COLUMN

起業家の未来が変わる1日。ベンチャーエコシステムサミット2025、熱狂の舞台裏~後編~

  • INTERVIEW
2026.02.26

今回は、2025年10月に開催したベンチャーエコシステムサミット2025の主催である後藤社長と運営本部の3名にインタビューいたしました。
(このインタビューは2025年12月に実施いたしました。)

前編の記事はこちらからご確認ください。

◆懇親会について

-杉原-
懇親会では、90年代の洗練された音楽やライブパフォーマンス、そして吟味されたお酒や食事が用意されており、一般的な講演会後の懇親会とは一線を画すものでした。ここにも後藤社長の並々ならぬこだわりが詰まっていたと思いますが、詳しく教えていただけますか。

-後藤-
もともと「最高にクールな音楽を生演奏で聴きながら、お酒を飲める」という空間を作りたかったんです。最初はジャズも検討したのですが、普通のジャズバンドではどこかありきたりだなと。もっとエッジの効いたかっこよさを追求したくて、グループ会社であるopztの赤松社長に相談しました。

赤松さんから「どんなアーティストがいいですか?」と聞かれた際、「自分たちの世代が学生時代に心酔していた、90年代の伝説的なアーティストが理想だ」と伝えたんです。そこからいくつか提案をもらったのですが、私のこだわりが強すぎて、なかなか首を縦に振れなくて(笑)。

最終的に「そこまで仰るなら、最初にかっこいいと挙げていた二組に出演交渉してみます!」と動いてくれて、結果として私が青春時代に憧れた伝説のアーティスト二組の出演が決定しました。彼らは今でもコアなファンが多く、高額なチケットでも即完売するような方々です。40代後半以上の世代には懐かしく、それ以下の世代には「90年代にこんなに格好いい音楽があったんだ」という発見を共有したかった。

最高の音楽が揃うなら、飲み物も最高でなければならない。そう考え、飲み物は私のポケットマネーで別途用意することにしました。舌の肥えた社長たちが集まる場ですから、皆様に心から満足していただきたかったんです。お酒を取り扱うビジネスをしている友人のファイブニーズ 岡崎社長に相談し、実現したのが「Goto’s Bar」です。

ホテルのラインナップに加え、特設した「Goto’s Bar」では、私が愛してやまないケンゾーエステートのワインをはじめとする銘酒を揃えました。自分が最高だと感じる音楽とドリンク。この組み合わせで、皆様に極上の時間を過ごしていただけたのではないかと思っています。

-杉原-
まさに大人の社交場ですね。その後の2次会でも、素晴らしいエピソードがあったと伺いました。

-後藤-
そうなんです。懇親会で乾杯の挨拶をしてくださったポジティブドリームパーソンズ(PDP)創業者の杉元さんが、自社で経営する「ザ・テンダーハウス」を2次会会場として手配してくださったんです。1階をほぼ貸し切り状態で使わせていただき、参加者だけでなく運営メンバーまで招いていただきました。

宴もたけなわとなり、私が支払いをしようとしたところ、ある後輩経営者が「後藤さんにこれ以上出させるわけにはいきません。僕が皆から集めます!」と立ち上がってくれたんです。すると、杉元さんと共に乾杯を務めてくださったウィルグループ創業者の池田さんが、「いや、ここは俺が全部払うわ!」と、その場の支払いをすべて引き受けてくださって。

私が心から尊敬するお二人の先輩による、あまりにも粋な計らい。そのお気持ちが本当に嬉しく、胸が熱くなりました。

-杉原-
これほどこだわりが凝縮されたセミナーや懇親会となると、会場となるホテルのスタッフさんとの連携もかなり緻密に行われたのではないでしょうか。準備の過程での裏話などがあればぜひ教えてください。

-柴田-
本格的な打ち合わせが始まったのは2024年の12月でした。正直なところ、私はそれまで社内イベントの経験しかなかったので、「これほど前から準備する必要があるのだろうか」と疑問に思う瞬間もありました。ですが今振り返れば、あの時期から動いておいて本当に正解だったと感じています。

開催の半年前からは、まさに怒涛のスケジュールでした。先ほど後藤社長がお話しした食事や飲み物はもちろんですが、客席の配置にも徹底的にこだわりました。1テーブルに並べる椅子を8脚にするか9脚にするか。図面だけでは実際の感覚が掴めないので、後藤社長と一緒に何度も会場へ足を運び、実際に椅子を並べて座ってみたんです。「この間隔なら窮屈さを感じず、リラックスしていただけるか」と一つひとつ検証しながら作り上げていった時間は、非常に濃密なものでした。

また、先ほどお話しした「Goto’s Bar」の設置にあたっては、ホテルの持ち込み料という現実的な課題もありました。こちらが独自にお酒を用意したい一方で、ホテル側としてもビジネスとして利益を確保する必要があります。

そこで私は、ホテル側にこうお伝えしました。「今回の参加者は、数億から数千億円規模の企業を率いる経営者ばかりです。この会場を素晴らしいと感じていただければ、今後皆様のビジネスに繋がる可能性が非常に高いはずです」と。ホテルの皆様にもその趣旨を深くご理解いただき、最終的には持ち込み料を無料にしていただくという、大変ありがたい柔軟なご対応をいただきました。

もう一点、ホテルのスタッフさんは土日がメインの稼働となるため、連絡も土日が中心になります。開催日が近づくにつれ、週末も一時も携帯を手放せない状況が続きました。さまざまな調整で無理をお願いすることも多かったのですが、イベント終了後、ホテルのスタッフの方から「ホテル側の視点から見ても、本当に素晴らしい会でした」と言っていただけたときは、報われた思いがして本当に嬉しかったですね。

◆運営メンバーについて

-杉原-
当日はD-POPS GROUPから約20名もの運営メンバーが駆けつけ、一丸となってサポートされていましたね。事前に綿密な打ち合わせを重ねたと伺いましたが、特に進行を管理する松谷さんは、かなり詳細な運営資料を作成されたそうですね。チーム連携において工夫された点を教えてください。

-松谷-
そうですね。実は今回の運営メンバーの半数以上は、直接仕事をするのが初めてだったんです。そのため、最初は「なぜ彼が仕切っているんだろう?」と思われないか、少し不安もありました(笑)。

ただ、今回は後藤社長が強い想いを込めて創り上げているイベントであり、細部にまで多くのこだわりがありました。運営として最も重要なのは、いかにそれらの情報をメンバーへ正確に共有できるかだと考えていました。

単に「ミスなく運営する」こと以上に、このイベントの至上命題である「起業家の一日を変える体験」をどう創り出すか。そのために、なぜタペストリーをこの位置に掲げるのか、なぜこの座席配置なのかなど、一つひとつのこだわりに対して「なぜそれを行うのか」という背景や意図を伝えることが、非常に重要だと思ったんです。

