COLUMN

【エグゼクティブインタビュー】藤崎 一郎 顧問(元在アメリカ合衆国日本大使)~後編~

  • INTERVIEW
2024.10.16

今回は、「ベンチャーエコシステムの実現」のため2023年4月よりディ・ポップスグループの顧問に就任していただいた藤崎 一郎 顧問(元在アメリカ合衆国特命全権大使)へ、弊社代表取締役の後藤がインタビューいたしました。

今回はインタビューの後編になります。
前編は以下のURLからご覧ください。
【エグゼクティブインタビュー】藤崎 一郎 顧問(元在アメリカ合衆国日本大使)~前編~

 

-後藤-
それでは次の質問です。

一般の日本の大企業(新日鉄や伊藤忠等)でも社外取締役をされた経験があられますが、外務省で仕事をすることと、大きな違いを感じられたこと、また共通するものと感じられたことは、どのようなことでしょうか?

-藤崎-
大企業と外務省で大きな違いを感じたところは、外務省にいるときは決断にあたって常に対外説明、つまりアカウンタビリティを考えていました。民間ではそこが違うと感じました。

役所におりますと、マスコミと国会というのにさらされて、ちょっとでも何か不備があると対外的に発表が必要になります。例えばどこかの税務署で30万円紛失した場合、それを発表しなかったら大騒ぎになる。そして、 隠蔽工作をした等と言われてしまいますよね。警察だってそうです。

一方で、民間会社で同様に30万円の紛失があった場合、紛失後にすぐに見つけたら、今後はしっかり管理するようにいわれるだけで済みますし、基本的には経営陣の判断でコントロールできる。

役所にいる私どもはそこにエネルギーをかけすぎてるなと思います。

もう一点違うところは、外務省は大企業に比べるとフラットな社会でした。若い人もトップの場に行き発言が許されていました。大企業はヒエラルキーが厳しいように思います。

-後藤-
私も、世の中ほとんどの会社がピラミッド構造になってるので、若い人がチャンスを持ってやろうとしても、特別にものすごい努力したりとか能力が高い人がいても、昇進するまでものすごく時間がかかる。だから、そういった世の中でも、「若者にチャンスがある会社もあるよ」という選択肢を作ってあげないと未来がないなと思いました。それが会社を創ったことの 理由の1つでもあります。

-藤崎-
そうですよね。それは本当に大事です。そうじゃないと海外に逃げちゃうよね、みんなね。

-後藤-
今はそこからさらに発展しています。若者にチャンスのある会社を作ろうっていうところから、今はとにかく日本に起業家を増やして、挑戦するカルチャーや、 懐の深い社会をどんどん広げていこうと思っています。そうすることで、若い人たちが選択肢を持って、どういう会社で働くとか、どういうところに挑戦するか、あるいは起業するっていうこと自体も世の中から称賛されるような社会を、作っていく必要があると思って今頑張ってるんですよね。

-後藤-

それでは、外務省で様々な国と交渉をされてきた藤崎さんにお聞きしたいのですが、

世界的な複数の大国と付き合う場合のパワーバランスの取り方に関して、グローバルの中で、日本のプレゼンスをしっかりと堅持し、向上させる上で、アメリカやEUとの関係、また他のBRICSなどの大国と、どのようにバランスを取るべきだとお考えでしょうか?

-藤崎-
最近大企業のトップと話したときに、「ウクライナや北朝鮮、中国の行動に鑑み、民主主義、平和など、性善説はここ10年は封印して、性悪説でいくべきではないか」と話されました。私は「いえそれは同時です。表向きは性善説ですが、裏では常に性悪説です。誰が何をしてくるかわからないという備えをするのが安全保障の考えです」と言いました。

日本が北朝鮮、ロシア、中国の隣国であることを考えると安全保障のために米国に依存せざるを得ません。しかしそれはまったく同じ政策をとらなければならないという意味ではありません。米国と違い日本はキューバ、イラン、ミャンマーと常に良好な関係を維持していますし、米国が出てもTPPやパリ協定を続けました。声高にいわずにうまくやっているのです。グローバルサウスもBRICSも決して一枚岩ではありません。そのうちのインド、南ア、ブラジルなどとはできるだけいい関係を構築していくことが大事です。

