COLUMN

【グループ会社インタビュー】㈱アイデアランプ コーポレートサイト制作チーム

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  • グループ企業
2024.11.22

D-POPS GROUPでは、今年5月にコーポレートサイトをリニューアルいたしました。今回は、2023年12月にグループジョインしたアイデアランプに制作を依頼いたしました。コーポレートサイト制作にあたり大切にしていたことやベンチャーエコシステムの実現に向けた思いなどを伺いました。

【担当者紹介】
平川 雄一:アカウントプランナー D-POPS GROUPサイトリニューアルPM担当
岩辺 聖矢:ディレクター D-POPS GROUPサイトリニューアルディレクション担当

 

①初めて依頼を受けたとき、また第一回目の打ち合わせでうけた印象

-平川-
初めてご依頼をいただいた際、D-POPS GROUPが掲げるベンチャーエコシステムの構築という壮大なビジョンに圧倒されました。同時に、そのビジョンを具現化するために、私たちのデジタル知識とスキルを最大限に活かすべきプロジェクトであると感じ、身が引き締まる思いでした。第一回目の打ち合わせでは、求められている期待と私たちのミッションが一致し、明確な方向性を構築できたと感じています。

-岩辺-
第一回目の打ち合わせで特に感じたのは、ウェブサイトを作りたいというわけではなく、そのサイトを通じてどのように社会に影響を与えるかを非常に重要視していた点です。D-POPS GROUPが持つ高い理想と、私たちのクリエイティブなビジョンがうまく合致し、プロジェクトの方向性が明確に定まりました。初めての打ち合わせから、単なるビジネスパートナーではなく、共に未来を創り上げる仲間としての感覚を強く抱きました。

 

②コーポレートサイトのデザインをつくるときに大切にしていたこと

-平川-
デザインにおいて特に大切にしていたのは、D-POPS GROUPのブランドが持つ「革新性」と「信頼性」を両立させることです。ベンチャーエコシステムを推進する企業としての大胆さと、パートナーシップを築く上での信頼感をデザインに反映させるために、色使いやレイアウトに細心の注意を払いました。また、ターゲットとなる訪問者が一目で企業のビジョンを理解できるよう、シンプルかつ力強いメッセージングを心がけました。

-岩辺-
デザインプロセス全体を通して、ユーザーエクスペリエンス(UX)を最重要視しました。特に、ターゲットとなるサイト訪問者が求める情報に迅速にアクセスできるよう、ナビゲーションのシンプルさと直感的な操作感、文字サイズなどを追求しました。さらに、D-POPS GROUPの各事業部門が持つ独自の価値を表現するため、ビジュアルとコンテンツのバランスに細心の注意を払い、個別のページが全体として一貫性のあるストーリーを語るように設計しました。

③実際コーポレートを作成するにあたり難しかったこと

-平川-
最も難しかった点は、D-POPS GROUPの多岐にわたる事業内容を一つの統一されたサイトにまとめ上げることでした。特に、各事業、そして各事業会社が持つ異なるメッセージを統一感を持たせながらも、個々の特徴を損なわずに表現することに注力しました。そのために、それぞれのビジョンと課題を深く理解した上で、最適なデザインとコンテンツを提案することが重要でした。

-岩辺-
コーポレートサイトの開発において、技術的な挑戦も多々ありました。特に、最新のウェブ技術を活用しつつ、SEO対策やアクセス速度の最適化を図る点が難関でした。また、グローバルなユーザーを意識した多言語対応や、各種デバイスでの最適化など、細部にわたる対応が求められたため、スムーズな実装には多くのテストと調整が必要でした。

 

④こだわったページ・サイトの仕掛けについて

-平川-
特にこだわったのは、トップページとメッセージを表現するページです。トップページは、D-POPS GROUPのビジョンとミッションを一瞬で訪問者に伝えることを目指し、インパクトのあるビジュアルとキャッチコピーを組み合わせました。また、メッセージページでは、企業としての価値観を深く掘り下げ、訪問者に企業文化を感じてもらえるようにデザインしました。

-岩辺-
サイト全体にわたるインタラクティブな仕掛けやアニメーションにもこだわりました。特に、スクロールに応じたアニメーションや動画を活用した点です。また、企業の魅力を直接感じられるよう、写真やイラスト、デザインのあしらいを駆使することでインタラクティブな体験を提供しました。

 

⑤数々のWeb制作・デザイン会社がありますが、アイデアランプさんの強みは何でしょうか?

