COLUMN

「健康は最高の投資」40年のキャリアが語る、経営者の体と姿勢の真実|青山一丁目カイロプラクティック・山口博院長インタビュー【Part1】

  • INTERVIEW
2026.05.27

今回は、カイロプラクティック歴約40年のプロフェッショナル・山口博院長にインタビューいたしました。
まず初めに、山口先生の経歴を簡単にご紹介させていただきます。

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山口先生は、一冊の本との出会いを機に、それまでの仕事を辞め、夜間バイトをしながらカイロプラクティックの勉強をし、そして1987年(昭和62年)にカイロ院での勤務を始められました。そしてより自分の考えを出して治療をしたいという思いから独立し、現在も続く、「青山一丁目カイロプラクティック院」を開業され、これまでに延べ9万人を超える治療経験があります。また、日本姿勢教育協会理事として、放送大学で講座を担当されたり、各種メディアに登壇したりと、長年この分野での重鎮として貢献してこられました。
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今回は、ベンチャーエコシステム作りの参考として、企業経営者にとって、体は資本であるということを学ぶ、「プロフェッショナル」へのインタビューということで、山口先生にお時間をいただきました。
(このインタビューは2026年4月に実施しました。)

■ 「健康ブレーカー」とは何か — 突然、体が限界を迎える瞬間

-杉原-
事前に先生からいただいたレポートで印象的な言葉がありました。「一生懸命頑張っている方が、病気ではないのに突然体調を崩されてしまうことがあります。これは健康ブレーカーが落ちたような状態だと考えています。電気ブレーカーに例えてご説明しますと、容量ギリギリで電気を使っている時に電子レンジを使用してブレーカーが落ちた状況です」とのことでした。自分の身に起きたり、同僚に起きたりなど、意外と当てはまることがあるのではないかと思います。この言葉の意図について詳しく教えてください。

-山口-
一生懸命仕事をされていると、体が疲れていることは自覚できると思うんです。ただ、そのとき痛みがないとどうですか。「痛みがなければセーフ、大丈夫」だと思いますよね。

この「痛みがなければ大丈夫」という考え方でいると、健康ブレーカーは突然落ちやすくなります。なぜかというと、体はかなりの疲労状態にあっても、関節の動きが硬くなっていたり、筋肉に乳酸などの疲労物質が溜まっていても、アドレナリンなどの「頑張るホルモン」が分泌されてパフォーマンスを維持できるからです。また、脳には少しの異変信号が入ってきても、仕事に差し支えないよう情報を遮断する機能があります。そうでないと、私たちは仕事ができないんですね。

電気に例えると、通常の方が30アンペアの容量だとすると、アドレナリンが出ている経営者の方は60アンペア近くまで容量が上がっているイメージです。ですから、たくさんの電気を使っていてもブレーカーは落ちない。ところが、そのギリギリの状態で何か些細なきっかけがあった瞬間にブレーカーが落ちてしまうんです。ぜひ、そうなる前に対処していただきたいと思っています。

■ 体は「言葉」ではなく「張り・凝り」でサインを出している

-山口-
電気に例えると「使いすぎかな」と感じる段階が、体でいうと「張り」や「凝り」なんです。その段階でキャッチして、何か手を打ってほしいんですね。

体は言葉では話せません。だから、凝りや張りで「しんどいよ」と教えてくれているんです。たとえば「あと30分座り続けたら立った時に腰が痛くなる」とは言えない。でも、座っているうちに腰が重だるくなる。そういう形でサインを出しています。

危険なのは、その痛みを薬だけで抑えて無理をし続けることです。腰痛を薬で止めながらゴルフをし続けた結果、気がついたら激痛になり、病院に行ったら圧迫骨折だった、というケースも実際にあります。

これは、家の中でボヤが起きて火災報知器が鳴ったのに、うるさいからと止めて放置してしまうようなものです。そのまま放置すれば家が燃えてしまう。薬は決して否定しません、絶対に必要なものです。ただ、薬で痛みを抑えながら無理をし続けることは、体を壊す原因になります。

-杉原-
結構、経営者の皆さんやハードワークをしてきた方々には心当たりがあるんじゃないかと思います。病院に行っても「先生には伝わらないだろうな」という背中の鈍い痛みがずっと続いていて、でもストレスがなくなったら自然に消えてしまった。そういう経験をされた方も多いのではないでしょうか。ストレスが多かった時代の私の事ですが。(笑)

■ 来院者は会社員から大型客船の船長まで 多彩なリーダーたちの共通点

-杉原-
2つ目の質問ですが、青山一丁目カイロプラクティックにはどんな職業の方々が訪れているんでしょうか?

