
D-POPS GROUPでは、現在約24社のグループ会社が仲間となっています。
今回は、2025年9月にグループジョインした株式会社プラストの山下 友由 社長と真崎 二郎 専務へ、インタビューしました。
(こちらのインタビューは、2025年7月に実施しました。)
◆創業のきっかけ
-杉原-
今回は、プラスト 代表取締役の山下社長と、真崎専務にインタビューさせていただきます。宜しくお願い致します!
まず最初に、山下さんはいつお会いしても素敵な笑顔でいらっしゃるなと感じていますが、経営者って苦しいことが多いと思うんです。山下さんは根っから明るいのか、よっぽど苦労してきたから今朗らかでいられるのか、1回聞いてみたいなと思ってたんです。
-山下-
いえいえ、とんでもないです。苦労は色々ありすぎますね。(笑) 色々あることはもう通常モードですね。
会社の立ち上げの頃は厳しい表情をしていた時もありました。売り上げが伸びない時とか、経営がうまくいかない時は機嫌が悪そうな顔も無意識でしていたんじゃないかなとは思います。ただ、明るくいようと意識して笑ってはいた気がします。
-杉原-
前職・立ち上げ当時から一緒にいる真崎さんから見ていかがですか?
-真崎-
最近では人も増えて女性も増えてきたことで、全体に対しての発信の仕方などは昔とは変わってきました。
ただ、幹部が集まる会議では、昔と変わらず厳しいです。
それは厳しさと愛をもって言っていただけるので、そこは我々幹部はちゃんとわかってることです。
-杉原-
まだ付き合いが浅い私は、山下さんの本当の厳しい表情を知らないんですね。
では、本題の質問に移らせていただきます。まず最初に、プラスト社を創業したきっかけを教えてください。
-山下-
元々いつか社長にはなりたかったという思いもあったんですが、当時の私には勇気も実行力もなく、社長のなり方も正直わからなかったので、高校を卒業して4年間航空自衛隊に行き、そのあとITのベンチャー企業で会社員をしました。前職で専務の真崎とも出会いました。
前職でOA機器の事業などを任せていただく中で、営業マンからマネージャー、所長、営業所の立ち上げを二度経験させていただいたことで、少しづつ自分の中では小さい会社の経営者をやっている感覚になっていきました。これだったら自分でビジネスとしてやっていけるんじゃないかなと考えるようになり、昔漠然と考えた社長になる夢を実行するタイミングを最初は1人でやってみようと思って自宅でスタートしたのが始まりです。
最初の半年は個人事業主としてスタートして、OA機器の卸をやっている会社にお世話になって、そこの営業所の名前を名乗らせていただいてました。その後会社登記をして有限会社プラストを作りました。
前職で営業所を立ち上げたのが埼玉県で、蕨と大宮で二度立ち上げを経験したこともあり、埼玉県の土地勘があったので、埼玉で起業することになりました。
◆山下社長、真崎専務の出会い
-杉原-
真崎さんとはどういった出会いだったんですか?