私は、後藤社長のビジョンを皆に橋渡しする立場。その想いを正しく伝播させるために、必然的に詳細な資料が必要になったという形ですね。

また、例えば駅前でプラカードを持って誘導する役割などは、他のスタッフからは見えない場所での孤独な作業になります。私自身の経験からも、こうした役割はつい気が緩んでしまいがちなのですが、そこを自分事としてやり抜いてもらえるよう、事前にしっかりと意義を伝え、お願いをしました。

-杉原-
一人ひとりの高い意識が、あのスムーズな運営を支えていたのですね。

-松谷-
実は、運営チーム全体でのミーティングは事前の1回と当日の朝だけだったんです。細かい指示をすべて出す時間は到底ありませんでした。そのため、各チームリーダーに情報を集約し、あとは「現場の判断に任せます」とお願いしたんです。

それでも、案内プラカードを掲げて誠実に対応してくれたり、遅れて来場された方へ即座にお声がけしたりと、全員が期待以上の動きをしてくれました。マニュアルを超えて、それぞれが自律的に素晴らしい対応をできたのは、D-POPS GROUPが大切にしている「感情移入」というスタンスや、クレドが全社員に深く浸透しているからこそ実現できたのだと確信しています。

◆イベントグッズや映像について

-杉原-
何度も打ち合わせを重ねた結果というだけでなく、日頃から「気配り」を当たり前に実践されているメンバーの皆さんの姿勢、本当に素晴らしいですね。

また、今回は事前公開された特設サイトをはじめ、当日の冊子やクリアファイル、Tシャツなどのグッズ類、さらには千本さんや藤崎さんをご紹介する映像演出まで、クリエイティブの質の高さも際立っていました。こうした制作物関連はどのように準備を進められたのでしょうか。

-川口-
サイトや冊子、グッズの制作に関しては、グループ会社のアイデアランプさんに多大なるお力添えをいただきました。

弊社のコーポレートサイトも手掛けていただいているので、D-POPS GROUPが求めるビジュアルイメージはもちろん、私たちのビジョンやフィロソフィまでも深く理解してくださっています。 そのため、今回の「起業家の未来が変わる1日にしたい」というコンセプトをお伝えした際も、意図を汲み取るスピードが非常に早く、本当に心強かったですね。

ただ、後藤社長のこだわりは、私たちが想像する以上に細部まで及びます。 例えば特設サイトの「Speakers」セクションにあるスプラッシュのデザイン。当初は少し丸みを帯びたデザインだったのですが、社長のイメージは違いました。「ユニコーンが力強く駆け抜けた瞬間の、鋭く、勢いのある線でなければならない」という強い想いがあったんです。 アイデアランプさんと何度もやり取りを重ね、社長の理想とする力強さを表現したスプラッシュへとブラッシュアップしていきました。社長自らが細部にまで魂を込める姿勢を見せてくださるからこそ、私も「このイメージを絶対に具現化したい」と強く思いますし、クリエイターの皆さんもそれに応えてくださる。こうした関係性を築けていることに、改めて感謝しかありません。

-杉原-
映像も素晴らしかったですね。

-川口-
オープニングムービーや千本さんや藤崎さんの紹介映像などを制作してくださったのは、ポイントゼロさんです。先ほどお名前の挙がったPDPの杉元社長からご紹介いただいたご縁で、以前から弊社のコーポレートサイトの動画などを手掛けていただいています。

制作前の打ち合わせでは、後藤社長から「このイベントに込めた想い」や「動画を通じて伝えたいメッセージ」を直接語っていただきました。長年のお付き合いで社長のこだわりを熟知してくださっていることもあり、映像の仕上がりはほぼ一発OK。こちらの期待を遥かに超えるクオリティを提示してくださいました。

今回のイベントの世界観を創り上げるにあたって、アイデアランプさん、そしてポイントゼロさんの協力は不可欠でした。私たちの想いに伴走してくれる素晴らしいパートナー企業と出会えたことを、本当に幸せに思います。

◆後藤社長と準備を進める中で感じたこと

-杉原-
後藤社長の並々ならぬ想いとこだわりが、これほどまでに細部まで宿っていたのですね。今回、運営本部の3名が後藤社長と伴走しながら準備を進める中で、それぞれが感じたことや学んだことを教えてください。

まずは柴田さんからお願いいたします。

-柴田-
そうですね。私はこれまで会議や研修を通じていろいろな教えをいただく機会はありましたが、後藤社長とここまで密に、いわゆる実務を共にしたのは、実はおそらく初めてのことでした。

今回、間近でお仕事をさせていただいて心底すごいと圧倒されたのは、後藤社長の凄まじいまでのプロ意識です。 「仕事は細部に宿る」という言葉は、私も入社した時からずっと聞かされてきました。挨拶や店舗を清潔に保つことなど、自分なりに意識して取り組んできたつもりです。

しかし、後藤社長が実際にどれほどの熱量で細部にこだわっているのか。その真髄を目の当たりにする機会はこれまでありませんでした。今回のイベントを通して、席次表のひとつ、食事の一品にいたるまで、「本当にここまで見るのか」「ここまでやり切るのか」という徹底した姿勢を目の当たりにしました。これほどまでに細部を突き詰めて仕事を完遂させるからこそ、あれほど心強い最高の応援団がついてきてくださるのだと、肌で感じることができました。

そして何より、後藤社長の最も素晴らしい点は「最後の最後まで逃げずに決定し続けるプロ意識」です。この姿勢を自分も日頃の仕事の中で徹底しなければならないと、改めて身の引き締まる思いがしました。

-松谷-
私も、後藤社長と仕事で直接ご一緒させていただくのは今回が初めてでした。 準備期間中は、柴田さんと同じく「ここまでこだわるのか」という驚きの連続でしたね。例えば席次表ひとつとっても、一度作って終わりではありません。後藤社長は一人ひとりの関係性をすべて考慮しながら作成されるのですが、その後も「一旦こう決めたけれど、やはりこの卓の組み合わせを変えよう」といった調整が5回ほど繰り返されました。

私たちが制作側として仕事を受ける際、通常は依頼者側がそこまで細部を詰めていないケースも多いものです。しかし後藤社長の場合、常に制作側の想像の上を行く構想をお持ちなので、受ける側も極限まで考え抜かなければなりません。ひとつ課題をクリアするたびに期待値が上がり、さらに高いレベルで応え続ける。そうした真剣勝負を繰り返す中で、「仕事の質とはこうして高まっていくものなのだ」と身をもって体感することができました。