海外に行くと、日本に対しての信頼感とか良いイメージをもっているっていう人が多いですよね。なので、今のままで基本的にいいんじゃないだろうかと思っています。

ただ、気を付けていかなきゃいけないのは、インドですね。インドという国は、中国が悪者になってるおかげでいい国のようになっていますが、なかなかしたたかな国です。インドとは何回かしか交渉はしたことないですが、最も難しい交渉相手でした。

-後藤-
産経新聞の連載の中で、 日本が頼りないという風に国民は言うけれど、素晴らしい功績としては、戦後70年くらい、 戦争が1度もないことを挙げていましたよね。なるほど、確かに素晴らしい功績だなと思いました。

-後藤-

では続いての質問です。

日本はバブル崩壊後から、失われた30年とよく言われていますが、グローバルに見て、日本の経済成長や発展が遅れをとってしまったのは、なぜだと思われますか?米国の社会学者エズラ・ボーゲル氏の「Japan as Number One: Lessons for America」の著書が出版された時とは、大きく様変わりしたかと思います。

-藤崎-
そもそもナンバーワンになることもあり得ませんでした。こんな狭い国で資源もなくて、それでも1億人もの人が暮らしている。こんな狭い国土にいるところは、相当な食べ物などを輸入しなきゃいけないんだからナンバーワンになるはずがないのに。友人でしたから言いにくいですが、おだてて本を売ろうという戦略です。

日本は資源もなく背伸びしないことが大事です。米国に言われて産業政策をすっかりやめたのがよかったか。やはりシリコンバレーみたいなものを政府と経済界でつくるべきだったでしょう。

一方で、日本ほどクリーンで快適なところはないと思います。アカセキレイ(安全、確実、清潔、規律、礼節の頭文字)というソフト面が非常に素晴らしい国です。

日本は人口減少化と言いますが、小さな国土の日本に人口1億もの人は本当はいらないかもしれない。国の大きさはせいぜいカリフォルニア州くらいで、そこにアメリカの3分の1の人口がいるんですから。そして日本の80%は山なんです。もう少し、日本の人口は減ってもいいかもしれません。 

昔の自動車産業などのような国内市場なんかいらないんで、例えば台湾のTSMCやフィンランドのノキアのように、国内市場関係なく事業を起こしていく。そういうことも考えながら、産業政策というものを作っていくべきだったんじゃないかなと思うんです。だから、そういうまさにベンチャーなりそういうものをやるということを全然してこなかったのが、ここに繋がっちゃってるんじゃないかなと思いますけどね。

-後藤-
今慌ててというか、5年前ぐらいからですかね、もうとにかくスタートアップベンチャーを後押ししないといけないという流れがありますよね。 政府もそうですし、あと大企業もベンチャー投資を加速したりとか、今やっとという感じなので、本当だったら30年前に進めないといけなかったことが今やっと本腰が入ったと感じています。

-後藤-

それでは最後に、駐米大使時代様々なアメリカの大統領と仕事をされた藤崎さんですが、

これまでにお会いされたアメリカの歴代大統領、もしくは各国の大統領や首相の中で、最も印象深く、心に残っている方は、どなたでしょうか?またそれはなぜですか?

-藤崎-
まずビル・クリントン大統領はね、演説をしてると、400人の聴衆がいても、みんな自分に話してると感じてしまうような話術を持った人らしいんですよ。そして、彼のすごいところは、とんでもない秀才なんですよね。アメリカで1年で50人くらいしか選ばれないローズ・スカラーという大学の優等生しか利用できない奨学制度で、オックスフォード大学に行くんですね。 

ところが、この方は全然授業を聞いていなかったらしいんです。ただね、これは人から聞いた話なんですけど、その50人の秀才たちが 集まって、この中で将来アメリカのリーダーになる人は誰だろうと言ったら、多数が「クリントンだ」といったらしいんですね。

全然勉強してない。でも勉強はできる。それだけじゃなく、一種の人間力だったと思うんですね。秀才ばかり集まって多数がクリントンさんを指名したと言うのはすごい能力ですよね。