-山下-
そうですね。出会いは前職で、僕が面接したところから始まりました。
入社してからは真崎は少し離れたところにいたのですが、ずっとトップセールスでした。
ある時面接以来、一緒に仕事するようになって、人となりもなんとなく分かってきて結構仲良くしていました。そのあと僕は埼玉営業所の立ち上げをして、彼が東京で仕事をして離れた後、もう1回僕が東京に戻るタイミングでまた一緒に仕事したんです。その時は、営業所長とマネージャーという立場で仕事をする中で、今までの営業マン時代よりも、より深くいろんな話をするようになりました。
あるとき、二人の共通の知人から、別々に「一緒に会社をやらないか」と誘われていました。
私は取締役で、真崎は営業マンとして。
だけど、「このことは誰にも言わないで」と誘っていただいた方から言われていたこともあって、お互いに言い出せずにいたんです。
でも僕としては、真崎にも声を掛けているんだろうなと思って聞いてみたんです。その時真崎に「行くんですか」と聞かれて、「いや、行かない。自分でやる。」と。
「じゃあ一緒にやろうか?」と真崎と一緒に会社を立ち上げる話になりました。
最初、厳密に言うと当時の前職の部下で、今は執行役員で事業部長をやってくれている小野と、先に始めたんですけど、真崎には1年後から合流してもらいました。
-杉原-
運命の分かれ道ですね。
真崎さんは、山下社長に会社の立ち上げに誘われて、全く未来はわからない中で即、決断できたんですか。
-真崎-
実は、上司と部下との関係で働かせていただいて、私の方から「ぜひ会社を立ち上げてください」という話をしてたんです。
前職が、本当にバリバリの営業会社で、すごい勢いで伸びていた会社だったんですけど、ごりごりの営業の方たちがいる中で、山下は今と変わらずスマートな感じだったので、ほかの人とちょっと違うなと感じていたんです。管理者としてもかなりの実績をだされていたので、ぜひ一緒にやってみたいなっていうのは思っていました。
-杉原-
真崎さんから見て、出会った当時の山下さんの印象はいかがでしたか。
-真崎-
面接で初めて出会ったという話もありましたが、それこそ前職の会社に面接に行く時、私が20代後半だったと思うんですけど、普通面接官といえばある程度の年齢の方が面接してくれるのかなと思ったんですけど、山下が面接官だったんですね。当時山下が20代前半だったと思います。
今よりも髪も長くて色黒くて、イケイケな感じでした。(笑)
◆これまでの道のり
-杉原-
2004年の創業から数えて今期で22期目になりますが、(21期は2月決算へ変更に伴い5ヶ月の変則決算)これまでの月日はどんな道でしたか?
-山下-
いや~、波乱万丈でしたね。1度も安定したことはないです。でも、あっという間でした。振り返ったらなんか面白かったなって思います。
-杉原-
経営の指標を拝見すると、めちゃくちゃ安定して伸びてるように見えますけどね。
-山下-
一見そうかもしれないんですけど、成功よりも失敗の方が圧倒的に多いですし、たまたまいろんな人に助けていただいたので、それでなんとかなっているという、本当に運が良かったというところはありますね。
努力もしてきたという風にあんまり自分でも思っていなくて、最低限当たり前のことはやるじゃないですか。
ただ別にそれはそれで、「社長だったらやるよな」とか、「会社立ち上げてるんだから、会社員じゃないからそれはやらなきゃいけないよな」みたいなことは普通にあるので、それなりにはやってきたかもしれないですね。
最初の頃は売り上げが上がっているように見えてるかもしれないですけど、本当に数年間は売上が上がっているといっても数千万円とかなんです。1ヶ月こけたらもう前年割れするようなものでした。
最初は明確なビジョンがあるわけじゃなくて、稼ぐとか、会社員時代よりお金を稼ごうとか成功しようとか、そんな感じでした。社会に貢献したいという志があったかというと、別にそんなことはみんなにも言ってないですし、正直に言うと自分も今ほどは深く考えてなかったと思います。
ただ、どうやって利益を出そうかとか、どうやったらもっと受注が上がるかとか、そういうことを結構考えていましたね。日々いろんなこと一生懸命やっていたんですけど、ビジョンもないままストイックに朝から夜遅くまであまり休みなくやっていたので結構限界が来るというか。なので最初の頃は右肩上がりになっているように見えますが、結構紙一重でしたね。