また、イベントが終わってから今にかけて、深く実感していることがあります。後藤社長は日頃から「良い気が流れているか」「幸運を引き寄せられるか」というお話をされますよね。私はグループにジョインしてから、その言葉の真意を頭では理解しつつも、実体験として「これだ!」と感じる機会がなかなかありませんでした。

ですが、今回のイベントを通じて、それがようやく分かった気がします。会場全体に満ちていた「良い気」、そして参加者の皆さんの溢れんばかりの満足感。その源泉を紐解くと、後藤社長が創業したディ・ポップスの原点である店舗ビジネスに行き着くのだと感じました。 今の時代、接客業を敬遠する若者も少なくありませんが、無くなれば誰もが困る大切な基盤です。その現場で培われた「隅々にまでこだわる姿勢」が、まさにこの「良い気」を生み出している。自分たちの手で良い流れを作り出しているのだと、社長の隣で強く実感できたイベントでした。

-川口-
私はお二人とは逆に、日頃から後藤社長の側で仕事をさせていただいているので、昨年「このサミットをやるぞ!」と後藤社長が宣言された瞬間に、「これは、相当忙しくなるぞ・・・!」と覚悟を決めました(笑)。

お二人が仰ったこだわりの部分は、ある程度予測できていたというか、一度で決まらないことも承知していました。ですので、これまでの経験を活かして前倒しで動くよう心掛け、細心の注意を払って臨んだつもりです。それでも、今回の社長の熱量はこれまでにないほど凄まじく、何とか必死に食らいついていったという感覚です。

今回、以前から社長に教わっていたことで、ようやく腑に落ちたことがあります。それは、「どれほどお金をかけたものよりも、こちらの想いや熱量を詰め込んだものこそが、相手に伝わる」ということです。 莫大な広告費を投じて人を集めても、そこに魂がなければ何も伝わりません。今回は全員が招待制で、派手な広告を打ったわけでもありませんが、後藤社長の想いが純粋に乗っていたからこそ、参加者の皆様の満足度がこれほどまでに高まったのだと実感しています。

松谷さんが仰った「会場の気の良さ」も、細部の細部にまで後藤社長がこだわり抜き、一つひとつに想いを込め尽くしたからこそ生まれたものです。「ここが少し変だ」「対応が悪い」といった不満が出る隙がないほど徹底されていた。その想いが伝わったからこそ、参加者の皆様が自発的に「本当に良いイベントだった」と周囲に広めてくださっています。こうして少しずつベンチャーエコシステムという輪が広がっていくのだと体感できたことが、私にとって最大の収穫でした。

◆「ベンチャーエコシステムの実現」について

-杉原-
ありがとうございます。今回のイベントを通じて、D-POPS GROUPが目指す「ベンチャーエコシステムの実現」というビジョンが、より多くの方々に深く伝わったことと思います。最後に、その実現に向けての現在の想いをお聞かせください。

-後藤-
我々にとっても、この日が真のスタートラインだったと感じています。

ベンチャーエコシステムを創り上げるという意味において、ようやくその入り口に立った。そんな感覚があるんです。というのも、起業家や経営者のみならず、幹部や社員、そしてその家族に至るまで、経営に苦しんでいる方々と触れ合えば触れ合うほど、私たちが成すべきことが次々と見えてきますよね。それはもう、無限にあるのではないかと思うほどに。

私は、自分の人生の中でこのエコシステムをある程度の形にまで持っていきたいという強い気持ちで取り組んでいますが、これは同時に途方もない挑戦だとも自覚しています。どれだけやり遂げても終わりがありません。80点、90点までは到達できたとしても、おそらく100点満点というゴールは存在しない。 「もっとこんな支援をしてあげたかった」「あの方を救えなかったか」という悔しさは、これからも消えることはないでしょう。私たちが支援しきれなかった方が、後に素晴らしい経営者として名を馳せるようなこともあるかもしれません。

そうした意味で、このエンドレスな戦いに挑む私たちにとって、このサミットは「これからどのようにベンチャーエコシステムを構築していくべきか」を見つめ直す、大きなターニングポイントになったと確信しています。