それともう1つ、私との関係で申しますと、 小渕元総理が亡くなった時、私は外務省の北米局長だったんです。そのときクリントンさんは小渕元総理のお葬式に来られました。 お葬式の後、赤坂の迎賓館でレセプションがあったんですね。私は北米局長だったので、アメリカの大統領を案内する係だったんです。私が先導役で、クリントンさんを案内しました。その時クリントンさんは、私の後姿を見ることがほとんどで、会話も少しだけだったんですね。

その4ヶ月後に、森元総理が沖縄サミットをやったんです。その時、平和の礎っていうところで、クリントンさんがスピーチをすることになっていました。 実はそのとき、クリントンさんは中東の和平交渉をやっていたので来られるかどうかわからなかったんですよ。でもなんとか来てくださってスピーチをされました。

そのあとクリントンさんと握手をするために列ができたんです。私は、1番前の列にいたんですが、地元の方が握手したいと前のほうに来られたので、私はあとでまた会談の時お話しするタイミングがあるから、どうぞと言って、席を譲って後ろに行ってたんですよ。そしたらクリントンさんが握手をされているときに、ぱっと私を見てね、「お前ここにいるのか!」って言ったんですよ。4ヶ月前に東京で先導役としてお会いしただけなのに、特別な記憶力をお持ちなのか、あるいはこの人は人たらしで有名だから、4人ごとくらいに声をかけていたのかもしれません(笑) そんな人間力のある方でした。

一方で、バラク・オバマ大統領はね、 やっぱり秀才なんですけど、 黒人の方ということもあってなのか、自分が秀才だということを印象づけることを大切にされる方でした。

クリントンさんは自分の秀才さを一切見せないですよね。ここは違いがあるなと思いました。

-後藤-
逆にもう元々能力が高い方だからこそ、脳ある鷹は爪を隠すというか。

-藤崎-
そうなんでしょうね、おそらく。そして白人でもあるしね。
オバマさんもね、とってもかっこよくて、大体出てくるとワイシャツを腕まくりしてるでしょ。だけどね、本当はものすごい詰めの鋭い人なんですよね。

 

-後藤-
本日はお忙しい中、お時間を作っていただき本当にありがとうございました。
たくさんの学びと刺激をいただきましたので、これからの日本社会のために必ずベンチャーエコシステムを作り上げたいと思います。

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【あとがき ~株式会社ディ・ポップスグループ 代表取締役 後藤和寛~】

日本の外交で最も重要とも言える駐米大使や在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使などを歴任された藤崎さんにインタビューさせて頂き、本当に重みのある素晴らしいお話や経験談、そしてアドバイスをたくさん頂く事が出来ました。

あまりに楽しみでワクワクが止まらず、前日は特に、夢の中でも質問させて頂きたいことが頭に浮かぶほどでした。そしてたくさんの質問に、真摯にお答え頂きましたが、そのお答えはどれも会社経営に相通じるものばかりでした。

非常に難しい外交や政治の中で決断を出していく事は、想像を絶するものがあります。経営でもあまりに様々な目の前の事象が、さらに複雑に絡み合っている中から、出来る限り適切な解を出すことが常に求められます。そんな中で、藤崎さんからお話頂いた経験談やアドバイスは、私や、今現在リーダー役を担っている方々だけでなく、未来にその役目を担う方々にも、大変参考になる金言ばかりでした。

こちらの記事では、ストレートな内容のお話も非常に多かったため、掲載が出来ないことも多かったですが(笑)、実際は記事の内容の10倍ほどのインタビューをさせて頂きました。現在でも日米協会の会長や、中曽根平和研究所の顧問(前理事長)など、重職をされていますが、これからの日本の未来のために、藤崎さんの知見や経験を次の若い世代に是非継承していって頂きたいと、切に感じるプライスレスな機会になりました。

最後に、貴重な機会を頂いたことに、心より感謝申し上げます。

 

