D-POPS GROUPでは、現在約23社のグループ会社が仲間となっています。
今回は、2018年にグループ入りした株式会社TFNの長岡 守 社長へ、インタビューしました。
◆設立経緯
-杉原-
今回は、TFNの長岡社長にインタビューさせていただきます。宜しくお願いします。
TFN社は設立から9年が経ちますね。まず最初に、長岡社長がTFNを設立された経緯や、それまでの経歴などを簡単に教えていただけますか?
-長岡-
はい。TFNを創業したのが2015年です。ソフトバンクC&S社に勤めていた2011年ぐらいに初めてクラウドSIMの技術を見ました。そのときに、 なんとか社内ベンチャーの立ち上げなどで事業ができないか色々検討をさせてもらっていたんですが、1度は諦めました。
その後2013年か2014年ぐらいに、もう1回そのクラウドSIMに出会うことがあって、 どうしてもクラウドSIMを事業としてやってみたいっていうのが強くありました。 あと、やっぱり起業家になりたいという思いの2つが合わさって、サラリーマンをやめて、自分で立ち上げたのが創業のきっかけです。
なので、今は通販をメインに事業をやっていますが、当時は通販をやりたいという考えではなく、クラウドSIM事業をやりたいという想いで、会社を辞めたのが1番です。
-杉原-
そうなんですね。ディ・ポップスグループにグループ入りしたのはいつ頃なんでしょうか。
-長岡-
2018年です。
-杉原-
創業当時はクラウドSIMから始まったとのことでしたが、いつ頃から通販事業等を始められたんでしょうか。
-長岡-
もともとなぜクラウドSIMに出会ったかというと、ソフトバンクC&Sの流通を担当していて、サラリーマン時代は結構長く、いろんな物販をやる上での商社的な役割をしてたので、とにかくたくさんのメーカーさんが提案に来るんです。
その一環として、クラウドSIMに出会ったというところなんですけど、あわせてスマートフォンのケースやPCサプライなどいろんなメーカーさんとも取引をしていたので、クラウドSIMがメインだったんですけど、プラスアルファ、通販も流行るかなという想いもあったので、じゃあこの事業もやっちゃえ!と思い、クラウドSIMとあわせて立ち上げました。
-杉原-
なるほど、ではソフトバンク時代の付き合いのある方たちが応援してくれたんですね。
-長岡-
そうです。独立してみたら、クラウドSIM以外にもたくさんの取引先が応援してくれて、その中には、9年前起業したとき以前からお付き合いの会社が、今もあるんです。
当然自分で中国に行ってものを作ったりとか、直接やり取りをしたりもできました。なので、もちろん新しいベンダーさんもたくさんいらっしゃいますが、国内の仕入れもそうなんですが、海外から直接買い付けるなど、その当時に知り合ってたところから紹介いただくこともあります。
◆事業概要
-杉原-
それはすごく大きな資産ですね。
では続いて、TFN社の事業概要を簡単にご紹介いただけますか?
-長岡-
今現在は、ほぼ通販事業1本になっています。商材としてはスマートフォンのアクセサリーをターゲットとしてやっています。
冒頭でお話していたクラウドSIM事業をやっていた累計期間は6~7年でしたが現在はピポットして通販事業に注力しています。
創業当時は、クラウドSIMと通販の事業で会社を立ち上げました。通信事業をやるのって、莫大なお金がかかります。ただ僕も起業家としてかなり若かったので、 1番最初の資本政策がうまくいかなかったんです。その時、 現在ディ・ポップスグループで常務取締役を務める渡辺さんに、個人的にTFNに取締役としてジョインしていただき、事業のコンサルをお願いしていました。その一環で、この通信事業をよりグロースさせるために、ディ・ポップスグループに入らないかという打診があったんです。
当時はディ・ポップスグループのグループ会社もほとんどなく、生え抜きの社長たちはいましたが、外部でのグループ入りはほぼ初めてでした。
-杉原-
そうだったんですね。現在、ディ・ポップスグループが目指す、ベンチャーエコシステム構想のきっかけだったのかもしれないですね。
-長岡-
そうですね。そうやってディ・ポップスグループのグループ会社としてクラウドSIM事業を行っていたんですけど、今後どうやってグロースさせていこうかとなったときに、後藤社長からレンタルWiFiを取り扱う会社のM&Aを提案されました。その時印象的だったのが、本を3冊くださって、その本がPMIに関する本などだったんですね。そのあとM&A先の会社の社長と会って、あとは自分で判断しなさいという雰囲気でした。