☆インタビューアー
D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太

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—近藤— 僕の人生は、決して順風満帆な人生ではなくて、どちらかというと遠回りの多い人生だったと思います。大学を卒業したあと、まずは会計士を目指していました。 朝から晩まで勉強して、2年ほど真剣に取り組んだのですが、全く試験に通らなくて。もともと会計士を目指した理由も、これがやりたいというよりは手に職をつけたいという程度の動機だったのですが、それでも「頑張ればできる」とどこかで自分を信じていたところがあったんです。それが全く通らないとなって、これはまずいぞと思っていた時に、たまたま同い年でホテルのイタリアンで6、7年働いていた友人が独立したいと言い出して、「前に会計や簿記をやっていたから、経理ができるだろう」と誘われました。実際にはできないんですが、「そこだけ手伝ってほしい」と言われて、飲食業界に足を踏み入れることになりました。 飲食の道に携わることになったのは、シェフとしてではなかったのですが、それが意外と面白かったんです。飲食業は、その人が作った料理を提供して「美味しい」と言ってもらえる、サービスとしての面白さがありました。もちろん最初は、立っているだけなのに偉そうだとお客様に言われることもあって、悔しい思いもしましたが、そこから飲食をやりたいという気持ちが芽生えていきました。 ただ、そこから1年半ほど経った頃、そのシェフに子供ができて、実家が福井のお寺だったこともあり、「跡を継ぐために帰る」と言われてしまったんです。お店をそのまま譲るからと言われたのですが、正直、退去費用の心配の方が先に立ってしまって、どうしようと悩みました。結局レトルトのような簡易な形でお店を続けようとしたのですが、お客様が離れていってしまって、これはだめだと痛感しました。 その後たまたま見つかったのが和食のお店で、そこで働かせてもらうことになりました。さらにその時に知り合った社長さんから「経理ができるなら、経理だけやりなさい」と言われて、3年ほど経理担当としてサラリーマン生活を送っていました。30歳の時に、このままでは40歳になった時に後悔すると思い、「自分は何が好きなんだろう」と自問した結果、出てきたのがフットサルとラーメンでした。 ラーメン屋をやったら何とかなるかもしれないと思ったのですが、実は自分でラーメンを作ったことは一度もなかったんです。イタリアンのレストランでも、料理はほぼ作っていませんでしたから。ただその少しだけ手伝わせてもらった経験が本当に面白かった。それで、30歳の時に「よし、これをやってやろう!」と決めて退職しました。 親からしたらたまったものではなかったと思います。せっかくまともに働き出したと思ったら、辞めてラーメンをやると言い出したので。母は何でもやったらいいという性格でしたが、父は「大学まで行かせて何を言っているんだ」という反応でした。それでも、すでに引っ越しの手配まで済ませてから話をするような形で、なかば強行突破のように独立の道を歩み始めました。 ラーメンをやると決めてから、当時大阪で1番と言われていたお店に履歴書を1枚だけ持って「働かせてください」とお願いに行きました。「変わったやつだな」と言われながらも受け入れていただいて、そこで4年間修行させてもらいました。いまでも感謝してます。 最後の1年ほどは、僕を応援してくださるお客様も増えていて、ある意味プレ営業のような状態になっていました。結果として、その流れをそのまま引き継がせていただく形で独立することができました。 修行時代の最後の2年間は、本部のマネージャー的な仕事も任せてもらっていて、スーパーバイザーのような業務や、売上をどう伸ばすかという経営視点の仕事も経験させてもらいました。たまたま経理の勉強を会計士のために没頭していただけのつもりが、簿記の考え方や会計学は自分を物凄く助けてくれました。結果としてすべてが今につながっているという感覚があります。 —杉原— ラーメン作りだけでなく、経営という面での修行もそこでされていたわけですね。 —近藤— 当時は、そんなつもりで学んでいたわけではなかったのですが、振り返るとそれが今、しっかり生きています。 —杉原— サラリーマンから起業した経営者の方にも、最初は会社員として働いていて、そこでの経験の点と点がつながって今があるんだと語る方が多くいらっしゃいます。近藤社長の場合も、一生懸命やっているうちに、それがすべてつながっていったんですね。 —近藤— 本当にそうです。一生懸命やっていました。特に本部での2年間は、絶対に戻りたくないと思うくらい大変でした。朝8時前に出勤して、夜12時前に帰る生活を続けていて、正直、自分に才能があるとは思えないような日々でしたが、やりきろうと思っているうちに独立できるところまでたどり着きました。 ◆ ラーメンの「枠のギリギリ」を攻める — ホロホロ鳥という差別化戦略 —杉原— では、ラーメンそのもののお話に移らせてください。ラーメン好きの読者の方も多いと思うので伺いますが、「麦と麺助」で提供される看板ラーメンは、フランス料理などでお馴染みのホロホロ鳥を材料として作られたスープが最大の特徴だと伺っています。私もいただいたことがありますが、珍しくスープを飲み干せるラーメンでした。このホロホロ鳥という食材は、味わいを作るうえでやはり重要な存在なのでしょうか? —近藤— はい、重要な食材です。福島の「燃えよ麺助」が鴨で、「麦と麺助」がホロホロ鳥というように、それぞれのお店で使う食材を変えています。最初から差別化というところは強く意識していて、単に「美味しいラーメンを作りました、いい食材をたくさん使っています」と言われても、僕がお客さんの立場だったら正直あまり惹かれないんです。 ラーメンという枠組みの中で、1番端っこにあるギリギリの食材は何だろうと考えていました。ラーメンの枠を超えてしまってはいけない、例えばワニ肉のようなものでは、多分誰も食べたいと思わない。日本人のルーツにある「美味しい」という感覚の延長線上にある食材を1つフィーチャーすることで差別化を図る、というのが、福島のお店で鴨を使った理由の1つでもあります。醤油、味噌、豚骨という分け方が一般的だった時代に、うちは鴨、しじみ、ホタテという素材そのものにフォーカスしたラーメン屋という位置づけを作ったつもりです。 —杉原— 1つのお店で情報を出しすぎない、というのもポイントなんですね。 —近藤— その素材にフィーチャーしたラーメン屋というのは、当時はあまりなかったと思います。もう1つ、僕自身が飽き性だという理由もあって、鴨のラーメンを福島でヒットさせたなら同じ路線を続けてもよかったのですが、それだと飽きてしまう。それで考えた結果、フランス料理のメインディッシュになるような食材は何だろうと調べていきホロホロ鳥という、正直よくわからない食材にたどり着きました。実際に食べてみたら美味しかったので、これでやってみようというノリで始めました。 —杉原— それはトッピングの肉やチャーシューとしてではなく、スープに使うべきだという発想だったのですか? —近藤— スープに使うのはもったいないという声もあるのですが、やはり全然違うんです。油の軽さやコクの深さが、一般的な鶏とは少しずつ違っていて、スープに突き詰めて使うことで他のお店とは全く違うものになるのではないかと考えました。 ホロホロ鳥の丸鶏そのままを、肉から全てスープに使うというのは、おそらく今でもうちくらいしかやっていないと思います。コストが合わないからです。 また、ちゃんとルーツもある食材で、もっと遡ると『雉肉』は平安時代あたりから貴族の贅沢品として食べられていたようです。豊臣秀吉が鴨を好んでいたという説から「鴨難波」という言葉が生まれたという由来もあるくらいで、日本人と鴨・雉のような食材には、意外と深いつながりがあるのだと思います。 ◆ 「完成」はいらない — 現場の反応から生まれる改善 —杉原— この究極のラーメンというのは、完成してから提供を始めたのか、それとも日々お客様に提供する中で、だんだん今の味に近づいていったのか、どちらだったのでしょうか? —近藤— 完全に後者です。ある程度美味しいものができた段階でスタートして、僕はお客様の反応を見ながら味を寄せていくタイプなので、現場の顔を見ながら「こちらの方が良かったかもしれない」というのを選び取っていく形です。何回リメイクしたか数えきれないほどで、100や500では全然きかないくらいリメイクを重ねています。 お塩の量を考えるとわかりやすいのですが、実は塩の種類を変えただけでも、同じグラム数なのにミネラル分の違いでまろやかさが変わったりします。そういう繊細な違いを、日本人のお客様は特に感じやすいので、さらに美味しくなるように日々試行錯誤を重ねています。 —杉原— それはお客様に直接聞くというより、表情を見て判断するのですか? —近藤— もちろん直接聞くこともありますし、食べてくださっている様子を見ることもあります。結果として、そのラーメンが美味しいから偉いのではなく、お客様に求められているから価値がある。求められる数が増えれば増えるほど、需要が大きくなっていくというのが基本だと思っています。 —杉原— これは特にベンチャーステージの企業とすごく重なる話です。走りながらプロダクトを提供して、フィードバックを得て、また改善するということの繰り返しで、軌道に乗るまで、狙ったお客様に深く浸透するまでの間、何度もトライアンドエラーを重ねるという話がありますが、ラーメン店もまさにそうなんですね。 —近藤— ラーメン店に限らず、あらゆるビジネスに共通することだと僕は思っています。美容師であっても、アプリを作る会社であっても、ラーメン屋であっても本質的には一緒で、基本的には需要が発生する形にどう持っていけるかが重要だと思います。 実際、面白いデータがあって、有名レストラン出身のシェフが独立した場合、味は間違いなく美味しいので、成功率で言うと9割くらいありそうですが、実際には4割ほどが数年で失敗してしまうというものがあります。それだけ味以外のビジネスの部分に目を向けていないと、味だけが完成していてもうまくいかないという、わかりやすい事例だと思います。求められているものを置いておきつつ、それ以外の部分は環境に合わせてどんどん変えていく方が、結果的に生き残っていく。自分のやりたいことを押し通すスタイルはやはり長続きしないのだと思います。 もちろん、語れるだけの知識や技術の裏付けは必要ですが、メインはあくまでお客様が求めるものを作っていく、自分のお客様ならこれを食べたいだろうというものを作っていく、というのがベースにあります。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【麦と麺助】 オーナー:近藤佑介 所在地:大阪府大阪市北区豊崎3-4-12 開業:2018年5月19日(2016年4月、姉妹店「燃えよ麺助」を大阪・福島にオープン) 姉妹店:燃えよ麺助(大阪・福島)、なにわ麺次郎各店舗(大阪・難波&梅田) Part2では、 ・一流の料理人から学ぶという姿勢 ・行列店ならではの経営とコストのリアル ・多店舗経営とブランドの育て方 ・麻布台ヒルズのポップアップストアと希少な高坂鶏との出会い などについて伺っています。Part2もお楽しみに!
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2026.09.10
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part2】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの最終回となるPart2では、赤松社長のバンドマン時代の経験や起業のきっかけ、組織づくりへのこだわり、大病をきっかけに立ち上げたエンタメ事業、そしてディ・ポップスグループへのM&Aの経緯やベンチャーエコシステムへの共感、5年後のビジョン、読者へのメッセージについてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 「バンドマン時代」の経験が経営に活きている —杉原— 事業の話から少し離れて、社長のキャラクターを深掘りさせていただきたいと思います。元はバンドマンだったという話を聞いたことがあるんですが、本当ですか? —赤松— はい、本当です。若い頃はベースを弾いていて、会社経営とは全く違う世界にいたんですが、バンドも一人だけ上手ではチームとしてまとまらないので、結構会社経営と似ている部分もあるのかなと思います。 それぞれ個性もありますし、能力もあります。でも、一つのステージを作るという意味では、会社経営も一緒なのかなと。 —杉原— チームワークやバランス感覚を、音楽の分野で長く経験されていたんですね。その頃のバンドマンとしての経験は、社長業に役立っていますか? —赤松— そうですね、わからないですけどね。ライブでお客さんの反応を見ながら、相手が何を求めているかを感じ取る、という感覚は活きているかもしれません。 —杉原— 確かに。大手企業と取引をするには、空気を読めないと無理ですものね。 ◆ 「納得できる会社をつくる」――opzt創業の原点 —杉原— 最初に少し触れていただきましたが、改めてお聞かせください。opztを起業したきっかけと、創業から13年間を振り返った今のご感想をお聞かせください。 —赤松— 元々の起業のきっかけは、大きな会社、大企業を作りたいという計画があったというよりは、自分自身の責任で事業をやって、自分たちが本当に納得できる会社を作りたいという、割と志が低めの起業ではあるんです。壮大なビジョンはありませんでした。 本当に20年ぐらい前の人材業界は、超がつくブラック企業が多く、その中で働きながら、もっと働く人を大切にしたらいいのではないか、お客様にももっとクイックに柔軟に対応できる会社ができるのではないかと、ふつふつと感じる部分があったので、2013年に創業したというのが元々の経緯になります。 この13年を振り返ると、本当に会社の売上や規模以上に、人とのご縁でなんとかここまで来られたという感覚が大きいですね。 —杉原— 壮大な大企業を作るというより、具体的な計画がないまま起業してうまくいかない社長もいる中で、本当に理想の職場をみんなに提供したいという思いと経験から始まっているというのは、素晴らしいですね。 私自身、以前勤めていたシステム会社にエンジニアになるつもりで入ったのに、結局昔は派遣業だったんです。自分の上司なんて半年に1回ぐらいしか顔を出してくれなくて、派遣先の工場でずっと仕事をしていたんですが、あの頃は単価としてしか見られていなかったんです。現場ではすごく評価されていても、給料には全然反映されない。そんな時代でしたよね。結局、3年で辞めてしまいました。(笑) —赤松— 本当にそうです。僕らも、派遣スタッフに有給を取らせるなとか、人が足りなければ道端で声をかけてこいとか、そういう時代でした。 数字だけで見られて、もっと残業させろとか言われて。無茶苦茶な時代でしたね、本当に。 —杉原— それに関連するんですが、創業時、創業間もない頃から社員になっている方が長く続けられている印象があります。組織作りや会社運営の面で、人に関してこだわりや心がけていることがあればお聞きしたいです。 —赤松— 本当に、単純に感謝しかないというか、長く働いてくれる社員が多いので、本当にありがたいなと思っています。 大切にしているのは、社員を単なる役職や数字だけで見ないということです。人それぞれ得意なこと不得意なことがありますし、営業が得意な人もいれば、管理が得意な人もいます。同じ型にはめるのではなく、それぞれが活躍できる役割を作ることを意識しています。 また、創業メンバーだけで意思決定するのではなく、新しく入った人にもきちんと機会を与えて、次の経営人材や責任者を育てていきたいという思いがあります。