-山口-
一番多いのは会社員の方や主婦の方ですね。ただ、経営者の方やリーダーの方もたくさんいらっしゃいます。

たとえば、日本で最も大きな客船の船長さんもいらっしゃっています。大型客船の航路はあらかじめ決まっていますが、そのときどきの波や風の状況に応じて、少し手前を行くか大回りするかを判断し、乗客ができる限り安全で快適な船旅ができるように導くのが船長の役割です。

つまり、大勢の命を預かる最高責任者なんです。ですから、自分の体が健康でなければならない。そういう思いで来院されています。

-杉原-
確かに、企業に例えると、大型客船のクルーたちは従業員で、乗船しているお客様たちはサービスを受けるお客様ですよね。そしてキャプテンは社長やCEOにあたります。そのトップが健康でなければ、安全なサービスは提供できません。

-山口-
そうですね。企業もまったく同じです。また、世界的なテーマパークで責任者を務めていた女性の方も来院されています。テーマパーク、ショップ、ミュージック、映画といった部門の責任者を担われており、素晴らしい業績を残されています。ご自身もトレーニングを真剣に取り組まれながら、体のメンテナンスとして定期的に来てくださっているんです。

ある時、その方の友人のテレビ局の社長さんに「自分がこの仕事をちゃんとできているのは、カイロプラクティックで体を見てもらっているからだ」とおっしゃったと伺いました。私たちの仕事は、その方が「うまくいってよかった」と笑顔になる瞬間を支える黒子の仕事ですから、本当に嬉しかったですね。

また、今でも定期的に来院されているのが、アナログからデジタルへのテレビ移行を推進したテレビ局の重鎮の方です。アナログからデジタルへの切り替えには受像機をはじめすべての機器を変える必要があり、大手家電メーカーに「これからテレビ局はこういう仕様にするので対応した製品を作ってください」と交渉されていた。家電メーカー側も先行きが見えない中で大きな投資をして工場を作るのは容易ではない。その交渉がどれほど大変だったか、その方の部下の局長がうちに来られた際に「私にはとてもあんな交渉はできません」とおっしゃっていたほどです。

私たちが今、当たり前のようにデジタル放送を使えているのは、そうした方々の努力があったからです。その方が体が非常に辛かった時期に来てくださって、少しでも役に立てたことが本当に嬉しかったです。ベンチャーエコシステムの皆さんも、ぜひ体を大事にしてください。

ご来院される経営者の方々は、お忙しい中、ゴルフ、テニス、登山、楽器、他にもいろいろありますが、何かのスポーツや趣味をされている方が多いです。私が、運動や趣味で使用した道具、演奏された楽器など、使われた後はどうされますかとお尋ねしますと、ほとんどの方が、勿論、きれいにしてからしまいますよと仰られます。

自分の使った道具がきれいになるのは気持ちがいいですよね。その大切に扱う、思うというお気持ちを、わずかで結構ですのでご自身のお体にも向けていただけますかとお願いしています。道具は大切にしていても、ご自身のお体は無理をされたままの方が多いのです。 疲れた体をそのままにして次々と仕事をしたり、疲れたまま寝てしまうと、体の中に疲労がどんどん積み重なって症状に結びつく事があります。短時間で結構ですので、仕事の間や帰宅後、関節や筋肉をゆっくり動かされると、血流も改善する事ができて健康に役立ちます。

■ 定期的に来院する経営者に共通する「ひどい経験」と姿勢への認識

-杉原-
今、何人かの経営者の方の事例をあげていただきましたが、きっかけは体の不調だったとして、その後は定期的に来られるようになっているんでしょうか。どんな通い方をされているんですか?

-山口-
もちろんブレーカーが落ちてから来られる方もたくさんいらっしゃいますが、会社の経営者の方は、ブレーカーが落ちないように定期的に来院される方が多いです。

その理由は、そういった方々はどこかで一度、ひどい経験をされているからです。ブレーカーが落ちてから来ると、痛みはきつい、回復までの時間は長い、費用もかかる。だから定期的にケアをしていれば、症状が出ても軽く済む、あるいは出ないようにできる。それを経験的に知っているんですね。

ベテランの経営者ほど、定期的にチェック・修正することの重要性を理解されています。ただ、その理解に至る前には、たいていひどい経験をされているわけですが。

骨折のように疾患の場所が明確にわかるものはわかりやすい。でも、正しい姿勢の維持や体の調子を整え続けることの重要性については、なかなか認識されにくい部分があります。

よく「姿勢を正す」というと健康法の一種と捉えられがちですが、実は姿勢を正すということは「今やっていることを成功に導くための投資」と考えていただきたいんです。会社のトップがいて、役員がいて、社員がいて、家族がいて、取引先がいて、株主がいる。そのトップの体調は組織全体に影響します。だから、健康というのは「やりたいことを実現するための投資」なんです。

■ 悪い姿勢が体に与えるメカニズム 「動物」である私たちが動かないとどうなるか

-杉原-
役職や業界によって立ちっぱなしの仕事、座りっぱなしの仕事、様々ありますが、経営者の方は会議室で5時間会議、というのもよくある話ですよね。悪い姿勢が続くと体にどのような悪影響が出るのでしょうか。そのメカニズムを教えてください。