当時は正直無茶ぶりだなと思ったんですが、本をすべて読んで、自分で交渉をし契約書も作成して、グループからの借り入れではありますが資金調達も自社で行って、無事に契約となりました。
そして、その半年後ぐらいに、 元々ディ・ポップスグループにあったレンタルWiFi事業のany-fiを引き継いで、渋谷の宮益坂でレンタルルーターの店舗をやっていました。そこからだんだん、WiFi事業を加えていきました。
逆に通販の方は、創業のころから着々と商品ラインナップを増やしていました。
うちの会社の特徴としては、企業文化としてDXやITを率先して取り入れていたので、早い段階から通販のシステム開発を自社で行っていました。それが成長の支えになっていたなと感じます。
-杉原-
そのあとコロナになるのでしょうか。買い取り事業はコロナ中に始められたと伺いました。
-長岡-
そうです。コロナ前までは、通信と通販が順調に成長してくれて、通信事業をM&Aして、まあまあ数字も良かったという時に、コロナになりました。
M&Aして1年経たない頃だったので、コロナになって1ヶ月で4000万~5000万くらいPLが赤字になって、もう、本当にどうしていいのかわかんなかったですね。
今でも覚えていますが、後藤社長に電話して、会社が大きく赤字になってもうリストラも含めて考えなきゃいけないという相談をしたんです。そのとき後藤社長に言われたのが、「人を切る社長なんだね、 それしかできないんだね。」というようなことを言われたんです。
いや、僕はグループのためにという概念で、 どうやってPLを黒字にするのか考えた一環のリストラでしたが、 後藤社長は多分見てる視点がちょっと違ったんでしょうね。リストラをすることは多分簡単だし、PLをすぐに黒字にすることも簡単ではあるとは思うんです。
ただ、どちらかというと、一度リストラをしたら、リストラした社長にしかならない。 それが一生ついてまわるけど大丈夫なんだよね、という。社員からもリストラした社長だと思われる。なので、逆にどうやってグロースさせるかということを考えた方がいいんじゃないかという風に言っていただいたんです。
幸い通販事業の方は、コロナの時の巣ごもり需要でそれなりに売れたんです。なので通信事業が本当にほぼ0になった状況ではあったんですが、なんとか食いつなぐことができたという状況でした。ただ、相当苦しかったです。
とにかくもう何か新しいことを始めるしかなかったんですけど、 1番早いのは、通販で思いっきり製品を増やしていくという選択肢だったんですよ。 当時、渡辺さんと仕入れ先をどうにか増やしていこうとか、仕入れ先を増やす=家電を取り扱ったり、やっぱり有名メーカーの製品をどうやって引っ張るかというのに注力していくんですけど、やっぱりいろんな人に紹介してもらっても、口座なんか一切開かないんですよ。やばいなと。
でも、世の中で家電を売ってる人って結構いるんですよ。だからなにかあるんだろうなと思っていたんです。
そんなときに、本当にたまたまお酒の席で、相手の人が「ポイ活やってるんだよね。」という言葉が僕の耳に入ってきたんです。「ポイ活って何?」ときいたら、「物を買ってポイントを得て、それをメルカリなどで売るということをやっている」と聞きました。「すごいね。それで月いくら儲けてるの?」ときいたら、「50万円ぐらいですかね」みたいなことをぽっというんです。この子が10人いたら、俺の会社復活できんじゃんと思って、そこから調べたんですよ。
そこで今のお取引先様であるとか、通販会社で家電を取り扱っているいろんなとこに直接現地を回って、何時間か張り付いてずっと見てて、どこから納品されてるんだろうとずっと見ていたら、通常の仕入れ先じゃないなということに気がついたんです。そこからSNSなどでいろんな情報を掘り下げていってたら、これ買い取りじゃんっていうところにたどり着いちゃったんです。
ここからは早かったですね。1週間後にはウェブサイトが完成してました。そこでやるぞー!となりました。
そこからオンライン版の買い取りをはじめて、もう当時、店舗を借りるお金もないんで、そのまま本社でやり始めたんです。それで一気に人気になったんですが、本社のオーナーさんから普通借家の事務所は店舗にしてはいけないので、このまま続けるなら出ていくか店舗を借りるかにしてくださいと言われて、すぐに店舗を借りました。
店舗を借りたあとから、買取事業が一気に1年間で18億円ぐらいにグロースしたので、 ディ・ポップスグループの支援もあって、 なんとか黒字化しました。
ただ結果的には、買取事業も実は今年の2月でもう閉じるんです。そもそも薄利だったので。ただ、一旦コロナを脱するための事業としては、運が良かったと言うしかないでしょうね。
-杉原-