-平川-
私たちの強みは、クライアントのビジョンを深く理解し、それを具現化して、少し先の未来にあるべきクライアント(企業)の姿を描く力にあります。私たちは、単にデザインを提供するだけでなく、クライアントの理念や目標を深く掘り下げ、それに基づいた戦略的なデザイン、UXを提案します。また、プロジェクト全体を通じてクライアントと密に連携し、柔軟に対応することで、期待以上の成果、価値を提供することを心がけています。

-岩辺-
アイデアランプのもう一つの強みは、最先端の技術とデザインを常に追求し続ける姿勢です。私たちは、最新のトレンドや技術をキャッチアップし、それをプロジェクトに反映させることで、クライアントにとって最適なソリューションを提供します。「WEBサイトを作る」ということではなくお客様の「課題を解決する」ということに注力しています。

 

⑥グループ会社からの問い合わせや今後の制作状況について

-平川・岩辺-
大変嬉しいことでございますが、すでにディ・ポップス様、アドバンサー様、グッド・クルー様よりご依頼をいただきホームページリニューアルの対応をさせていただいております。その他にも協業のご相談を多くいただいております。皆様からのご相談お待ちしております!

⑦D-POPS GROUPはベンチャーエコシステム作りを目指していますが、どう感じていらっしゃいますか?また、ベンチャーエコシステムに加わったという実感はありますか?

-平川-
D-POPS GROUPがベンチャーエコシステムの構築を目指していることに共感し、その一端を担えることを光栄に思っています。その中で、クライアントやパートナーと共に新しいビジネスモデルを模索し、デジタルの力で実現していくことに大きなやりがいを作っていくことできるのではないかと感じています。ベンチャーエコシステムに加わることで、新しい可能性や挑戦に対して積極的に取り組む姿勢がさらに強まると思います。

-岩辺-
ベンチャーエコシステムの輪の中で活動することで、私たちもまた新しい視点やアプローチを得ることができています。特に、異なる業界や企業とのコラボレーションを通じて、アイデアランプ自身も成長し続けていると実感しています。より多様なプロジェクトに携わる機会が増え、私たちのクリエイティブな力が試される場面が多くなっています。

 

⑧最後に伝えたいこと

-平川-
今回のプロジェクトを通じて、D-POPS GROUPサイトリニューアルをご依頼いただけたことを心から感謝しています。これからも様々なクライアントと共に成長し続け、より良い成果を生み出していこうと思います。今後も引き続き、パートナーとして共に新しい挑戦に取り組めることを楽しみにしています。

-岩辺-
今回のプロジェクトは、私たちにとっても多くの学びと成長の機会を提供してくれました。これからもクライアントのビジョンを実現するために全力を尽くしていきますし、新たな挑戦に対しても常に前向きに取り組んでいく所存です。今後ともよろしくお願いいたします。

⑨㈱アイデアランプ 代表取締役 宮原社長より

ベンチャーエコシステムを実現するD-POPSグループのコーポレートリニューアルに携われましたことを大変嬉しく感謝しています。
WEBサイトは、作るまでも大変ではありますが、公開されてからの価値向上、攻めのグロース戦略の実施が重要となってきます。
今後、グループの皆様とともに、デジタルを武器に、ベンチャーエコシステムを実現するデジタルを活用した仕組みづくりを仕掛けていきたいと考えていますので引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。

◾️株式会社アイデアランプについて
社 名:株式会社アイデアランプ
代表者:代表取締役 宮原 秀文
所在地:東京都渋谷区神宮前6-18-13 神宮前浅間ビル4F

株式会社アイデアランプ HP:https://idealump.com/
WEBサイト無料診断:https://idealump.com/webshindan/
定額制ウェブ運用サービス「ウェブ担さん」:https://web-tantou.com/

