COLUMN

渋谷を起点に、世界と日本をつなぐエコシステムを実現する!シブヤスタートアップス株式会社 会長 渡部志保さん【前編】

  • INTERVIEW
2026.01.22

今回は、ベンチャーエコシステムサミット2025にご登壇いただいた、シブヤスタートアップス株式会社 会長の渡部さんにインタビューさせて頂きました。
(このインタビューは2025年11月に実施いたしました。)

◆ベンチャーエコシステムサミット2025について

-杉原-
今回は、株式会社シブヤスタートアップス 会長 渡部志保さんにインタビューさせていただきます。宜しくお願い致します!

2025年10月2日に開催した「ベンチャーエコシステムサミット2025」では、私と一緒にご登壇いただき、ありがとうございました。お陰様でイベントも渡部さんのセッションも大盛況でした。本イベントも第二部の懇親会にもご参加いただきましたが、イベントに対する率直な感想をお願いします。

-渡部-
こちらこそ、ありがとうございました。セッションも盛り上がり、私自身とても楽しませていただきました。

今回のイベントに参加して一番に感じたのは、他にはないファミリー感と一体感です。日頃から多くのイベントに登壇していますが、これほど温かい雰囲気は珍しいですね。レジェンドである千本さんや藤崎さんはもちろん、後藤社長のご家族までいらっしゃっていたり、人事の方が事務局としてお弁当を配っていたりと、組織の垣根を超えた手作り感と連帯感に感動しました。

また、私にとって大きな収穫だったのは、日本の起業家の熱量に直接触れられたことです。普段、私は海外起業家の招致に注力しているため、日本のドメスティックなエコシステムと深く接する機会が少なかったのですが、「日本にもこんなに面白いスタートアップがたくさんあるんだ!」と新鮮な驚きがありました。

さらに驚いたのは、参加者の多様性です。日本語のイベントでしたが、在日外国人の起業家の知り合いも参加しており、「なぜこんなに日本っぽい場所にあなた(渡部)がいるの!」と言われ笑ってしまったほどです(笑)。

日本のベンチャーエコシステムという枠組みでありながら、実は非常にオープンで多様性に富んでいる。その姿を見て、私たちがシブヤスタートアップスで取り組んでいることと、根底にある精神は同じなのだと強く実感しました。

-杉原-
本当におっしゃる通りですね。外部のイベント会社を一切入れず、1年以上前から後藤社長と社内スタッフだけで準備を進めてきた手作りイベントだったことも、あの一体感に繋がったのだと思います。

実は、参加者の方々から「渡部さんは素晴らしいご経歴をお持ちなのに、驚くほど自然体で親しみやすい」「キラキラしていて憧れる」といった、議論の内容だけでなく渡部さんのお人柄に惹かれたという声が多く寄せられました。こうした反響については、どのように感じていらっしゃいますか?

-渡部-
そう言っていただけるのは、本当に光栄です。ただ、「キラキラしている」なんて、自分ではとんでもない話だと思っています(笑)

外からはそう見えるのかもしれませんが、自分自身としては、常に「崖っぷち」のような必死な思いで毎日を駆け抜けているのが本音です。私の方こそ、挑戦し続けている起業家のみなさんを見ていると、まぶしく、時には羨ましく感じることもあります。

私は、ベンチャーエコシステムの主役は、あくまで挑戦している起業家の方々だと思っています。私たちが運営するコミュニティでもそれは同じです。

ですので、私個人への過分な評価は恐縮してしまいますが、私の自然な姿を見て何かを感じていただけたのなら、それは素直に嬉しいですね。これからも主役である起業家の皆さんが最高に輝けるよう、裏方として支えていきたいと改めて思いました。

-杉原-
逆に、イベントに参加した一人のゲストとして、刺激を受けたり知見を得られたりしたセッションはありましたか? 以前、別の記事で「書道に興味がある」と拝見したのですが、今回の書道パフォーマンスはいかがでしたか。

