできたんじゃないかと思っています。 —杉原— 赤松社長が特に気をつけていること、大手企業と取引を継続するために、あるいは先輩たちから可愛がられる理由として、ご自身ではどう思われますか? —赤松— 本当に、小さな約束を守り続けた結果の積み重ねだと思っています。信頼関係というか、先ほどお伝えしたような人材の質、コンプライアンスや情報管理がきちんとしているか、現場で問題が起きた時に隠さず、すぐに報告し、会社としてどう改善するか、 大きな企業ほどそこを見ていらっしゃるので、一つ一つ、スピーディに対応しながら徹底する。社員もそれを徹底する、その積み重ねなのかなと思います。 僕たちも何もないところからのスタートで、最初の入口は人脈だったかもしれませんが、これだけ長くお取引が縁だけで続くとは思っていません。積み重ねなのかなと思っています。 ◆ 「単純業務から専門性の高い領域へ」――AI時代を見据えた事業の差別化 —杉原— 提供するサービスである事業についても、この13年の間にピボットされているという印象があります。特に最近、テック関連の派遣ビジネスを始められたと思うんですが、どのように差別化をされているんでしょうか? —赤松— 元々ピボットしようという意識ではなく、ずっと人材マーケットを見ていく中で、単純業務や定型業務はAIによる自動化になっていくというのが一つのきっかけとしてありました。一方で、AIやデータの領域、データサイエンティストなど、そういうAIを活用できる人材の需要が高まってきたというのも一つのマーケットの動きとしてありました。当社としても、今まで通りの人材サービスをやっていれば必ず淘汰されると思ったので、成長性の高い分野に力を入れないといけないと考えたのが、今から3、4年ぐらい前のことです。 ただ、従来型のSES企業と同じことをしても意味がないと思っていたので、私たちは特にAI・データ領域のエンジニアやデータサイエンティスト、さらにデータセンターを支えるインフラ領域の人材など 、これから企業の競争力に直結するところに絞って展開しています。 また、すでに高いスキルを持っている方だけを採用するのではなく、未経験でポテンシャルの高い人材を採用し、教育し、実務経験を積ませながら専門人材に育てるという取り組みも並行して行っています。人材派遣で培ってきたノウハウと、テクノロジー領域の専門性を組み合わせているところが、他社にはない差別化の部分だと思っています。 —杉原— 今お話に上がったデータセンター周りというのは、さすがだなと思いました。米国ではITエンジニアのリストラが増える一方で、電気工事士の需要が高まっている、公認会計士をやめて電気工事士や配管工になる人までいるというニュースを見て、単純に手に職ということなのかと思っていたんですが、それがデータセンター建設に関わる仕事だったんですね。人手がまったく足りないと聞きますし、半導体やサーバーで日本のメーカーも潤っていますが、最終的にそれを設置する人という需要もあるということですよね。 —赤松— おっしゃる通りです。特に大阪は、東京のバックアップとしてデータセンターがどんどん増えています。東京がこけても大阪でデータを守れるという位置づけで、今どんどん建設されています。24時間監視が必要だったり、辺鄙な場所にあったりして、通信キャリアさんも人手不足でずっと困っていらっしゃるので、ここはしっかり取り組みたいと考え、力を入れています。 僕自身もAIをいろいろ使っていますが、結局トラフィックがどんどん増えていっているのは事実ですので。 ◆ 「選ばれる会社」であるための採用戦略と教育プログラム —杉原— さて、そういったサービスを提供する顧客に対して、実際に派遣する人材の獲得についてお聞きしたいです。うちのグループの中でも採用にはなかなか苦労しているという話を聞きます。コストだけでなく、そもそも人が少ない中で、赤松社長としてはどう取り組んでいらっしゃいますか? —赤松— 当社も完璧にうまくいっているわけではないですが、一つの採用手法だけに依存しないということを大切にしています。求人媒体、人材紹介、リファラル、SNS、採用イベントなど、職種や地域に応じて複数の採用経路を使い分けているのが特徴です。 それ以上に重要視しているのは、応募者から選ばれる会社になることです。今の求職者は、給与や仕事内容だけでなく、入社後にどんな経験ができるか、どんなキャリアにつながるか、会社が自分をどう扱ってくれるかをよく見ていらっしゃいます。そのため当社としても、いいことだけを伝えるのではなく、仕事内容、職場環境、期待される役割をすべて正直に説明するようにしています。採用した人数よりも、入社した人が活躍して長く働いていただけることを重視して取り組んでいます。 —杉原— 素晴らしいです。opztさんに入社した時、必ずしも高いスキルを元々持っている人だけではなく採用して、教育プログラムがあるというお話でしたが、もう少し詳しく教えていただけますか?