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2026.09.15
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—近藤— 僕の人生は、決して順風満帆な人生ではなくて、どちらかというと遠回りの多い人生だったと思います。大学を卒業したあと、まずは会計士を目指していました。 朝から晩まで勉強して、2年ほど真剣に取り組んだのですが、全く試験に通らなくて。もともと会計士を目指した理由も、これがやりたいというよりは手に職をつけたいという程度の動機だったのですが、それでも「頑張ればできる」とどこかで自分を信じていたところがあったんです。それが全く通らないとなって、これはまずいぞと思っていた時に、たまたま同い年でホテルのイタリアンで6、7年働いていた友人が独立したいと言い出して、「前に会計や簿記をやっていたから、経理ができるだろう」と誘われました。実際にはできないんですが、「そこだけ手伝ってほしい」と言われて、飲食業界に足を踏み入れることになりました。 飲食の道に携わることになったのは、シェフとしてではなかったのですが、それが意外と面白かったんです。飲食業は、その人が作った料理を提供して「美味しい」と言ってもらえる、サービスとしての面白さがありました。もちろん最初は、立っているだけなのに偉そうだとお客様に言われることもあって、悔しい思いもしましたが、そこから飲食をやりたいという気持ちが芽生えていきました。 ただ、そこから1年半ほど経った頃、そのシェフに子供ができて、実家が福井のお寺だったこともあり、「跡を継ぐために帰る」と言われてしまったんです。お店をそのまま譲るからと言われたのですが、正直、退去費用の心配の方が先に立ってしまって、どうしようと悩みました。結局レトルトのような簡易な形でお店を続けようとしたのですが、お客様が離れていってしまって、これはだめだと痛感しました。 その後たまたま見つかったのが和食のお店で、そこで働かせてもらうことになりました。さらにその時に知り合った社長さんから「経理ができるなら、経理だけやりなさい」と言われて、3年ほど経理担当としてサラリーマン生活を送っていました。30歳の時に、このままでは40歳になった時に後悔すると思い、「自分は何が好きなんだろう」と自問した結果、出てきたのがフットサルとラーメンでした。 ラーメン屋をやったら何とかなるかもしれないと思ったのですが、実は自分でラーメンを作ったことは一度もなかったんです。イタリアンのレストランでも、料理はほぼ作っていませんでしたから。ただその少しだけ手伝わせてもらった経験が本当に面白かった。それで、30歳の時に「よし、これをやってやろう!」と決めて退職しました。 親からしたらたまったものではなかったと思います。せっかくまともに働き出したと思ったら、辞めてラーメンをやると言い出したので。母は何でもやったらいいという性格でしたが、父は「大学まで行かせて何を言っているんだ」という反応でした。それでも、すでに引っ越しの手配まで済ませてから話をするような形で、なかば強行突破のように独立の道を歩み始めました。 ラーメンをやると決めてから、当時大阪で1番と言われていたお店に履歴書を1枚だけ持って「働かせてください」とお願いに行きました。「変わったやつだな」と言われながらも受け入れていただいて、そこで4年間修行させてもらいました。いまでも感謝してます。 最後の1年ほどは、僕を応援してくださるお客様も増えていて、ある意味プレ営業のような状態になっていました。結果として、その流れをそのまま引き継がせていただく形で独立することができました。 修行時代の最後の2年間は、本部のマネージャー的な仕事も任せてもらっていて、スーパーバイザーのような業務や、売上をどう伸ばすかという経営視点の仕事も経験させてもらいました。たまたま経理の勉強を会計士のために没頭していただけのつもりが、簿記の考え方や会計学は自分を物凄く助けてくれました。結果としてすべてが今につながっているという感覚があります。 —杉原— ラーメン作りだけでなく、経営という面での修行もそこでされていたわけですね。 —近藤— 当時は、そんなつもりで学んでいたわけではなかったのですが、振り返るとそれが今、しっかり生きています。 —杉原— サラリーマンから起業した経営者の方にも、最初は会社員として働いていて、そこでの経験の点と点がつながって今があるんだと語る方が多くいらっしゃいます。近藤社長の場合も、一生懸命やっているうちに、それがすべてつながっていったんですね。 —近藤— 本当にそうです。一生懸命やっていました。特に本部での2年間は、絶対に戻りたくないと思うくらい大変でした。