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-真崎- やっぱり親身にこまめに継続して丁寧に連絡をしていくことでしょうか。まだまだ出来ていないこともありますが、営業担当やサポート担当から電話だけでもいいので、御用聞きというか、今の状況を確認するようにはしていますね。 ~後編に続く~ ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太   【株式会社プラスト】 代表者:代表取締役 山下 友由 所在地:埼玉県さいたま市中央区新都心11-2 明治安田生命さいたま新都心ビル20階・23階 設 立:平成16年10月22日 U R L:https://www.plust.jp/   次回後編のインタビューでは、 ・導入事例のインタビュービデオについて ・社名の由来 ・「ベンチャーエコシステムの実現」に向けて ・5年後の理想の姿 などについてお伺いしています。 後編もぜひご覧ください!
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2025.09.17
【グループ代表インタビュー】後藤 和寛(D-POPS GROUP 代表取締役)~後編~
今回は、D-POPS GROUP の後藤代表にインタビューしました!D-POPS GROUPは社会になくてはならないベンチャーエコシステムの実現を目指し、ベンチャー企業の成長プラットフォームの創造に取り組んでいます。 ベンチャーエコシステムの実現や社会貢献活動に対する思いなどについてお伺いしました。 (こちらのインタビューは、2025年7月に実施しました。) 前編の記事は、こちらからご確認ください。 -杉原- あらゆる準備や活動が、後藤さんのビジョンである「ベンチャーエコシステムを実現する」ためなのですね。現在グループ企業25社、投資先35社ですが、エコシステムならではの成功例とかメリットがあった、という企業や事象の例などをご紹介いただけますか? -後藤- この質問もあらゆるパターンがあるので、お伝えしきれませんが、また当然、個別の社名もお答えできませんが、資金ショートをどう免れるかに関しては、当然あらゆる方法を経験シェアします。 資金調達と言っても、ものすごい数の方法があります。それを期限内に同時に怒涛の勢いで行えば、ほとんどのケースでは大きな調達が実現しています。V字回復においても同様に、ビジネスモデルや組織、営業手法など全てを同時に一気に変革すれば、大赤字の会社もほとんどは黒字に転換します。 私自身、思いっきり挑戦しますし、ここぞという時には大勝負をするタイプの経営者なので、その分、過去に修羅場は数え切れないほど経験してきました。いつも笑顔で仕事をしているので皆さん気付いていないようですが(笑)究極で言うと、経営者自身が飛躍的に自己成長し、明確に戦略を描けるようになると、業績は大きく伸びますし、赤字に陥るようなこともほぼなくなるというのが、私の持論です。経営者育成は、そこに重点を置いています。経営者が成長を実現すると、その後の業績も飛躍的に伸びていくことが非常に多いです。 -杉原- 後藤さんは複雑化戦略として、”韜光養晦”(とうこうようかい)という言葉を時々お使いになりますが、このHPもその一つだったんですね。D-POPS GROUPで行った、韜光養晦の例を他にも今回少し公開していただけますか? -後藤- 複雑化戦略は昔から言い続けていますが、シンプルに言うと、競合企業を煙に巻く戦略を意味します。真似をしようとしても複雑すぎて真似が出来ない状態を指します。 ”韜光養晦”と言う言葉は、顧問である元駐米大使の藤崎さんに教えて頂きました。1990年代に中国の最高指導者であった鄧小平氏「才能を隠して、内に力を蓄える」という中国の外交・安保の方針をそのように表現したそうです。D-POPS GROUPでも、昔、携帯ショップが10店舗になるまで、全て違う店名で出店をしたり、KDDIやイー・アクセスの創業者である千本さんが会長としてジョインして頂いた時も最初の3年は非公開にしていました。 それでいうと以前のホームページも情報を3割程度に抑えていましたし、今も売上でいうと、合計100億分以上のグループ会社の社名を掲載していません。 -杉原- また、「理想とするベンチャーエコシステムの形まではまだ3割だ」ということもよくおっしゃっていますが、10割の姿というのはどんなものなのか、そのイメージや具体的な数字を少しだけでも明かしていただけますか?まだ非公開でしょうか?