-渡部-
私自身、幼い頃に書道を嗜んでいたこともあり、とても感慨深かったです。 現代はインターネットやテクノロジーがあふれ、誰もが多忙な日々を送っていますよね。そうした中で、書道や茶道、ピラティスのように「ゆっくり動くこと」に価値を置く世界観に触れると、驚くほど心が静まります。デジタルのスピード感とは対照的な、あの静かな時間は、今の時代にこそ大切なものだと改めて感じました。

また、サミット全体を振り返ると、本当に多くの方々と対話できたことが大きな刺激になりました。起業家の皆さんが熱を持ってご自身の事業を語ってくださる姿や、会場で偶然再会した起業家の皆さん、日本を代表するリーダーシップからのお話。 そうした交流を通じて、日本にも次世代のイノベーションコミュニティがあることを肌で感じられたのは、私にとって非常に大きな収穫でした。

-杉原-
後藤社長自身が非常にグローバルな視点をお持ちなので、すでに培われたネットワークから素晴らしい方々を招待されていたのでしょうね。ディ・ポップスグループとしても、今後は海外起業家への投資を本格的に検討しており、この輪はさらに広がっていくはずです。改めて、今回はサミットへのご登壇、本当にありがとうございました。

◆シブヤスタートアップスについて

-杉原-
さて、ここからは「シブヤスタートアップス」の活動についてお伺いします。改めて、どのような取り組みをされているのかご紹介いただけますか?

-渡部-
シブヤスタートアップスは、渋谷区と日本を代表する大企業がタッグを組んだ、官民連携のスタートアップ支援組織(アクセラレーター)です。 国内のスタートアップだけでなく、海外から優秀な起業家を日本へ誘致する活動も行っています。グロース支援に合わせ、ビザ申請や銀行口座開設のサポートもしており、現在は参加スタートアップの創業者のうち80%以上が海外出身者という非常に国際色豊かなコミュニティになっています。

私たちが注力しているのは、日本の社会課題を解決する技術を持つ企業の発掘です。例えば、少子高齢化社会に対応する「エイジテック」や「ロンジェビティ(長寿)」、物流業界の人手不足解消といった領域、さらには日本が強みを持つアニメ・ゲーム・VTuberなどの「ファンダムエコノミー」など、多岐にわたります。

こうした日本の市場特性に魅力を感じる才能を、私たちが世界中から直接スカウトしてくるのが特徴です。彼らが日本でのビジネスを志した際に、スムーズに活動できるよう伴走支援を行っています。来日する前から私たちがスカウトし、日本に降り立った時にはすでにパートナーとして関係が築けている。そんなイメージで活動を広げています。

-杉原-
現在は、海外に拠点を持つスタートアップが日本市場へ参入する際のサポートがメインになるのでしょうか?

-渡部-
そうですね、そうしたケースが多いです。日本に支社を構える場合もあれば、日本に本社を置く決断をするチームもありますが、すでに複数の拠点で活動しているグローバルな視点を持った会社が多いです。

私たちが特に注力して支援しているのは、いわば「グローバルニッチ」な領域です。 例えばアニメ業界を例に挙げると、アニメファンは世界中のあらゆる国に存在しますが、一つのコミュニティとしてはまだ「ニッチ」な側面を持っています。しかし、そのニッチな層が世界中に点在しているため、掛け合わせれば非常に大きな「グローバル・スケール」の市場へと成長します。少子高齢化や介護などの市場も同じ見方ができると思います。

このように、特定分野で深い専門性を持ちながらも、世界規模で戦えるポテンシャルを秘めたスタートアップ。私たちは、そうした「グローバルニッチ」な輝きを持つ企業を優先的に発掘し、日本市場へと繋いでいます。

-杉原-
シブヤスタートアップスが支援する企業は、やはり渋谷区内に拠点を置くことが条件になるのでしょうか?