会社が軌道に乗ってきたきっかけは、2011年の東日本大震災かなと思います。
それまでは普通に受注を上げる、先の利益を上げることがメインだったのが、目の前の仕事が、ちゃんとした仕事ができなくなりました。
計画停電で電気が入らない時間帯があったり、インターネットが繋がらずウェブデザイナーの仕事ができないなど。もちろんテレアポもできませんでした。
じゃあ何をしたらいいんだって必死で考えて、飛び込みをやるとか、政府より早く発電機を買って、なんとか発電機をつないで、部屋中ガソリン臭い中仕事をしたりとか。とにかく生き残らなきゃいけないということを経験しましたね。それだけじゃなく、震災で困っている人たちに対しても何かしたいと思うようになって、最初は、働いている従業員の家族に対しての見舞い金をだしたりとか、東日本大震災の義援金に協力したりだとか、そうやって社会貢献意識もそのころ芽生えてきました。
それに加えて、年始に今年の目標を明確に数字で設定するようになってから、それを超えなきゃいけないというミッションというか、1つの目標として設定するようになって、みんなで協力もあってクリアした。それを毎年言い続けたいなっていうのがあったら、結果的に毎年昨年を超えていたんです。
目標をみんなで共有し合う習慣ができたことも大きかったですね。
-杉原-
素晴らしいですね。
前年より1円でも向上しようと積み上げていったら20年経っていたということですね。
-山下-
そうです。「ビジョナリーカンパニー2」の本の中で出てくる、バスに乗る人がいて、降りる人がいて、また次のバス停で・・・ということを繰り返していく中で、最初はなんか目的地もないんだけど、それが徐々に、こっちに行ったら面白そうだなとか、こうしたら良さそうだな、その中でだんだん乗ってる人も変わってたりして、当然変わらない人もいて、それを積み重ねていったら22期目になって、今こういうことを考えてる、こういうことやってるという、それが変わってきただけだなと思いますね。
◆会社概要・事業の強み
-杉原-
さて、この21期もの間成長を続けてこられた、プラスト社の現在の事業の概要と、その分野における他社さんとの違い、特徴などを教えていただけますか?
-山下-
はい。事業の柱は3つあります。まず1つ目の柱は設立時からやっているOA機器の販売と保守です。2つ目の柱が中小企業向けのホームページの制作と運営サポートで、3つ目の柱がアプリと連動した顧客管理システムを販売してサポートするという、この3つを事業として行ってます。
-杉原-
プラストさんの事業の強みはどういうところにありますか?
-山下-
手前みそですが、商談時の提案力と同じ位、お客様に対してのサポート力だと思います。
販売したらそれまでではなくて、販売した後もずっと長いお付き合いを意識したサポート体制を整えています。そこまでやるような会社さんがなかなか少ない中で、安心してずっと使っていただける、またリピーターになってくれるお客さんを意識してやっています。これが先ほどの話と繋がってくることもあるんですけれども、最初立ち上げた当時は、もうとにかく売りたい、とにかく売って売って売りまくるみたいなところはあったんですけど、やっぱりそれだけじゃ続いていかないよね、売った後もしっかりサポートして、より長くお付き合いしていかないと淘汰されてしまうよねという思いがありました。
-杉原-
サポートって地味なところがありますが、そこをちゃんと注力しようとされてるんですね。サポートの方たちに対してどのような意識づけをされているんでしょうか。
-山下-
サポートって、確かに営業マンみたいに成績がわかりやすい仕事ではないですよね。でもサポートの人がスポットライトが当たらないからやる気が出ないとなっちゃうと、やっぱりお客様の満足度も上がらない。
じゃあサポートの人にスポットを当てるためにはどうしたらいいかなとか、サポートがしっかりしてると、営業マンはもっとお客様に販売しやすくなるんじゃないかなと思って。
そこで考えて実行していたのが、お客様から直接生の声をいただく取り組みです。