(笑) -後藤- 日本でスタートアップやベンチャーの起業家が、投資や支援を受けるなら「D-POPS GROUP」と第一想起されるポジションまで、ベンチャーエコシステムを進化させたいというのがゴールです。 その時には、グループ会社や投資会社など支援をしている会社の総合計売上が1兆円を超えていて、連結決算の対象になる企業に絞ると売上1000億を実現していることがシンプルなイメージです。日本トップクラスの顧問の方々、そしてスーパープロフェッショナル人材も今の数倍は在籍して頂いているイメージです。私が支援している または 応援していると認識している企業数で言うと、500社程度のイメージです。 当然それを私一人でサポートするのは不可能ですから、驚くような支援体制を整えていくことになります。私も起業する前、情熱と戦略があれば、優秀人財はいくらでも採用出来る、仲間になってもらえると思っていました。 実際は、ほぼ売上がないような会社には誰も見向きもしないし、ちゃんとした報酬さえ支払えないという厳しい現実でした。つまり、スタートアップやベンチャー企業の経営者の代わりに、ベンチャーエコシステムとして人財、資金力、ノウハウ、情報、ネットワークなど、あらゆる経営資源を我々が持つことにより、必要な時にニーズに応じて、支援出来るようにしておくことをイメージしています。 それを活用するか否かは、それぞれの企業の経営者次第だと思っています。D-POPS GROUPの支援は上から指示を出していくようなものではなく、必要に応じて行う後方支援型ですから。また将来は資金的な支援の面においても、ユニコーン級のグループ会社や支援会社が出てきたときには、数十億~数百億を支援出来るような財務的な力を持つことも出来なければと思っています。 また、今、力を入れているAI系企業への投資も、たくさんの優秀なエンジニアが仲間に加わることで、最先端のデジタル戦略を支援出来る体制創りだと思っています。このように、あらゆることにおいて、支援出来る体制を究極まで持っていくことを考えると、ゴールはどんどん先に先へとなるので、ずっと理想を追いかける感じになるかと思います。 -杉原- この10月に「ベンチャーエコシステムサミット2025」を開催することを公開しましたが、どんなイベントに仕上げていこうとされていますか?招待した方々、すなわち起業家や経営者の皆さん、一部大企業の方々など、反響はいかがですか? -後藤- もの凄い反響を頂き、1週間足らずで満席となり、正直自分でも驚いています。一方、もしこのようなサミットを開催するなら、今私がプロデュース出来る最大出力で企画し開催するイメージで1年前からずっと準備をしてきました。 毎年、弊社グループの総会では、千本会長、藤崎顧問など錚々たる方々の講演を聞かせて頂く事が出来ます。しかし昨年度、突如私の頭の中でインスピレーションが舞い降りました。「これは我々グループの中だけで留めておくことは社会的な損失だ」と。そこで将来性溢れる起業家・経営者を集めたベンチャーエコシステムサミットを開催することをその場で宣言しました。 ご案内を流した経営者の方々に私の想いが伝わったのかと思いますが、本来は500名ぐらいの起業家・経営者に声をかけて、250名程度の申し込みを頂く想定でしたが、実際は90%以上の方々が参加表明を頂いたため、即満席となりました。今現在、参加想定が250名程度の参加になっていますが、会場側とも交渉し、あと数十名参加可能なように(MAX270名)調整する予定です。 私からまだまだお声がけしたい起業家・経営者がいましたが、もし「なんで私を誘ってくれなかったの?」と、この記事を読んで頂いた方で、ご納得がいかない方がいれば(笑)、ご連絡を頂ければと思っています。なんとか席を確保出来るように動きますので。 いづれにしても、一部の講演会やパネルディスカッションだけでなく、書道家やアーティストの方々のライブパフォーマンスまで、これでもかというぐらい、刺激と学びを詰め込んだイベントになりました。私の中では、もうこれ以上はないイベントに仕上がると思っていますので、参加者の皆さんの人生のターニングポイントになるような1日になればと思っています。 -杉原- すごいイベントになりそうですね。経産省を中心に、日本政府として、スタートアップの支援にようやく力が入ってきた感がありますが、そういう意味では、民間企業によるベンチャーエコシステム作りというのは、正に時流に沿った取り組みですね。追い風のようなものは感じますか? -後藤- 非常に感じています。最近は、CVCも資本業務提携もM&Aも、どの案件に関しても問い合わせが殺到しています。