テクノロジーに縁のなかった人でも、その分野に派遣されるような人材になれるんでしょうか? —赤松— 基本的な教育として、ビジネスマナーや情報セキュリティ、コンプライアンスの基礎教育に加えて、それぞれの配属先に応じた研修を行っています。特にテックの領域では、オンラインで学んでいただくだけでなく、課題を作って発表してもらったり、資格取得を支援したり、先輩エンジニアによるフォローを組み合わせたりして、学んだ内容を実務で使える状態にすることを重視しています。 また、技術力だけでなく、コミュニケーション力や報連相、お客様の意図を理解する力も重要だと思っているので、そういったところも人によってプログラムを変えて実施しています。「またこの人にお仕事をお願いしたい」と言っていただけるような人材を育てるのが目標です。 ◆ 荒波か、追い風か――エージェンティックAI時代への対応 —杉原— さて、このような人材派遣業、特に最近注目されている技術者の派遣業にとって、気になるのが生成AI、特に最近ではエージェンティックAIですね。この波は荒波だと捉えていますか?それとも乗っかるチャンスだと捉えていますか?どのような対策や対処を行っているでしょうか? —赤松— 荒波であり、危機ではあると思っていますが、それ以上に大きなチャンスだと考えています。先ほどもお伝えした通り、定型業務や単純業務はどんどんAIに置き換わっていっていますし、実際に置き換わっている実感がすでにあります。 ただ、今までと同じような人材サービスを続けていれば、間違いなく淘汰されると思っています。一方で、データを活用できる人材や、AIを企業に導入できる人材、AIでは代替できないコミュニケーション力・対人能力を持つ人材の需要は、右肩上がりに増えている実感があります。そういう意味でも、opzt自体が変化してこの波に乗っていくことができれば、非常に大きな波に乗れるのではないかと考えています。 当社では、AIやデータサイエンティスト以外の事務職や管理、採用といった職種でも、AIを使える人材を育成しようとしています。AIに使われるのではなく、AIを使う側の教育をすることで、他にはない差別化ができればと思っています。 ◆ さらなる成長へ向けた3つの新しい取り組み —杉原— ありがとうございます。事業のさらなる成長のために、直近で具体的に新しく取り組んでいることはありますか? —赤松— 大きくは3つあります。1つ目は先ほども出た、AI・データ、そしてデータセンター周りのインフラ領域の事業をまず伸ばしていくことです。2つ目は、1人単位の派遣ではなく、チームでご支援していく、アウトソーシングでより付加価値の高い契約形態をどんどん増やしていくことです。3つ目は、既存の人材サービスの部分でも、AIを活用して採用や面談、スタッフフォローといった業務の生産性を高めていくことです。 —杉原— チーム丸ごと派遣するというニーズがあるんですか? —赤松— あるんですよ。今は、そもそもそのスキルを持っているエンジニアがもういないというか、金額も高くなっているので、経験者と、私たちが育成している若手人材をチームとして組成して支援する 形が増えています。育ったら次の若手をチームに加えることで、現場の中で育成が循環する仕組みを作っています。 —杉原— 経験を積めますし、若手の方はその先輩と一緒に、同じ仕事、同じ顧客の中で同じ分野の仕事をすることで経験を積んで、いずれリーダーになっていくということですね。 —赤松— はい。企業側もそういう人材を育てられないので、丸ごとお願いしたいというニーズがあります。 大変な部分も多いですが、当社としても未経験者を入れられるということで、最近はその手法で企業さんにご紹介しているパターンが多いです。 —杉原— 確かに、一人で送るよりも、その人個人のスキルや経験は積めますが、会社としてノウハウが溜まっているのかという疑問がありますよね。おそらく戻ってきて、その人が今度は先生として社内でトレーニングをする。でも、その時間ってなかなか売上にならないですからね。むしろ、先生役だけをやらせるのではなく、現場で学ぶ経験を先輩から、派遣先から募集をいただきながら、そこで学びも得ているということですね。 —赤松— そうですね。それでどんどん今、この手法を広げていっています。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part 2では、 ・バンドマン時代の経験と経営への活かし方 ・opzt創業のきっかけと十三年間の軌跡、組織づくり ・大病を経て立ち上げたエンタメ事業「SELEBRO」 ・D-POPS GROUPとのM&Aの経緯とベンチャーエコシステムへの共感 ・5年後のopztが目指す姿と読者へのメッセージ などについて伺っています。Part2もお楽しみに!  
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