運だけで片付けちゃいけないと思いますよ。なんとしてもこの逆風を乗り越えるために、脳みそがちぎれるほど考えて考えて、観察して、素早く実行して 立ち上げた事業で、何とかして乗り越えられた。素晴らしいですね。
そして、軌道に乗った買取事業をこれからも続けていけばいいじゃん、と考え てしまうのかなと思いきや、思い切ってやめる決断をした。
-長岡-
そうですね。これは後藤社長から紹介していただいた他の経営者の方を見ていても、やっぱり最後は、売上よりも利益だし、それで社員に還元していい会社にしていかなきゃいけないと考えた時に、やっぱり買い取りとかも、結局は自社のサービスではないんですよね。例えば取引先の状況が変わってくると、当然その変化に自社もあおりをくらってしまう。やっぱり最終的には自社のサービスであるとか自社の製品というのに寄せていきたいという想いが自分の中でも願望としてありました。なので、どんどんピポットすることを決めていくという形です。
◆自社開発について
-杉原-
その頃からなんでしょうか。自転車やスーツケースなど、 いろんなものを自社で開発、制作されていましたが、いつ頃から通販の商品を作り始めたのでしょうか。
-長岡-
実は創業当時からやっていました。過去には体重計や美容ローラーなど、ほんとにずっと商品開発をしていて、もともと何かを作ることは大好きだったので、 今でも続けています。自転車を作ったきっかけは、何の製品を作ろうかとなったときに、社内でたまたま自転車が欲しいという人がいただけなんです。それで作ってみたら当たったという感じでした。
-杉原-
そうだったんですね。実際いろいろな事業をやる中で、TFN社はたくさんの経験とノウハウを積み上げてきたんですね。そんなTFN社の強みはどういうところでしょうか。
-長岡-
運用やフローの構築ですかね。フローを構築してシステムに落とすということをとにかく徹底してやっているので、やっぱそこが1番強いと思っています。
-杉原-
通販のシステムを自社で開発されているとのことでしたが、その特徴について教えていただけますか?
-長岡-
そうですね。今通販の店舗数が、もう12店舗ぐらいになっているんです。それを運用上、売上を即時に集計したりとか、 スピーディーに商品登録をしたりできるシステムって、確かに世の中にはあるんですけど、やっぱり使い勝手がいい部分・悪い部分と、いい部分が、すごくあったんですよね。例えば、その外部システムだと、使えはするんだけど、どうしても80点しか取れないという状況だったんです。だったら自社で全部作り上げた方が早い。
それを創業の時から、1番最初はシステムを開発するというよりは、MicrosoftのAccessベースで自分で作ってたんですけど、やっぱりもうこれが追いつかなくなってきたので、システム開発を自社でやっていこうと決めました。システムに投資して自動化した方が、絶対伸びていく過程の中で得だなと。
そして、将来的には会社にたまった自社開発のノウハウをソフトウェアとして売るのか、もしくはコンサルとして他社に入るのかなど、いろんなことに繋がるかなと思ったので、システム開発にも注力してきました。
-杉原-
強みを活かして事業を広げてきたんですね。それで紆余曲折があって、コロナ禍の荒波を乗り越えて、 やっとこの嵐が収まった。そこで深く考えて今年戦略をバシッと定めて通販事業のみという形になったんですね。
-長岡-
はい。僕自身アイデアを出すことが好きだし、 やると決めたら実行も早いんです。ただ、やっぱり事業があまりにも分散しすぎだなということは自分の中でずっと考えていました。
僕はどちらかというと、20億円の事業を3つ作って60億円にするよりも、やっぱり1個の事業でどうやって60億円になるかということをもっと考えていきたい、ランチェスターでやっていきたいと考えていました。その考えがより濃くなって、 元々1番得意なものってなんだろうと考えると、通販・物販だったんです。
それに集中するために、今回通信事業の売却を決めました。
☆インタビューアー
D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太
【株式会社TFN】
代表者:代表取締役 長岡 守
所在地:東京都中央区東日本橋2丁目27番8号 アサノ東日本橋ビル1階
設 立:2015年11月25日
サイト:https://tfnmobile.com/
次回後編のインタビューでは、
・事業売却について
・社風、文化について
・ベンチャーエコシステムの実現について
・「ベンチャーエコシステムの実現」について
・10年後の理想の姿
などについてお伺いしています。
後編もぜひご覧ください!