-山口-
まず基本的なことをお伝えすると、私たちは「動物」です。文字通り、動く物なんです。

座りっぱなしで関節を動かさない、筋肉を使わないでいると、血流が悪くなります。血液は酸素と栄養を運び、老廃物を取り除く役割を持っています。それが滞ってしまうとどうなるか。たとえば、朝から晩まで働いてもらうのに食事も出さない、トイレも使わせない、という状態を想像してください。誰でも倒れてしまいますよね。座りっぱなしで血流を悪くしてしまうと、それと同じことが体の中で起きているんです。

具体的には、足を組む姿勢、低い位置のモニターなど、こういったものが問題になります。私が一番申し上げたいのは、長い時間過ごす椅子の高さ、デスクの高さ、モニターの位置、キーボードの配置、これらが非常に重要だということです。5分10分ではなく、何時間も同じ姿勢でいるわけですから、そのセッティングがいかに体に影響するかは計り知れません。

-杉原-
意識はしているんですが、良い姿勢をなかなか長く続けられないんですよね。気づくと崩れてしまっていて。あと、現代のビジネスパーソンはスマホ1台で仕事ができてしまう部分もありますが、うつむいた姿勢はやはりよくないですか?

-山口-
スマホの操作で頭が15度、20度、30度と前に傾くと、肩にかかる負担は大きく増加します。スマホを操作する姿勢だと、体重の約3分の1が肩にかかるとも言われています。頭の重さは体重のおよそ10パーセント。仮に2リットルのペットボトルを2本として計算したとき、胸の前で持つのと腕を伸ばして持つのとでは、負担が全然違いますよね。5分も持てないほど疲れる。その疲れが肩に蓄積されることで、肩こりや集中力の低下につながるんです。

~Part2へ続く~

☆インタビューアー
D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太

【青山一丁目カイロプラクティック】
院 長:山口博
所在地:東京都港区南青山2-2-15 ウィン青山740
公式サイト:https://aoyama1.jp/

次回・Part2では、
・スタートアップ経営者の体は「OS」— 姿勢は生産性を最大化するための投資
・ストレスは体を固くする — 精神的疲労のメカニズム
・カイロプラティックの道へ進んだ理由
などについてお伺いしています。Part2もぜひご覧ください!