まだまだ私の中でベンチャーエコシステムは完成形に至っていないにも関わらず、エコシステムの仲間入りをしたいとたくさんのお問い合わせを頂いています。志が高く、ポテンシャルがあり、社会貢献意識の高い起業家を、今後もしっかりと支援していければと思っています。 日本で最も必要とされるベンチャーのエコシステムとは何なのか、もっともっと試行錯誤して、ブラッシュアップしていきたいと思っています。我々だからこそ出来るエコシステムを、残りの人生で必ず完成させたいと思っています。 -杉原- 今後、日本におけるベンチャーエコシステム作りがある程度成功したら、世界にも目を向けられるビジョンはありますか? -後藤- もちろんです。既にアメリカ、インド、イスラエルなど投資をしていますが、まだグローバルでのベンチャーエコシステムとしては、足りないものだらけです。グローバルでも当たり前のように仕事が出来る仲間をもっと増やし、体制を整えていく予定です。 -杉原- 後藤社長個人と、D-POPS GROUPの5年後の理想の姿とは? -後藤- 私の個人の理想も経営者としての理想も、ベンチャーエコシステムの実現、そこに集約しています。自分がこの世に生まれて大きな役に立てたと、死ぬ瞬間に自信を持って言えるものを残さなければと、大きな志と強い意志を持っています。執念でやり遂げる予定です。5年後、ベンチャー支援なら、ベンチャーエコシステムのD-POPS GROUPと当たり前のように言われるようになりたいと思っています。もちろん、グループ会社数、投資会社数、売上、利益なども、明確に意識しているKPIを持っていますが、何よりも、「ベンチャーエコシステム」というビジョンを実現すること、そこに尽きます。 -杉原- 最後に、このHPを訪問した読者の方に一言お願いします。 -後藤- 人生は誰にとっても一度きりなので、人生、後悔がないように生きることが大切だと思っています。大きなビジョンを持てば持つほど、必ず仲間が必要になります。このインタビュー記事をご覧頂いた方々の中にも、もし将来の仲間になる方がいたら、最高に嬉しく思います。また何かしら、このインタビューが経営のヒントになったなら、とても嬉しく思います。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太   【株式会社ディ・ポップスグループ】 代表者:代表取締役 後藤和寛 所在地:東京都渋谷区渋谷2-21-1 渋谷ヒカリエ32F 設 立:2015年10月1日(創業:1998年2月4日) U R L:https://d-pops-group.co.jp/
  • INTERVIEW
2025.08.05
【グループ代表インタビュー】後藤 和寛(D-POPS GROUP 代表取締役)~前編~
今回は、D-POPS GROUP の後藤代表にインタビューしました!D-POPS GROUPは社会になくてはならないベンチャーエコシステムの実現を目指し、ベンチャー企業の成長プラットフォームの創造に取り組んでいます。 ベンチャーエコシステムの実現や社会貢献活動に対する思いなどについてお伺いしました。 (こちらのインタビューは、2025年7月に実施しました。) -杉原- 祖業であるD-POPSの創業から27年以上経ち、またD-POPS GROUPを設立してグループ経営に移行してから10月1日でちょうど10年経ちますね。そして5年ほど前からは、エコシステム経営を提唱されていますが、これまでの27年、またグループ経営の10年、エコシステム経営の5年はどんな道でしたか? -後藤- 一言でお伝えすると、修行僧のような経営者人生だったと思います(笑)あらゆる逆境、逆風、谷底など苦難の連続でしたが、その一方、たくさんの感動や出会いがあり、本当に充実した27年だったと言えます。 最初は事業会社の社長として事業に集中し100億企業を実現しましたが、事業に集中することはすなわち、単一事業のみに依存することで、大きなリスクになりえることも経験し、そこから本格的なグループ会社経営に移行することを決めました。 グループ会社経営に移行し10社、15社と経営するようになった時に、講演依頼や勉強会の講師をしてもらえないかという話が非常に多くなり、出来る範囲でお受けしていくことにより、起業家や経営者の皆さん、私と同様に本当に苦労しながら経営されている実情を知り、その中でも最も手触り感のある(参加者の全ての顔と事業が覚えられる)勉強会の講師が、最終的に現在毎月のように開催している後藤塾として発展し、これまで累計約300名の起業家や経営者の方々に参加して頂きました。