そういった昔ながらの良さを残しつつ、属人的ではなく、仕組みで動く組織に変えていくということを意識してやっています。 ◆ 拠点を管理せず、経営者を育てる――複数拠点のマネジメント哲学 —杉原— 私自身、渋谷ヒカリエに拠点を置く東京のopztチームの皆さんとよくお会いします。東京のopztチームの皆さんは、社長がいらっしゃらなくても本当に真面目に、和気あいあいと、真剣さもありながら冗談を言い合いながら明るく雰囲気よく仕事を回されているんですよね。先ほどお話にあった名古屋、四国、九州と点在しているオフィスの中で、スタッフや社員の方々がどうしてそんなに自主自立してしっかりと仕事をされているんでしょうか? —赤松— そうですね、各拠点を細かく管理しすぎないというのが、実はキーになっています。地域によってお客様や採用のマーケットもまったく違うので、本社の成功パターンをそのまま押し付けてもうまくいかないというのが過去にありました。 東京のチームが自走できているのも、現地のメンバーが自分で考えて意思決定し、結果にコミットしてくれているというのが大きいと思っています。拠点を管理するというよりは、拠点の経営者を育てる感覚に近いですね。 —杉原— 凄いですね。みんな本当に自分が経営者だという雰囲気で、東京の成績を上げるんだと動いているんですね。 ◆ 大病が教えてくれたこと――エンタメ事業「SELEBRO」誕生の背景 —杉原— 話は変わりまして、赤松社長はopztとは別にエンタメ系の事業をされているとのこと。こちらはopztの後に立ち上げられたんですよね、「SELEBRO」という会社ですね? —赤松— そうですね。今、「SELEBRO」という会社で、ライブハウスやナイトクラブ、アーティストのマネジメント、音楽フェスなどのイベントの企画を行っています。 ビジネスモデルとしては、本当にがっつりエンタメとテクノロジーを合わせたような、エンタメテックのような事業もやっています。opztとは別で、本社も大阪でここではないんですが、元々私自身が音楽やエンタメが好きだったというのもありますし、きっかけとしては、僕自身が脳動脈解離という病気になって入院したことが大きいです。 2018年の12月にディ・ポップスグループにジョインをして、その半年ほど後、2019年の6月か7月頃です。本当に突然のことで、病院に行ったらすぐに入院してくださいと言われて。本当に深刻な状況で、もう明日死ぬかもしれない状態で1ヶ月過ごしました。 そこで人生観が180度変わったというのが大きいです。それまでは自分自身の未来はまだまだあって、根拠もなく80歳、90歳ぐらいまで生きて死ぬんだろうと勝手に思っていたんですが、それがひっくり返って。音楽もいつか将来、長い人生のどこかのタイミングでチャレンジできたらいいなと漠然と考えていたんですが、病気を経験してから、いつかではなく、いつ来るかわからないので、人生の最後にあれをやっておけばよかったという後悔だけはしたくないと思うようになりました。 そういう心持ちでいると、昔の音楽の縁や、すごくいい場所ができたりと、引き寄せのようにどんどんそういう巡り合わせがあって、これはもうやるしかないなと思いました。代表の後藤さんにもちゃんと話をして、「こういうことをやりたいんです」と伝えました。ただし、「opztもちゃんとやるならいいよ。」ということで、中途半端にはやってほしくないという話をいただきました。 ちなみに病気は治りました。結局、手術には至らず、その後は回復して、今は健康に過ごせています。 今は第二の人生を生きている感覚があります。やりたいことを「いつか」に先送りしないようになりました。 いつ死ぬかわからないので。 ◆ 会社の個性を尊重してくれた――D-POPS GROUPを選んだ理由 —杉原— 病気のことまでお話いただいてありがとうございます。大変なご経験をされたんですね。2018年にM&AでD-POPS GROUPにジョインしていただきましたが、その経緯や、いくつもオファーがあったと思う中で、ディ・ポップスグループを選んでいただいた理由をお聞かせいただけますか? —赤松— 当時、会社は5年目ぐらいで、10億円にいくかいかないかぐらいの規模感だったんですが、一定の規模まで成長していく中で、次のフェーズに進むためには自分たちだけでは持てない経営資源や知見が必要だと思うようになったのが、最初のスタートでした。 順調に成長していたので、いろいろな企業からお話をいただいたんですが、単純に会社を買収するという考え方ではなく、経営者である私自身や会社の個性をしっかり残しながら一緒に成長していくという、D-POPS GROUPの考え方と、後藤さんの人柄に魅力を感じたというのが理由です。 M&Aをした仲間も多いんですが、結局グループ入りした後に経営方針が変わったり、創業経営者が経営から離れるケースも多々見てきたので、そういう意味でも、ディ・ポップスグループは引き続き私自身が経営をさせていただいていますし、opztの文化や強みを尊重しながら成長させてくれています。優しく見守ってくれているというのがすごくいいなと思っています。 本当に、条件面などではなく、誰と一緒に経営するか、グループ入りした後に社員が前向きに働けるかというところを重視して選んだという感じです。 —杉原— その時の期待通り、10億円ぐらいの規模だった会社は、この6年間で大きくなりましたよね。経営体制が変わらないまま、後藤社長やディ・ポップスグループの経営会議などからの学びは結構ありますか? —赤松— そうですね。本当にいろんな面で日々勉強させていただいていますし、今もメンターシップもいただいていて、日々勉強させてもらっている感じです。 ◆ 「グループから次々と経営者が生まれる」ベンチャーエコシステムへの共感 —杉原— 素晴らしいです。では最後に、「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしているディ・ポップスグループですが、この目標に共感する部分や、エコシステム作りを意識した活動などがあればご紹介ください。 —赤松— たくさんあるんですが、特に共感するのは、一社だけが成功するのではなく、グループ内から次々に経営者や新規事業が生まれていくという考え方です。 僕自身も創業経営者として、会社を大きくすることだけが目的ではなく、社員の中から次の事業責任者や経営者が生まれ、その人がまた新しい会社や事業を作っていく、そういう循環する環境を作りたいと思っています。 opztでも、各拠点に権限と裁量を与えて、小さな会社を経営する感覚で拠点運営をやってもらっています。その事業で生まれた人材や資金、信用を次の事業に循環させていくというところが、ベンチャーエコシステムにつながるのではないかと考えていて、そこにすごく共感しています。 —杉原— opztさん自身の中でも、エコシステムができているようなイメージですね。 —赤松— そうですね。規模はまだ小さいですが、通ずる部分があると思っています。 ◆ 5年後、人とテクノロジーで企業の成長を支える会社へ —杉原— 5年後のopztはどのような姿、あるいは具体的な目標があれば教えてください。 —赤松— 5年後は、先ほども出た通り、単純に人材を派遣するだけの会社ではなく、人とテクノロジーを組み合わせて企業の成長を支援していくような会社になりたいと思っています。引き続き派遣事業は大きな基盤でもあるので、しっかりここはやりつつ、AIやデータ、データセンター領域の比率をより高めていきながら、専門性と収益性の高い事業構造に変えていきたいと思っています。あとは、社員やスタッフがきちんと成長して、お客様から長く必要とされること、適正な利益を出しながら新しい事業に投資できるくらいの会社にしていきたいと思っています。 ◆ 読者へのメッセージ —杉原— では最後に、読者の方に一言、何でも結構ですのでお願いします。 —赤松— opzt自体はまだまだ未成熟な会社ですし、これからAIをはじめテクノロジーもすごいスピードで変化していくと思いますが、当社としても過去の成功にとらわれず、新しいことにチャレンジしたいと考えています。仕事を探している方がもしこの記事を見てくださる機会があれば、今の経験だけで自分の可能性を決めてほしくないなと思っています。今経験がなくても、学んで挑戦することで新しいキャリアを作ることができますし、企業の方が見てくださっている場合は、人材の紹介だけでなく、組織作りや業務の改善、新しい事業の挑戦についても一緒に考えられるパートナーでありたいと思っていますので、少しでも興味を持っていただけたら、お気軽にお声がけください。 —杉原— 素晴らしいです。ありがとうございました! ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part1はこちらからご覧ください!