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  • INTERVIEW
2026.09.15
行列の絶えないラーメン職人が語る、繁盛店が育つ土壌のつくり方|ミシュランガイド7年連続選出「麦と麺助」近藤佑介氏インタビュー~Part1~
【このパートについて】 全3回にわたるインタビューの第1回となるPart1では、大阪・中津の行列店「麦と麺助」が7年連続でミシュランガイドのビブグルマンに選出された率直な感想、近藤佑介氏がラーメン店を始めるまでの遠回りの道のり、看板メニューであるホロホロ鳥のスープに込められたこだわり、そして味を完成させるまでに重ねてきた試行錯誤についてお聞きしました。(このインタビューは2026年7月に実施しました。) ◆ 7年連続「ビブグルマン」— 率直な喜びと海外からの支持の広がり —杉原— 本日は、2020年から2026年まで7年連続でミシュランガイドのビブグルマンに掲載されているラーメン店「麦と麺助」を経営されるオーナー、近藤佑介様にお話を伺います。 まず最初に伺いたいのですが、経営されている大阪・中津の行列の絶えないお店「麦と麺助」、この春、2026年版のミシュランガイドでもまたビブグルマンに選出されましたね。これで7年連続とのことで、おめでとうございます。率直な感想をいただけますか? —近藤— まずはほっとした、というのが正直なところです。ミシュランの評価というのは、来てくださっているお客様への評価のおまけのご褒美のようなものだと思っていて、応援してくださっている方、何時間も並んでくださる方に対して、良かったなという気持ちが1番大きいです。 —杉原— 「麦と麺助」は、行列がすごいですよね。 —近藤— ちょっとやりすぎだなと思うくらいです。シーズン的なものもかなりありますが、本当にありがたく、自分が想像していたところを超えて待っていただいている状況です。 —杉原— 驚くのが、日本人にとってはお店に並んで食べるのはもう当たり前の感覚ですが、拝見していると3分の1くらいは台湾や香港など、海外のお客様に見えます。 —近藤— これもありがたい話で、海外の方に「このお店は韓国で1番有名ですよ」と言われたり、先日もタイのYouTuberの方が知らないうちに紹介してくださっていて、それをきっかけにタイの方が一気に増えたりと、僕の知らないところで勝手に広がっていっているという感覚があります。 中津にある『麦と麺助』 —杉原— ミシュランの星を、まるで世界遺産巡りのように追いかけている方もいますよね。それはそれで素晴らしいことですが、本当にラーメンの味がわかっているのかなと日本人としては思ってしまう部分もあって、インフルエンサーの方が「これはおいしい」と発信してくれているのかもしれません。 —近藤— 東京の醤油文化のラーメンは、醤油の香りがしっかり立っているものが美味しいとされていて、外国の方にとってはその塩気の強さが少しとっつきにくいところがあるようです。 一方で、世界の方にとっては関西の出汁醤油の方が美味しいと感じてもらいやすいのではないかと思っています。塩のエッジを強く感じさせすぎないように作っているので、それが海外の方にも受け入れやすいのかなと感じています。 もっと本質的な、根本的なところで言うと、人間はカロリーが高いもの、油分や糖分が多いものを美味しいと感じる生き物だと思うんです。極端な話、10キロカロリーのチーズと500キロカロリーのチーズなら、後者の方を美味しいと感じるように。 そう考えていくと、味覚というのはルーツの違いこそあれ、根本的にはそこまで大きく変わらないのかもしれないと思っています。もちろん、パクチーのように僕らが普段使わない食材は受け入れにくいということはありますが、基本的には素直によい食材の旨味を重ねて、油分を加えていくことで、多くの人に美味しいと感じてもらえるのだと思います。 ◆ 「手に職」から始まった、遠回りだらけのキャリア —杉原— では次の質問に移らせていただきます。「麦と麺助」はミシュランの常連店であり、姉妹店の「燃えよ麺助」も食べログ百名店に9年連続で選出されています。ラーメン界の巨匠と伺ったこともあります。近藤社長はいつ頃、どのような理由や経緯でラーメン店を始めることになったのでしょうか? —近藤— 僕の人生は、決して順風満帆な人生ではなくて、どちらかというと遠回りの多い人生だったと思います。大学を卒業したあと、まずは会計士を目指していました。 朝から晩まで勉強して、2年ほど真剣に取り組んだのですが、全く試験に通らなくて。もともと会計士を目指した理由も、これがやりたいというよりは手に職をつけたいという程度の動機だったのですが、それでも「頑張ればできる」とどこかで自分を信じていたところがあったんです。それが全く通らないとなって、これはまずいぞと思っていた時に、たまたま同い年でホテルのイタリアンで6、7年働いていた友人が独立したいと言い出して、「前に会計や簿記をやっていたから、経理ができるだろう」と誘われました。実際にはできないんですが、「そこだけ手伝ってほしい」と言われて、飲食業界に足を踏み入れることになりました。 飲食の道に携わることになったのは、シェフとしてではなかったのですが、それが意外と面白かったんです。飲食業は、その人が作った料理を提供して「美味しい」と言ってもらえる、サービスとしての面白さがありました。もちろん最初は、立っているだけなのに偉そうだとお客様に言われることもあって、悔しい思いもしましたが、そこから飲食をやりたいという気持ちが芽生えていきました。 ただ、そこから1年半ほど経った頃、そのシェフに子供ができて、実家が福井のお寺だったこともあり、「跡を継ぐために帰る」と言われてしまったんです。お店をそのまま譲るからと言われたのですが、正直、退去費用の心配の方が先に立ってしまって、どうしようと悩みました。