朝8時前に出勤して、夜12時前に帰る生活を続けていて、正直、自分に才能があるとは思えないような日々でしたが、やりきろうと思っているうちに独立できるところまでたどり着きました。 ◆ ラーメンの「枠のギリギリ」を攻める — ホロホロ鳥という差別化戦略 —杉原— では、ラーメンそのもののお話に移らせてください。ラーメン好きの読者の方も多いと思うので伺いますが、「麦と麺助」で提供される看板ラーメンは、フランス料理などでお馴染みのホロホロ鳥を材料として作られたスープが最大の特徴だと伺っています。私もいただいたことがありますが、珍しくスープを飲み干せるラーメンでした。このホロホロ鳥という食材は、味わいを作るうえでやはり重要な存在なのでしょうか? 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2026.09.10
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part2】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの最終回となるPart2では、赤松社長のバンドマン時代の経験や起業のきっかけ、組織づくりへのこだわり、大病をきっかけに立ち上げたエンタメ事業、そしてディ・ポップスグループへのM&Aの経緯やベンチャーエコシステムへの共感、5年後のビジョン、読者へのメッセージについてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 「バンドマン時代」の経験が経営に活きている —杉原— 事業の話から少し離れて、社長のキャラクターを深掘りさせていただきたいと思います。元はバンドマンだったという話を聞いたことがあるんですが、本当ですか? —赤松— はい、本当です。若い頃はベースを弾いていて、会社経営とは全く違う世界にいたんですが、バンドも一人だけ上手ではチームとしてまとまらないので、結構会社経営と似ている部分もあるのかなと思います。 それぞれ個性もありますし、能力もあります。でも、一つのステージを作るという意味では、会社経営も一緒なのかなと。 —杉原— チームワークやバランス感覚を、音楽の分野で長く経験されていたんですね。その頃のバンドマンとしての経験は、社長業に役立っていますか? —赤松— そうですね、わからないですけどね。ライブでお客さんの反応を見ながら、相手が何を求めているかを感じ取る、という感覚は活きているかもしれません。 —杉原— 確かに。大手企業と取引をするには、空気を読めないと無理ですものね。 ◆ 「納得できる会社をつくる」――opzt創業の原点 —杉原— 最初に少し触れていただきましたが、改めてお聞かせください。opztを起業したきっかけと、創業から13年間を振り返った今のご感想をお聞かせください。 —赤松— 元々の起業のきっかけは、大きな会社、大企業を作りたいという計画があったというよりは、自分自身の責任で事業をやって、自分たちが本当に納得できる会社を作りたいという、割と志が低めの起業ではあるんです。壮大なビジョンはありませんでした。 本当に20年ぐらい前の人材業界は、超がつくブラック企業が多く、その中で働きながら、もっと働く人を大切にしたらいいのではないか、お客様にももっとクイックに柔軟に対応できる会社ができるのではないかと、ふつふつと感じる部分があったので、2013年に創業したというのが元々の経緯になります。 この13年を振り返ると、本当に会社の売上や規模以上に、人とのご縁でなんとかここまで来られたという感覚が大きいですね。 —杉原— 壮大な大企業を作るというより、具体的な計画がないまま起業してうまくいかない社長もいる中で、本当に理想の職場をみんなに提供したいという思いと経験から始まっているというのは、素晴らしいですね。 私自身、以前勤めていたシステム会社にエンジニアになるつもりで入ったのに、結局昔は派遣業だったんです。自分の上司なんて半年に1回ぐらいしか顔を出してくれなくて、派遣先の工場でずっと仕事をしていたんですが、あの頃は単価としてしか見られていなかったんです。現場ではすごく評価されていても、給料には全然反映されない。そんな時代でしたよね。結局、3年で辞めてしまいました。(笑) —赤松— 本当にそうです。僕らも、派遣スタッフに有給を取らせるなとか、人が足りなければ道端で声をかけてこいとか、そういう時代でした。 数字だけで見られて、もっと残業させろとか言われて。無茶苦茶な時代でしたね、本当に。 —杉原— それに関連するんですが、創業時、創業間もない頃から社員になっている方が長く続けられている印象があります。組織作りや会社運営の面で、人に関してこだわりや心がけていることがあればお聞きしたいです。 —赤松— 本当に、単純に感謝しかないというか、長く働いてくれる社員が多いので、本当にありがたいなと思っています。 大切にしているのは、社員を単なる役職や数字だけで見ないということです。人それぞれ得意なこと不得意なことがありますし、営業が得意な人もいれば、管理が得意な人もいます。同じ型にはめるのではなく、それぞれが活躍できる役割を作ることを意識しています。 また、創業メンバーだけで意思決定するのではなく、新しく入った人にもきちんと機会を与えて、次の経営人材や責任者を育てていきたいという思いがあります。そういった昔ながらの良さを残しつつ、属人的ではなく、仕組みで動く組織に変えていくということを意識してやっています。 ◆ 拠点を管理せず、経営者を育てる――複数拠点のマネジメント哲学 —杉原— 私自身、渋谷ヒカリエに拠点を置く東京のopztチームの皆さんとよくお会いします。東京のopztチームの皆さんは、社長がいらっしゃらなくても本当に真面目に、和気あいあいと、真剣さもありながら冗談を言い合いながら明るく雰囲気よく仕事を回されているんですよね。先ほどお話にあった名古屋、四国、九州と点在しているオフィスの中で、スタッフや社員の方々がどうしてそんなに自主自立してしっかりと仕事をされているんでしょうか? —赤松— そうですね、各拠点を細かく管理しすぎないというのが、実はキーになっています。地域によってお客様や採用のマーケットもまったく違うので、本社の成功パターンをそのまま押し付けてもうまくいかないというのが過去にありました。 東京のチームが自走できているのも、現地のメンバーが自分で考えて意思決定し、結果にコミットしてくれているというのが大きいと思っています。拠点を管理するというよりは、拠点の経営者を育てる感覚に近いですね。 —杉原— 凄いですね。みんな本当に自分が経営者だという雰囲気で、東京の成績を上げるんだと動いているんですね。 ◆ 大病が教えてくれたこと――エンタメ事業「SELEBRO」誕生の背景 —杉原— 話は変わりまして、赤松社長はopztとは別にエンタメ系の事業をされているとのこと。こちらはopztの後に立ち上げられたんですよね、「SELEBRO」という会社ですね? —赤松— そうですね。今、「SELEBRO」という会社で、ライブハウスやナイトクラブ、アーティストのマネジメント、音楽フェスなどのイベントの企画を行っています。 ビジネスモデルとしては、本当にがっつりエンタメとテクノロジーを合わせたような、エンタメテックのような事業もやっています。opztとは別で、本社も大阪でここではないんですが、元々私自身が音楽やエンタメが好きだったというのもありますし、きっかけとしては、僕自身が脳動脈解離という病気になって入院したことが大きいです。 2018年の12月にディ・ポップスグループにジョインをして、その半年ほど後、2019年の6月か7月頃です。本当に突然のことで、病院に行ったらすぐに入院してくださいと言われて。本当に深刻な状況で、もう明日死ぬかもしれない状態で1ヶ月過ごしました。 そこで人生観が180度変わったというのが大きいです。それまでは自分自身の未来はまだまだあって、根拠もなく80歳、90歳ぐらいまで生きて死ぬんだろうと勝手に思っていたんですが、それがひっくり返って。音楽もいつか将来、長い人生のどこかのタイミングでチャレンジできたらいいなと漠然と考えていたんですが、病気を経験してから、いつかではなく、いつ来るかわからないので、人生の最後にあれをやっておけばよかったという後悔だけはしたくないと思うようになりました。 そういう心持ちでいると、昔の音楽の縁や、すごくいい場所ができたりと、引き寄せのようにどんどんそういう巡り合わせがあって、これはもうやるしかないなと思いました。代表の後藤さんにもちゃんと話をして、「こういうことをやりたいんです」と伝えました。ただし、「opztもちゃんとやるならいいよ。」ということで、中途半端にはやってほしくないという話をいただきました。 ちなみに病気は治りました。結局、手術には至らず、その後は回復して、今は健康に過ごせています。 今は第二の人生を生きている感覚があります。やりたいことを「いつか」に先送りしないようになりました。 いつ死ぬかわからないので。 ◆ 会社の個性を尊重してくれた――D-POPS GROUPを選んだ理由 —杉原— 病気のことまでお話いただいてありがとうございます。大変なご経験をされたんですね。2018年にM&AでD-POPS GROUPにジョインしていただきましたが、その経緯や、いくつもオファーがあったと思う中で、ディ・ポップスグループを選んでいただいた理由をお聞かせいただけますか? —赤松— 当時、会社は5年目ぐらいで、10億円にいくかいかないかぐらいの規模感だったんですが、一定の規模まで成長していく中で、次のフェーズに進むためには自分たちだけでは持てない経営資源や知見が必要だと思うようになったのが、最初のスタートでした。 