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2026.09.03
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part1】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの第1回となるPart1では、opzt株式会社の事業内容や大手企業との信頼関係の築き方、テクノロジー領域への展開、人材育成、そして生成AI時代への向き合い方についてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 人材とテクノロジーを軸に、5拠点で全国展開する事業を紹介 —杉原— D-POPS GROUPでは、現在26社のグループ会社が仲間となっています。 今回は、2018年にグループ入りしたopzt株式会社の代表取締役 赤松 文則さんへ、インタビューさせていただきます!宜しくお願い致します。 まず初めに、ホームページにも掲載されていますが、改めて赤松社長ご自身の言葉で、事業内容の概要をご紹介いただけますか? —赤松— 事業としては、人材派遣・人材紹介、アウトソーシングを含めたHR事業と、ITのテクノロジー領域を扱うTech事業を中心に展開している会社です。創業当初からやっているのは、通信業界を中心とした事務系やコールセンター、営業支援・販売支援の人材サービス事業です。現在は大阪、東京、名古屋、四国、福岡の5拠点で展開しており、全国で多くのメンバーが働いてくれています。直近では、従来型の人材サービスだけでなくITのテクノロジー領域にも力を入れておりまして、その中でもAI、データサイエンティスト、インフラエンジニアといった専門性の高い人材サービスを展開しています。 今はSES(システムエンジニアリングサービス)や業務委託・受託という形が中心ですが、将来的には自社開発したものを販売していく、自社でも開発をやっていきたいという思いはあります。 —杉原— ちなみに社名の由来を教えてください。 —赤松— お客様に選んでいただく会社になりたいというのが元々の由来です。「チョイス」は複数の中から選ぶイメージがありますが、「オプト」は特定の一つだけを選ぶという意味合いがあるので、そういう会社になりたいという思いを込めました。すでに「オプト」という有名な会社があったので、同じ表記は避けたいと思い、アルファベットの最後の文字である「z」を入れて「これ以上ない、いい会社」という意味を込めた造語にしました。 —杉原— 英語から着想を得て、造語で完成させたということですね。派遣している人材の規模は、社員として何名くらいになるんですか? —赤松— 社員といわゆる登録派遣の方を合わせて、今550名ぐらいです。 ◆ NTTとの絆を築いた、創業2年目からの信頼の積み重ね —杉原— とても大きな人材の母数をお持ちですが、その方々を派遣する先の開拓についてお聞きしたいです。事前にお聞きしていますが、NTT関連の取引先がとても多いと聞いています。そんな大企業と取引できるようになったのはどんな背景があったんでしょうか? —赤松— 元々は僕自身がサラリーマンとして働いていた時に、NTTグループさんを担当していたというのが大きいです。当時は本当に若造だったんですが、その時からいろいろな重鎮の方々に可愛がっていただいて、仕事上のお付き合いだけでなく、人としての信頼関係を築くことができました。その後、僕自身が独立するタイミングで、当時お世話になっていたNTTの幹部の方が「赤松が独立するなら応援したい 」と言ってくださって、顧問という形で力を貸してくださることになりました。 それがきっかけというわけではないんですが、独立のタイミングで前職のメンバーや、NTTで実力のある方々が色々とジョインしてくださったのがきっかけになります。 そういう方々の長年の信頼とネットワーク、人脈も含めて、NTTさんをはじめとする大手企業とのつながりが非常に多い方が多かったので、そこをきっかけに取引ができたというのが最初のスタートになります。 そして、本当に奇跡的に、創業2年目という非常に早い段階で、NTTさんと契約することができました。 NTTさんとしても、当時は弊社が帝国データバンクの評価も定まっていない、まだ評価されるべき会社ではなかったので、かなり異例だとは思います。 —杉原— NTTさん以外にも大手企業が顧客として多くあると思うんですが、営業で悩んでいるスタートアップも多い中、赤松社長及び経営チームはどうやってここを開拓してこられたんですか? —赤松— 本当にありがたいことに、2年目でNTTさんという大きな企業と取引できたことで、大きな会社と取引する難しさ(情報管理やコンプライアンス、人材の質など)を試行錯誤しながら学べたことが大きかったです。ある程度、NTTさんとの信頼関係ができたり、大手との付き合い方が組織としてできるようになったので、それを他の大きな企業にも横展開していくのが、比較的早く立ち上がったという感じがあります。 以前からそうですが、契約を取る営業というよりも、契約をいかに長く続けられるかという営業を大切にしています。今もNTTさんをはじめドコモさんなど、大手企業との取引が続いているのは、一つ一つの積み重ねでできたんじゃないかと思っています。 —杉原— 赤松社長が特に気をつけていること、大手企業と取引を継続するために、あるいは先輩たちから可愛がられる理由として、ご自身ではどう思われますか? —赤松— 本当に、小さな約束を守り続けた結果の積み重ねだと思っています。信頼関係というか、先ほどお伝えしたような人材の質、コンプライアンスや情報管理がきちんとしているか、現場で問題が起きた時に隠さず、すぐに報告し、会社としてどう改善するか、 大きな企業ほどそこを見ていらっしゃるので、一つ一つ、スピーディに対応しながら徹底する。社員もそれを徹底する、その積み重ねなのかなと思います。 僕たちも何もないところからのスタートで、最初の入口は人脈だったかもしれませんが、これだけ長くお取引が縁だけで続くとは思っていません。積み重ねなのかなと思っています。 ◆ 「単純業務から専門性の高い領域へ」――AI時代を見据えた事業の差別化 —杉原— 提供するサービスである事業についても、この13年の間にピボットされているという印象があります。特に最近、テック関連の派遣ビジネスを始められたと思うんですが、どのように差別化をされているんでしょうか? —赤松— 元々ピボットしようという意識ではなく、ずっと人材マーケットを見ていく中で、単純業務や定型業務はAIによる自動化になっていくというのが一つのきっかけとしてありました。一方で、AIやデータの領域、データサイエンティストなど、そういうAIを活用できる人材の需要が高まってきたというのも一つのマーケットの動きとしてありました。当社としても、今まで通りの人材サービスをやっていれば必ず淘汰されると思ったので、成長性の高い分野に力を入れないといけないと考えたのが、今から3、4年ぐらい前のことです。 ただ、従来型のSES企業と同じことをしても意味がないと思っていたので、私たちは特にAI・データ領域のエンジニアやデータサイエンティスト、さらにデータセンターを支えるインフラ領域の人材など 、これから企業の競争力に直結するところに絞って展開しています。 