結局レトルトのような簡易な形でお店を続けようとしたのですが、お客様が離れていってしまって、これはだめだと痛感しました。 その後たまたま見つかったのが和食のお店で、そこで働かせてもらうことになりました。さらにその時に知り合った社長さんから「経理ができるなら、経理だけやりなさい」と言われて、3年ほど経理担当としてサラリーマン生活を送っていました。30歳の時に、このままでは40歳になった時に後悔すると思い、「自分は何が好きなんだろう」と自問した結果、出てきたのがフットサルとラーメンでした。 ラーメン屋をやったら何とかなるかもしれないと思ったのですが、実は自分でラーメンを作ったことは一度もなかったんです。イタリアンのレストランでも、料理はほぼ作っていませんでしたから。ただその少しだけ手伝わせてもらった経験が本当に面白かった。それで、30歳の時に「よし、これをやってやろう!」と決めて退職しました。 親からしたらたまったものではなかったと思います。せっかくまともに働き出したと思ったら、辞めてラーメンをやると言い出したので。母は何でもやったらいいという性格でしたが、父は「大学まで行かせて何を言っているんだ」という反応でした。それでも、すでに引っ越しの手配まで済ませてから話をするような形で、なかば強行突破のように独立の道を歩み始めました。 ラーメンをやると決めてから、当時大阪で1番と言われていたお店に履歴書を1枚だけ持って「働かせてください」とお願いに行きました。「変わったやつだな」と言われながらも受け入れていただいて、そこで4年間修行させてもらいました。いまでも感謝してます。 最後の1年ほどは、僕を応援してくださるお客様も増えていて、ある意味プレ営業のような状態になっていました。結果として、その流れをそのまま引き継がせていただく形で独立することができました。 修行時代の最後の2年間は、本部のマネージャー的な仕事も任せてもらっていて、スーパーバイザーのような業務や、売上をどう伸ばすかという経営視点の仕事も経験させてもらいました。たまたま経理の勉強を会計士のために没頭していただけのつもりが、簿記の考え方や会計学は自分を物凄く助けてくれました。結果としてすべてが今につながっているという感覚があります。 —杉原— ラーメン作りだけでなく、経営という面での修行もそこでされていたわけですね。 —近藤— 当時は、そんなつもりで学んでいたわけではなかったのですが、振り返るとそれが今、しっかり生きています。 —杉原— サラリーマンから起業した経営者の方にも、最初は会社員として働いていて、そこでの経験の点と点がつながって今があるんだと語る方が多くいらっしゃいます。近藤社長の場合も、一生懸命やっているうちに、それがすべてつながっていったんですね。 —近藤— 本当にそうです。一生懸命やっていました。特に本部での2年間は、絶対に戻りたくないと思うくらい大変でした。朝8時前に出勤して、夜12時前に帰る生活を続けていて、正直、自分に才能があるとは思えないような日々でしたが、やりきろうと思っているうちに独立できるところまでたどり着きました。 ◆ ラーメンの「枠のギリギリ」を攻める — ホロホロ鳥という差別化戦略 —杉原— では、ラーメンそのもののお話に移らせてください。ラーメン好きの読者の方も多いと思うので伺いますが、「麦と麺助」で提供される看板ラーメンは、フランス料理などでお馴染みのホロホロ鳥を材料として作られたスープが最大の特徴だと伺っています。私もいただいたことがありますが、珍しくスープを飲み干せるラーメンでした。このホロホロ鳥という食材は、味わいを作るうえでやはり重要な存在なのでしょうか? —近藤— はい、重要な食材です。福島の「燃えよ麺助」が鴨で、「麦と麺助」がホロホロ鳥というように、それぞれのお店で使う食材を変えています。最初から差別化というところは強く意識していて、単に「美味しいラーメンを作りました、いい食材をたくさん使っています」と言われても、僕がお客さんの立場だったら正直あまり惹かれないんです。 ラーメンという枠組みの中で、1番端っこにあるギリギリの食材は何だろうと考えていました。ラーメンの枠を超えてしまってはいけない、例えばワニ肉のようなものでは、多分誰も食べたいと思わない。日本人のルーツにある「美味しい」という感覚の延長線上にある食材を1つフィーチャーすることで差別化を図る、というのが、福島のお店で鴨を使った理由の1つでもあります。醤油、味噌、豚骨という分け方が一般的だった時代に、うちは鴨、しじみ、ホタテという素材そのものにフォーカスしたラーメン屋という位置づけを作ったつもりです。 —杉原— 1つのお店で情報を出しすぎない、というのもポイントなんですね。 —近藤— その素材にフィーチャーしたラーメン屋というのは、当時はあまりなかったと思います。もう1つ、僕自身が飽き性だという理由もあって、鴨のラーメンを福島でヒットさせたなら同じ路線を続けてもよかったのですが、それだと飽きてしまう。それで考えた結果、フランス料理のメインディッシュになるような食材は何だろうと調べていきホロホロ鳥という、正直よくわからない食材にたどり着きました。実際に食べてみたら美味しかったので、これでやってみようというノリで始めました。 —杉原— それはトッピングの肉やチャーシューとしてではなく、スープに使うべきだという発想だったのですか? —近藤— スープに使うのはもったいないという声もあるのですが、やはり全然違うんです。油の軽さやコクの深さが、一般的な鶏とは少しずつ違っていて、スープに突き詰めて使うことで他のお店とは全く違うものになるのではないかと考えました。 ホロホロ鳥の丸鶏そのままを、肉から全てスープに使うというのは、おそらく今でもうちくらいしかやっていないと思います。