順調に成長していたので、いろいろな企業からお話をいただいたんですが、単純に会社を買収するという考え方ではなく、経営者である私自身や会社の個性をしっかり残しながら一緒に成長していくという、D-POPS GROUPの考え方と、後藤さんの人柄に魅力を感じたというのが理由です。 M&Aをした仲間も多いんですが、結局グループ入りした後に経営方針が変わったり、創業経営者が経営から離れるケースも多々見てきたので、そういう意味でも、ディ・ポップスグループは引き続き私自身が経営をさせていただいていますし、opztの文化や強みを尊重しながら成長させてくれています。優しく見守ってくれているというのがすごくいいなと思っています。 本当に、条件面などではなく、誰と一緒に経営するか、グループ入りした後に社員が前向きに働けるかというところを重視して選んだという感じです。 —杉原— その時の期待通り、10億円ぐらいの規模だった会社は、この6年間で大きくなりましたよね。経営体制が変わらないまま、後藤社長やディ・ポップスグループの経営会議などからの学びは結構ありますか? —赤松— そうですね。本当にいろんな面で日々勉強させていただいていますし、今もメンターシップもいただいていて、日々勉強させてもらっている感じです。 ◆ 「グループから次々と経営者が生まれる」ベンチャーエコシステムへの共感 —杉原— 素晴らしいです。では最後に、「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしているディ・ポップスグループですが、この目標に共感する部分や、エコシステム作りを意識した活動などがあればご紹介ください。 —赤松— たくさんあるんですが、特に共感するのは、一社だけが成功するのではなく、グループ内から次々に経営者や新規事業が生まれていくという考え方です。 僕自身も創業経営者として、会社を大きくすることだけが目的ではなく、社員の中から次の事業責任者や経営者が生まれ、その人がまた新しい会社や事業を作っていく、そういう循環する環境を作りたいと思っています。 opztでも、各拠点に権限と裁量を与えて、小さな会社を経営する感覚で拠点運営をやってもらっています。その事業で生まれた人材や資金、信用を次の事業に循環させていくというところが、ベンチャーエコシステムにつながるのではないかと考えていて、そこにすごく共感しています。 —杉原— opztさん自身の中でも、エコシステムができているようなイメージですね。 —赤松— そうですね。規模はまだ小さいですが、通ずる部分があると思っています。 ◆ 5年後、人とテクノロジーで企業の成長を支える会社へ —杉原— 5年後のopztはどのような姿、あるいは具体的な目標があれば教えてください。 —赤松— 5年後は、先ほども出た通り、単純に人材を派遣するだけの会社ではなく、人とテクノロジーを組み合わせて企業の成長を支援していくような会社になりたいと思っています。引き続き派遣事業は大きな基盤でもあるので、しっかりここはやりつつ、AIやデータ、データセンター領域の比率をより高めていきながら、専門性と収益性の高い事業構造に変えていきたいと思っています。あとは、社員やスタッフがきちんと成長して、お客様から長く必要とされること、適正な利益を出しながら新しい事業に投資できるくらいの会社にしていきたいと思っています。 ◆ 読者へのメッセージ —杉原— では最後に、読者の方に一言、何でも結構ですのでお願いします。 —赤松— opzt自体はまだまだ未成熟な会社ですし、これからAIをはじめテクノロジーもすごいスピードで変化していくと思いますが、当社としても過去の成功にとらわれず、新しいことにチャレンジしたいと考えています。仕事を探している方がもしこの記事を見てくださる機会があれば、今の経験だけで自分の可能性を決めてほしくないなと思っています。今経験がなくても、学んで挑戦することで新しいキャリアを作ることができますし、企業の方が見てくださっている場合は、人材の紹介だけでなく、組織作りや業務の改善、新しい事業の挑戦についても一緒に考えられるパートナーでありたいと思っていますので、少しでも興味を持っていただけたら、お気軽にお声がけください。 —杉原— 素晴らしいです。ありがとうございました! ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part1はこちらからご覧ください!
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