その結果、湧き出るようにインスピレーションが出て来たのが、人生を懸けて、ベンチャーのエコシステムを実現すること、つまり「エコシステム経営」の始まりです。 ベンチャーエコシステムと言うプラットフォームを創ることで、仲間を増やし、お互いがノウハウや情報、そしてネットワークなどシェアし、どこかの会社が突然の逆風で大赤字や谷底に落ちても、エコシステム全体で守り合い、助け合い、強固なリスクポートフォリオを実現する。仲間になるのは、グループ会社、投資会社、資本業務提携などどのような形態でも良く、もっと言うと資本関係が全くない会社も支援しているケースも多々ありますので、究極で言うと、私が実現したいことは「起業家や経営者に伴走しながら支援する社会的な仕組みの確立」とも言えます。 -杉原- 起業家として、世の一般会社員には想像を絶する険しい道を歩み続けてこられた原動力、情熱の源泉は何だったのでしょうか? -後藤- 情熱に関しては、起業してから一度たりとも失ったことはありません。25歳から今までずっと、溢れ出ています。源泉は何かというと、起業のきっかけは、イギリスの大学への留学でした。 多くの世界中の学生が明確に将来の夢を持ち、そこに向かって猛勉強をしている。私は留学する前まで、正直、遊んでばかりの大学生活を送っていましたが(テニスサークルやインカレサークルの代表など)、未来の日本に対して大きな危惧を持つようになりました。 10年後、20年後に、日本の経済力が下がり、特に東南アジアやBRICSなどの国が大きく発展し、相対的に戦前戦後の諸先輩方が築き上げた恵まれた日本を維持出来なくなるのでは、ということでした。日本の若者を力強く育成し変革したいと思っていた時に、松下幸之助氏の書籍と巡り合い、会社経営を通して、若者育成をする道があるということに気付きました。 最初は若者を直接育成することに情熱を燃やし、人数が数百名と増えた時には幹部育成に力を入れ、社員数が数千名になってからは、起業家や社長の育成に尽力してきましたが、原点はずっと同じ、日本の未来を担う若者がしっかりと成長する環境、挑戦する環境を創りたいという想いです。それが私の中ではずっと情熱の源泉であり続けたと思います。 自分がこの世にいなくなった後でも、次の子供達の世代、そしてその先の世代とより良い社会を残していけるようにと常に思っています。究極で言うと日本だけでなく、地球上のあらゆる人々に対して、同じ気持ちを持っています。 -杉原- その険しい道のりには数々の幸運、強運に救われたという経験がおありだと思いますが、後藤さんの考える”強運の掴み方”のコツのようなものを読者の方に公開していただけますか? -後藤- 一言でいうと、神様が応援したくなるような人間であるか、ということを大切にしています。誰にも負けない情熱があり、誰にも負けない努力をしている。自分が成し遂げようとしているビジョンや目標は社会的な意義があることか、などをとても大切にしています。加えて誠実・謙虚・感謝の心を持っていることもとても大切だと思っています。 これらのことから少しでもズレていると強運が全く起きず、しっかりと出来ていると驚くほど強運が起きるのには、自分自身もとても驚いています。もう一つ加えると、運気が良い人と付き合う事もとても大切だと思っています。当社の会長の千本さんも顧問の藤崎さんも私の中では強運のパワースポットのような方々です。社外取締役の内藤さんやアドバイザーの石黒さんも同じように感じています。 -杉原- また、後藤さんのお話の中には数々の”ご縁のおかげ”という話が出てきます。良縁をつなぐために日頃意識されていることは何でしょうか? -後藤- 強運の質問に対してお答えしたことと、かなり近い回答になりますが、 自分自身からより良い気が溢れ出るようにしておくこと、つまり、利他的な心や愛を持つことなどが良縁に繋がると思っています。そしてチャンスが目の前を通った時に、自分が実現しようとしているビジョンや社会的な意義をきちんと伝えること。そこに賛同して頂けると、ご縁が深くなり、時に支援して頂いたり、助けて頂いたり、と最終的な良縁になることを感じています。 -杉原- 後藤さんは個人的にも、またD-POPS GROUPとしても、【公益財団法人 こどもたちと共に歩む会】や【特定非営利活動法人 BONDプロジェクト】への支援など、多くの社会貢献活動をされています。CSR活動に力を入れていることもそういう思いからなのでしょうか? -後藤- はい、その通りです。少しでも苦しんでいる子供達を支援したいという想いは純粋なものですが、そのような活動に力を入れていると、まだ自分に強運が戻ってくるような不思議な感覚があります。