コストが合わないからです。 また、ちゃんとルーツもある食材で、もっと遡ると『雉肉』は平安時代あたりから貴族の贅沢品として食べられていたようです。豊臣秀吉が鴨を好んでいたという説から「鴨難波」という言葉が生まれたという由来もあるくらいで、日本人と鴨・雉のような食材には、意外と深いつながりがあるのだと思います。 ◆ 「完成」はいらない — 現場の反応から生まれる改善 —杉原— この究極のラーメンというのは、完成してから提供を始めたのか、それとも日々お客様に提供する中で、だんだん今の味に近づいていったのか、どちらだったのでしょうか? —近藤— 完全に後者です。ある程度美味しいものができた段階でスタートして、僕はお客様の反応を見ながら味を寄せていくタイプなので、現場の顔を見ながら「こちらの方が良かったかもしれない」というのを選び取っていく形です。何回リメイクしたか数えきれないほどで、100や500では全然きかないくらいリメイクを重ねています。 お塩の量を考えるとわかりやすいのですが、実は塩の種類を変えただけでも、同じグラム数なのにミネラル分の違いでまろやかさが変わったりします。そういう繊細な違いを、日本人のお客様は特に感じやすいので、さらに美味しくなるように日々試行錯誤を重ねています。 —杉原— それはお客様に直接聞くというより、表情を見て判断するのですか? —近藤— もちろん直接聞くこともありますし、食べてくださっている様子を見ることもあります。結果として、そのラーメンが美味しいから偉いのではなく、お客様に求められているから価値がある。求められる数が増えれば増えるほど、需要が大きくなっていくというのが基本だと思っています。 —杉原— これは特にベンチャーステージの企業とすごく重なる話です。走りながらプロダクトを提供して、フィードバックを得て、また改善するということの繰り返しで、軌道に乗るまで、狙ったお客様に深く浸透するまでの間、何度もトライアンドエラーを重ねるという話がありますが、ラーメン店もまさにそうなんですね。 —近藤— ラーメン店に限らず、あらゆるビジネスに共通することだと僕は思っています。美容師であっても、アプリを作る会社であっても、ラーメン屋であっても本質的には一緒で、基本的には需要が発生する形にどう持っていけるかが重要だと思います。 実際、面白いデータがあって、有名レストラン出身のシェフが独立した場合、味は間違いなく美味しいので、成功率で言うと9割くらいありそうですが、実際には4割ほどが数年で失敗してしまうというものがあります。それだけ味以外のビジネスの部分に目を向けていないと、味だけが完成していてもうまくいかないという、わかりやすい事例だと思います。求められているものを置いておきつつ、それ以外の部分は環境に合わせてどんどん変えていく方が、結果的に生き残っていく。自分のやりたいことを押し通すスタイルはやはり長続きしないのだと思います。 もちろん、語れるだけの知識や技術の裏付けは必要ですが、メインはあくまでお客様が求めるものを作っていく、自分のお客様ならこれを食べたいだろうというものを作っていく、というのがベースにあります。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【麦と麺助】 オーナー:近藤佑介 所在地:大阪府大阪市北区豊崎3-4-12 開業:2018年5月19日(2016年4月、姉妹店「燃えよ麺助」を大阪・福島にオープン) 姉妹店:燃えよ麺助(大阪・福島)、なにわ麺次郎各店舗(大阪・難波&梅田) Part2では、 ・一流の料理人から学ぶという姿勢 ・行列店ならではの経営とコストのリアル ・多店舗経営とブランドの育て方 ・麻布台ヒルズのポップアップストアと希少な高坂鶏との出会い などについて伺っています。Part2もお楽しみに!
  • INTERVIEW
2026.09.10
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part2】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの最終回となるPart2では、赤松社長のバンドマン時代の経験や起業のきっかけ、組織づくりへのこだわり、大病をきっかけに立ち上げたエンタメ事業、そしてディ・ポップスグループへのM&Aの経緯やベンチャーエコシステムへの共感、5年後のビジョン、読者へのメッセージについてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 「バンドマン時代」の経験が経営に活きている —杉原— 事業の話から少し離れて、社長のキャラクターを深掘りさせていただきたいと思います。元はバンドマンだったという話を聞いたことがあるんですが、本当ですか? —赤松— はい、本当です。若い頃はベースを弾いていて、会社経営とは全く違う世界にいたんですが、バンドも一人だけ上手ではチームとしてまとまらないので、結構会社経営と似ている部分もあるのかなと思います。 それぞれ個性もありますし、能力もあります。でも、一つのステージを作るという意味では、会社経営も一緒なのかなと。 —杉原— チームワークやバランス感覚を、音楽の分野で長く経験されていたんですね。その頃のバンドマンとしての経験は、社長業に役立っていますか? —赤松— そうですね、わからないですけどね。ライブでお客さんの反応を見ながら、相手が何を求めているかを感じ取る、という感覚は活きているかもしれません。 —杉原— 確かに。大手企業と取引をするには、空気を読めないと無理ですものね。 ◆ 「納得できる会社をつくる」――opzt創業の原点 —杉原— 最初に少し触れていただきましたが、改めてお聞かせください。opztを起業したきっかけと、創業から13年間を振り返った今のご感想をお聞かせください。 —赤松— 元々の起業のきっかけは、大きな会社、大企業を作りたいという計画があったというよりは、自分自身の責任で事業をやって、自分たちが本当に納得できる会社を作りたいという、割と志が低めの起業ではあるんです。壮大なビジョンはありませんでした。 本当に20年ぐらい前の人材業界は、超がつくブラック企業が多く、その中で働きながら、もっと働く人を大切にしたらいいのではないか、お客様にももっとクイックに柔軟に対応できる会社ができるのではないかと、ふつふつと感じる部分があったので、2013年に創業したというのが元々の経緯になります。 この13年を振り返ると、本当に会社の売上や規模以上に、人とのご縁でなんとかここまで来られたという感覚が大きいですね。 —杉原— 壮大な大企業を作るというより、具体的な計画がないまま起業してうまくいかない社長もいる中で、本当に理想の職場をみんなに提供したいという思いと経験から始まっているというのは、素晴らしいですね。 私自身、以前勤めていたシステム会社にエンジニアになるつもりで入ったのに、結局昔は派遣業だったんです。自分の上司なんて半年に1回ぐらいしか顔を出してくれなくて、派遣先の工場でずっと仕事をしていたんですが、あの頃は単価としてしか見られていなかったんです。現場ではすごく評価されていても、給料には全然反映されない。そんな時代でしたよね。結局、3年で辞めてしまいました。(笑) —赤松— 本当にそうです。僕らも、派遣スタッフに有給を取らせるなとか、人が足りなければ道端で声をかけてこいとか、そういう時代でした。 数字だけで見られて、もっと残業させろとか言われて。無茶苦茶な時代でしたね、本当に。 —杉原— それに関連するんですが、創業時、創業間もない頃から社員になっている方が長く続けられている印象があります。組織作りや会社運営の面で、人に関してこだわりや心がけていることがあればお聞きしたいです。 —赤松— 本当に、単純に感謝しかないというか、長く働いてくれる社員が多いので、本当にありがたいなと思っています。 大切にしているのは、社員を単なる役職や数字だけで見ないということです。人それぞれ得意なこと不得意なことがありますし、営業が得意な人もいれば、管理が得意な人もいます。同じ型にはめるのではなく、それぞれが活躍できる役割を作ることを意識しています。 また、創業メンバーだけで意思決定するのではなく、新しく入った人にもきちんと機会を与えて、次の経営人材や責任者を育てていきたいという思いがあります。そういった昔ながらの良さを残しつつ、属人的ではなく、仕組みで動く組織に変えていくということを意識してやっています。 ◆ 拠点を管理せず、経営者を育てる――複数拠点のマネジメント哲学 —杉原— 私自身、渋谷ヒカリエに拠点を置く東京のopztチームの皆さんとよくお会いします。東京のopztチームの皆さんは、社長がいらっしゃらなくても本当に真面目に、和気あいあいと、真剣さもありながら冗談を言い合いながら明るく雰囲気よく仕事を回されているんですよね。先ほどお話にあった名古屋、四国、九州と点在しているオフィスの中で、スタッフや社員の方々がどうしてそんなに自主自立してしっかりと仕事をされているんでしょうか? —赤松— そうですね、各拠点を細かく管理しすぎないというのが、実はキーになっています。地域によってお客様や採用のマーケットもまったく違うので、本社の成功パターンをそのまま押し付けてもうまくいかないというのが過去にありました。 東京のチームが自走できているのも、現地のメンバーが自分で考えて意思決定し、結果にコミットしてくれているというのが大きいと思っています。拠点を管理するというよりは、拠点の経営者を育てる感覚に近いですね。 —杉原— 凄いですね。みんな本当に自分が経営者だという雰囲気で、東京の成績を上げるんだと動いているんですね。 ◆ 大病が教えてくれたこと――エンタメ事業「SELEBRO」誕生の背景 —杉原— 話は変わりまして、赤松社長はopztとは別にエンタメ系の事業をされているとのこと。こちらはopztの後に立ち上げられたんですよね、「SELEBRO」という会社ですね? —赤松— そうですね。今、「SELEBRO」という会社で、ライブハウスやナイトクラブ、アーティストのマネジメント、音楽フェスなどのイベントの企画を行っています。 ビジネスモデルとしては、本当にがっつりエンタメとテクノロジーを合わせたような、エンタメテックのような事業もやっています。opztとは別で、本社も大阪でここではないんですが、元々私自身が音楽やエンタメが好きだったというのもありますし、きっかけとしては、僕自身が脳動脈解離という病気になって入院したことが大きいです。 2018年の12月にディ・ポップスグループにジョインをして、その半年ほど後、2019年の6月か7月頃です。本当に突然のことで、病院に行ったらすぐに入院してくださいと言われて。本当に深刻な状況で、もう明日死ぬかもしれない状態で1ヶ月過ごしました。 そこで人生観が180度変わったというのが大きいです。それまでは自分自身の未来はまだまだあって、根拠もなく80歳、90歳ぐらいまで生きて死ぬんだろうと勝手に思っていたんですが、それがひっくり返って。音楽もいつか将来、長い人生のどこかのタイミングでチャレンジできたらいいなと漠然と考えていたんですが、病気を経験してから、いつかではなく、いつ来るかわからないので、人生の最後にあれをやっておけばよかったという後悔だけはしたくないと思うようになりました。 そういう心持ちでいると、昔の音楽の縁や、すごくいい場所ができたりと、引き寄せのようにどんどんそういう巡り合わせがあって、これはもうやるしかないなと思いました。代表の後藤さんにもちゃんと話をして、「こういうことをやりたいんです」と伝えました。