お客様のインタビューをホームページ上で紹介したりとかで、お客様の声を映像にしたりしています。それを社員が見たら、実はサポートの人ってこういう仕事してくれてたんだとか、こういうことをやってくれてるんだったら、他よりも絶対うちの方がいいよねって思ってもらえる。日々縁の下の力持ちとしてお客様のサポートをしているメンバーにスポットライトを当てることは、マイナスなことは全然ないしむしろプラスだと思いましたね。
-杉原-
そういう経緯があったんですね。ちなみに先ほど事業の柱が3つあるとお聞きしましたが、その3つを柱にしたきっかけを教えてください。
-山下-
その3つとも、僕らが今まで会社を経営する上で、ある意味助けられたものではあるんですよね。
最初設立して日が浅い頃は、当然ビジネスフォンとか複合機とかOA機器を自分たちの会社でも使っていますし、最適なOA機器を入れることによって、業務がすごくしやすくなります。
そしてホームページは、無名のプラストという会社をより多くの取引先やお客様、求職者の方にに知ってもらうために使用するもの。実際に当社の社員は95%以上はホームページを見て入社してくれていますし、ホームページに投資をしていなければ今のみんなとであえてないですし。
アプリに関しては少し意味が違うんですが、顧客管理システムという意味では、震災の時も含めて、顧客管理システムをちゃんと使ってなければあの時売上は上がらなかったなということもすごく体験して、自分たちが会社として生き残れた、救ってもらったものではあるんです。
その我々の経営を救ってくれた商品やサービスを、日々懸命に経営に取り組んでいる世の経営者のみなさんに対して提供していきたいという思いがあります。
なのでターゲットは一般家庭ではなくて、あくまでも事業者に絞って、その事業者の助けになるビジネスをして、かつ自分たちも業績を上げていける。多分これはお互いにとっていいんじゃないかと考えています。
-杉原-
今は大きな会社になりましたが、もともと小さな自宅から始めた会社ですね。ご自身が中小企業として必要なプロダクトを採用して、それをお客様に販売しようという意味で順番に発展してきたんですね。
-山下-
そうですね。OA機器をビジネスフォン中心に販売していく中で、お客さんがどんどん増えてきたんですよね。でも、OA機器も結構大変な時代があったんです。
ビジネスフォンのリースが社会問題と言われるようになって、テレビや新聞を使っての販売ができなくなり、リース会社が撤退するなど。そんなとき何社かのお客さんから、「ホームページ作れないの?」というニーズをいただいて、ホームページって結構ニーズがあるんだなと思って、中小企業向けにホームページの事業を立ち上げようかなと。そしてお客様が増えていけば増えていくほど、リピーター対策が大事で、ホームページ以外に顧客管理も考えていこうと。当時は、まだアプリではなくメルマガなどの顧客管理連動のメールシステムから始まり、それが時代とともにアプリに変わってきて、今は結果的に店舗向けのアプリの事業も行っています。
時代によって扱う商材も変わっていきますが、よりそのお客様が会社が発展する、あるいは会社の抱える問題を解決するお手伝いができるようなサービスや商品を提供していきたいなと考えています。
それは不変のテーマかもしれないです。
-杉原-
そのような経緯でビジネスを展開されてきたのですね。
ちなみに、全国に6000もの法人のお客様に契約いただき、そして提供サービスも多用ですよね。お客様に対する営業体制やサポート体制の工夫などをご紹介いただけますか?
-真崎-
やっぱり親身にこまめに継続して丁寧に連絡をしていくことでしょうか。まだまだ出来ていないこともありますが、営業担当やサポート担当から電話だけでもいいので、御用聞きというか、今の状況を確認するようにはしていますね。
~後編に続く~
☆インタビューアー
D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太
【株式会社プラスト】
代表者:代表取締役 山下 友由
所在地:埼玉県さいたま市中央区新都心11-2
明治安田生命さいたま新都心ビル20階・23階
設 立:平成16年10月22日
U R L:https://www.plust.jp/
次回後編のインタビューでは、
・導入事例のインタビュービデオについて
・社名の由来
・「ベンチャーエコシステムの実現」に向けて
・5年後の理想の姿
などについてお伺いしています。
後編もぜひご覧ください!