でも強運にならないとしても、目の前に苦しんでいる子供や人がいたら、純粋に何かが出来ないかと思うことは、人として自然な考えだと思います。 -杉原- 経営者としての実力と絶え間ない努力によって、そして幸運と良縁に恵まれて、グループをここまで大きくしてきたのですね。売上は300億越えとなり、既に新基準においても東証に上場できる規模になっていますが、非上場を維持している理由を教えていただけますか? -後藤- 上場の良い点など当然理解していますが、私の経営はかなり独特ですから、全ての投資家の方々に理解して頂くのは厳しいと思っています。中長期ビジョンでどんどん投資をかけていきますし(短期の結果はあまり気にしていません)、虐待児童を支援する財団の活動にも15%ぐらいは自分の時間を割いています。ボランティアの一環として依頼を受けた際に開催している経営者の成長支援の後藤塾も20%ぐらいは時間を割いています。 上場企業の社長になったら、自社の実績を出すことに当然集中することがミッションですから、今の私にはフィットしないと感じています。ただ、ベンチャーエコシステムの中から上場企業は既に生まれていますし、これからはさらに続々と誕生していく予定です。 -杉原- ご自身は上場が目標や目的とは全く考えていないということですね。一方で投資や経営相談に乗るなどして上場を目指すスタートアップの応援をされています。また、ユニコーンを多数輩出するプラットフォームを構築するというビジョンを描いています。D-POPS GROUPとして、また個人として、どのような支援活動をされているのでしょうか? -後藤- これも一言でお答えするのは正直難しいですね。 起業家や経営者の相談や質問に関しては、365日・24時間体制とも言えます。私のあらゆる知見、経験、ノウハウやネットワークなどをフルに動員して、特に本当に厳しい局面の経営者、または成長曲線に入っている成長企業の経営者に時間を割く事が多いですね。それもあらゆる角度からボールが飛んでくるため、私の27年間のデータベースをフルに活用して、支援をしています。 自分が現役の経営者でこれまでにたくさんの事業会社を経営してきて、現在までにグループ会社と投資会社で60社近く、後藤塾で300社、その他を入れると、同じような立ち位置の経営者は世の中に非常に少ないと思っています。だからこそ、自分が日本にベンチャーエコシステムを創り上げなければという気持ちで日々尽力しています。これまでに、倒産するかもしれないという局面の起業家・経営者をV字回復の実現に導けたときなどは、自分の仕事の社会的な意義を心から実感できます。 -杉原- プライベートカンパニーであるのに、取締役会メンバーや顧問団は驚くような陣容です。また、私を含めてアドバイザーメンバーも徐々に増やしてこられました。この体制の意味、狙いなどについて、公開できる範囲でお考えを紹介いただけますか? -後藤- 私は正直、経営戦略のプロですから、テクニカル的なことはその道のプロが担当することが一番だと思っています。その意味ではアドバイザー陣にスーパースペシャリストがたくさんいることはとても重要だと思っていますし、皆さんのことをとても頼もしく思っています。 支援する相手は起業家なので、「スーパー」と言える実力がある人でなければ起業家や経営者は耳を傾けてくれません。そのため、数年に1人でもそのような人が仲間としてジョインしてもらえるよう、常にアンテナを張っています。また取締役会メンバーや顧問の方々などは、私にとって、メンターであり、コーチであり、時に父であり、兄であり、お姉さんという感覚です。つまり私自身の成長においても、ベンチャーエコシステムが機能しており、いつも助けられているのです。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【株式会社ディ・ポップスグループ】 代表者:代表取締役 後藤和寛 所在地:東京都渋谷区渋谷2-21-1 渋谷ヒカリエ32F 設 立:2015年10月1日(創業:1998年2月4日) U R L:https://d-pops-group.co.jp/   次回後編のインタビューでは、 ・エコシステムならではの成功例 ・複雑化戦略 ・理想とするベンチャーエコシステムの形 ・「ベンチャーエコシステムサミット2025」 などについてお伺いしています。 後編もぜひご覧ください!  
  • INTERVIEW
2025.07.28
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