ただし、「opztもちゃんとやるならいいよ。」ということで、中途半端にはやってほしくないという話をいただきました。 ちなみに病気は治りました。結局、手術には至らず、その後は回復して、今は健康に過ごせています。 今は第二の人生を生きている感覚があります。やりたいことを「いつか」に先送りしないようになりました。 いつ死ぬかわからないので。 ◆ 会社の個性を尊重してくれた――D-POPS GROUPを選んだ理由 —杉原— 病気のことまでお話いただいてありがとうございます。大変なご経験をされたんですね。2018年にM&AでD-POPS GROUPにジョインしていただきましたが、その経緯や、いくつもオファーがあったと思う中で、ディ・ポップスグループを選んでいただいた理由をお聞かせいただけますか? —赤松— 当時、会社は5年目ぐらいで、10億円にいくかいかないかぐらいの規模感だったんですが、一定の規模まで成長していく中で、次のフェーズに進むためには自分たちだけでは持てない経営資源や知見が必要だと思うようになったのが、最初のスタートでした。 順調に成長していたので、いろいろな企業からお話をいただいたんですが、単純に会社を買収するという考え方ではなく、経営者である私自身や会社の個性をしっかり残しながら一緒に成長していくという、D-POPS GROUPの考え方と、後藤さんの人柄に魅力を感じたというのが理由です。 M&Aをした仲間も多いんですが、結局グループ入りした後に経営方針が変わったり、創業経営者が経営から離れるケースも多々見てきたので、そういう意味でも、ディ・ポップスグループは引き続き私自身が経営をさせていただいていますし、opztの文化や強みを尊重しながら成長させてくれています。優しく見守ってくれているというのがすごくいいなと思っています。 本当に、条件面などではなく、誰と一緒に経営するか、グループ入りした後に社員が前向きに働けるかというところを重視して選んだという感じです。 —杉原— その時の期待通り、10億円ぐらいの規模だった会社は、この6年間で大きくなりましたよね。経営体制が変わらないまま、後藤社長やディ・ポップスグループの経営会議などからの学びは結構ありますか? —赤松— そうですね。本当にいろんな面で日々勉強させていただいていますし、今もメンターシップもいただいていて、日々勉強させてもらっている感じです。 ◆ 「グループから次々と経営者が生まれる」ベンチャーエコシステムへの共感 —杉原— 素晴らしいです。では最後に、「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしているディ・ポップスグループですが、この目標に共感する部分や、エコシステム作りを意識した活動などがあればご紹介ください。 —赤松— たくさんあるんですが、特に共感するのは、一社だけが成功するのではなく、グループ内から次々に経営者や新規事業が生まれていくという考え方です。 僕自身も創業経営者として、会社を大きくすることだけが目的ではなく、社員の中から次の事業責任者や経営者が生まれ、その人がまた新しい会社や事業を作っていく、そういう循環する環境を作りたいと思っています。 opztでも、各拠点に権限と裁量を与えて、小さな会社を経営する感覚で拠点運営をやってもらっています。その事業で生まれた人材や資金、信用を次の事業に循環させていくというところが、ベンチャーエコシステムにつながるのではないかと考えていて、そこにすごく共感しています。 —杉原— opztさん自身の中でも、エコシステムができているようなイメージですね。 —赤松— そうですね。規模はまだ小さいですが、通ずる部分があると思っています。 ◆ 5年後、人とテクノロジーで企業の成長を支える会社へ —杉原— 5年後のopztはどのような姿、あるいは具体的な目標があれば教えてください。 —赤松— 5年後は、先ほども出た通り、単純に人材を派遣するだけの会社ではなく、人とテクノロジーを組み合わせて企業の成長を支援していくような会社になりたいと思っています。引き続き派遣事業は大きな基盤でもあるので、しっかりここはやりつつ、AIやデータ、データセンター領域の比率をより高めていきながら、専門性と収益性の高い事業構造に変えていきたいと思っています。あとは、社員やスタッフがきちんと成長して、お客様から長く必要とされること、適正な利益を出しながら新しい事業に投資できるくらいの会社にしていきたいと思っています。 ◆ 読者へのメッセージ —杉原— では最後に、読者の方に一言、何でも結構ですのでお願いします。 —赤松— opzt自体はまだまだ未成熟な会社ですし、これからAIをはじめテクノロジーもすごいスピードで変化していくと思いますが、当社としても過去の成功にとらわれず、新しいことにチャレンジしたいと考えています。仕事を探している方がもしこの記事を見てくださる機会があれば、今の経験だけで自分の可能性を決めてほしくないなと思っています。今経験がなくても、学んで挑戦することで新しいキャリアを作ることができますし、企業の方が見てくださっている場合は、人材の紹介だけでなく、組織作りや業務の改善、新しい事業の挑戦についても一緒に考えられるパートナーでありたいと思っていますので、少しでも興味を持っていただけたら、お気軽にお声がけください。 —杉原— 素晴らしいです。ありがとうございました! ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part1はこちらからご覧ください!
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2026.09.03
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