また、すでに高いスキルを持っている方だけを採用するのではなく、未経験でポテンシャルの高い人材を採用し、教育し、実務経験を積ませながら専門人材に育てるという取り組みも並行して行っています。人材派遣で培ってきたノウハウと、テクノロジー領域の専門性を組み合わせているところが、他社にはない差別化の部分だと思っています。 —杉原— 今お話に上がったデータセンター周りというのは、さすがだなと思いました。米国ではITエンジニアのリストラが増える一方で、電気工事士の需要が高まっている、公認会計士をやめて電気工事士や配管工になる人までいるというニュースを見て、単純に手に職ということなのかと思っていたんですが、それがデータセンター建設に関わる仕事だったんですね。人手がまったく足りないと聞きますし、半導体やサーバーで日本のメーカーも潤っていますが、最終的にそれを設置する人という需要もあるということですよね。 —赤松— おっしゃる通りです。特に大阪は、東京のバックアップとしてデータセンターがどんどん増えています。東京がこけても大阪でデータを守れるという位置づけで、今どんどん建設されています。24時間監視が必要だったり、辺鄙な場所にあったりして、通信キャリアさんも人手不足でずっと困っていらっしゃるので、ここはしっかり取り組みたいと考え、力を入れています。 僕自身もAIをいろいろ使っていますが、結局トラフィックがどんどん増えていっているのは事実ですので。 ◆ 「選ばれる会社」であるための採用戦略と教育プログラム —杉原— さて、そういったサービスを提供する顧客に対して、実際に派遣する人材の獲得についてお聞きしたいです。うちのグループの中でも採用にはなかなか苦労しているという話を聞きます。コストだけでなく、そもそも人が少ない中で、赤松社長としてはどう取り組んでいらっしゃいますか? —赤松— 当社も完璧にうまくいっているわけではないですが、一つの採用手法だけに依存しないということを大切にしています。求人媒体、人材紹介、リファラル、SNS、採用イベントなど、職種や地域に応じて複数の採用経路を使い分けているのが特徴です。 それ以上に重要視しているのは、応募者から選ばれる会社になることです。今の求職者は、給与や仕事内容だけでなく、入社後にどんな経験ができるか、どんなキャリアにつながるか、会社が自分をどう扱ってくれるかをよく見ていらっしゃいます。そのため当社としても、いいことだけを伝えるのではなく、仕事内容、職場環境、期待される役割をすべて正直に説明するようにしています。採用した人数よりも、入社した人が活躍して長く働いていただけることを重視して取り組んでいます。 —杉原— 素晴らしいです。opztさんに入社した時、必ずしも高いスキルを元々持っている人だけではなく採用して、教育プログラムがあるというお話でしたが、もう少し詳しく教えていただけますか?テクノロジーに縁のなかった人でも、その分野に派遣されるような人材になれるんでしょうか? —赤松— 基本的な教育として、ビジネスマナーや情報セキュリティ、コンプライアンスの基礎教育に加えて、それぞれの配属先に応じた研修を行っています。特にテックの領域では、オンラインで学んでいただくだけでなく、課題を作って発表してもらったり、資格取得を支援したり、先輩エンジニアによるフォローを組み合わせたりして、学んだ内容を実務で使える状態にすることを重視しています。 また、技術力だけでなく、コミュニケーション力や報連相、お客様の意図を理解する力も重要だと思っているので、そういったところも人によってプログラムを変えて実施しています。「またこの人にお仕事をお願いしたい」と言っていただけるような人材を育てるのが目標です。 ◆ 荒波か、追い風か――エージェンティックAI時代への対応 —杉原— さて、このような人材派遣業、特に最近注目されている技術者の派遣業にとって、気になるのが生成AI、特に最近ではエージェンティックAIですね。この波は荒波だと捉えていますか?それとも乗っかるチャンスだと捉えていますか?どのような対策や対処を行っているでしょうか? —赤松— 荒波であり、危機ではあると思っていますが、それ以上に大きなチャンスだと考えています。先ほどもお伝えした通り、定型業務や単純業務はどんどんAIに置き換わっていっていますし、実際に置き換わっている実感がすでにあります。 ただ、今までと同じような人材サービスを続けていれば、間違いなく淘汰されると思っています。一方で、データを活用できる人材や、AIを企業に導入できる人材、AIでは代替できないコミュニケーション力・対人能力を持つ人材の需要は、右肩上がりに増えている実感があります。そういう意味でも、opzt自体が変化してこの波に乗っていくことができれば、非常に大きな波に乗れるのではないかと考えています。 当社では、AIやデータサイエンティスト以外の事務職や管理、採用といった職種でも、AIを使える人材を育成しようとしています。AIに使われるのではなく、AIを使う側の教育をすることで、他にはない差別化ができればと思っています。 ◆ さらなる成長へ向けた3つの新しい取り組み —杉原— ありがとうございます。事業のさらなる成長のために、直近で具体的に新しく取り組んでいることはありますか? —赤松— 大きくは3つあります。1つ目は先ほども出た、AI・データ、そしてデータセンター周りのインフラ領域の事業をまず伸ばしていくことです。2つ目は、1人単位の派遣ではなく、チームでご支援していく、アウトソーシングでより付加価値の高い契約形態をどんどん増やしていくことです。3つ目は、既存の人材サービスの部分でも、AIを活用して採用や面談、スタッフフォローといった業務の生産性を高めていくことです。 —杉原— チーム丸ごと派遣するというニーズがあるんですか? —赤松— あるんですよ。今は、そもそもそのスキルを持っているエンジニアがもういないというか、金額も高くなっているので、経験者と、私たちが育成している若手人材をチームとして組成して支援する 形が増えています。育ったら次の若手をチームに加えることで、現場の中で育成が循環する仕組みを作っています。 —杉原— 経験を積めますし、若手の方はその先輩と一緒に、同じ仕事、同じ顧客の中で同じ分野の仕事をすることで経験を積んで、いずれリーダーになっていくということですね。 —赤松— はい。企業側もそういう人材を育てられないので、丸ごとお願いしたいというニーズがあります。 大変な部分も多いですが、当社としても未経験者を入れられるということで、最近はその手法で企業さんにご紹介しているパターンが多いです。 —杉原— 確かに、一人で送るよりも、その人個人のスキルや経験は積めますが、会社としてノウハウが溜まっているのかという疑問がありますよね。おそらく戻ってきて、その人が今度は先生として社内でトレーニングをする。でも、その時間ってなかなか売上にならないですからね。むしろ、先生役だけをやらせるのではなく、現場で学ぶ経験を先輩から、派遣先から募集をいただきながら、そこで学びも得ているということですね。 —赤松— そうですね。それでどんどん今、この手法を広げていっています。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part 2では、 ・バンドマン時代の経験と経営への活かし方 ・opzt創業のきっかけと十三年間の軌跡、組織づくり ・大病を経て立ち上げたエンタメ事業「SELEBRO」 ・D-POPS GROUPとのM&Aの経緯とベンチャーエコシステムへの共感 ・5年後のopztが目指す姿と読者へのメッセージ などについて伺っています。Part2もお楽しみに!  
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2026.08.31
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