-渡部-
いえ、実はそうではないんです。他の区であっても、東京都以外であっても構いません。

もともと渋谷区には、この会社ができる前から『Startup Welcome Service』という窓口があり、ビザ取得などの煩雑な行政手続きから日本での生活面に至るまで、包括的に一元サポートする体制が整っていました。さらに『Shibuya Startup Support』を通じて、スタートアップ支援に関する情報をオープンに発信する取り組みも積極的に行っています。

私たちの根本にあるのは、「日本でビジネスをしたい」という志を持って渋谷にやってくる起業家の皆様を全力で支援したいという思いです。渋谷という場所を入り口にしつつも、広く日本全体のエコシステムに貢献していくことを目指しています。

-杉原-
なるほど。地域という枠に縛られず、日本への入り口を広く構える素晴らしい取り組みですね。 ちなみに、現時点で支援されているスタートアップは何社ほどになるのでしょうか?

-渡部-
現在は、支援している企業数で言うと52社になります。 その顔ぶれは非常に幅広く、エイジテックやクリエイターテックをはじめ、物流、ロボティクスなど多岐にわたりますが、一貫しているのは「日本で取り組むからこそ価値がある」という視点です。

日本の社会課題解決に直結するものや、日本の強みを活かせる領域を中心に、私たちが直接リクルートしています。その52社のうち、現在7社に対しては出資という形でも支援を行っています。

◆スタートアップへの具体的な支援や伴走の内容

-杉原-
スタートアップへの具体的な支援や伴走の内容について、いくつか例を挙げていただけますか? そこには、渡部さんやスタッフの皆さんのどのような経験・知見が反映されているのでしょうか。

-渡部-
大きく分けて2つの軸があります。

1つ目は、日本でのビジネスを立ち上げるための「基盤づくり」の支援です。 ビザ取得のサポートや拠点の提供などが挙げられます。例えば、今このインタビューを行っている『渋谷ブリッジ』は渋谷区のコワーキングスペースですが、ここに来れば、渋谷区の支援会社や我々のアクセラレーター(UPプログラム)の参加企業はもちろん、イベントに参加する起業家や支援者と交流できるようなコミュニティの場を私たちが渋谷区さんとデザイン・運営しています。

また、海外起業家にとって壁となるのが「銀行口座の開設」です。通常は1年近くほどかかるケースもあると理解していますが、私たちは最短2週間程度で開設できる支援体制を目指します。その他、登記や会計などの支援にも繋ぐといった活動も行っています。

2つ目は、事業を加速させる「グロース支援」です。 市場開拓の戦略立案からリサーチ、実証実験(PoC)のデザイン・実行までを支援します。資金調達の面でも、アジア、北米、そして日本の投資家を、そのスタートアップに最適な形で繋いでいます。

私たちは、いわば「スイスのアーミーナイフ」のような存在でありたいと思っています。起業家の皆さんのあらゆる困りごとに対応し、必要なツールを差し出す。そんな万能なコンシェルジュとして、多角的なアドバイスと実務支援を行っています。

-杉原-
こうした多岐にわたる支援は、渡部さんお一人で担われているのでしょうか?

-渡部-
領域によって役割を分担しています。例えば、最初にお話しした手続きや事務周りのサポートについては、専門チームと密に連携して進めています。その一方で、私自身が主軸として担当しているのは、2つ目の「グロース支援」の領域です。

-杉原-
支援を受ける側からすれば、渡部さんのような方が並走してくれるのは本当に心強いでしょうね。

-渡部-
ハンズオン支援は非常に奥が深く、一筋縄ではいかない難しさもあります。ただ、ここで私自身のこれまでのキャリアが一番活きていると感じます。私自身もかつてスタートアップ側で同じ苦労を経験してきたので、彼らが直面する大変さが痛いほど分かるんです。

ですから、彼らと一緒に走ることは全く苦ではありません。単にアドバイスをするだけでなく、時には起業家と一緒に私自身が資金調達のストーリーを練り、メディアへの橋渡しをしてピッチの場を作ることもあります。自分にできることは、文字通り「全部やる」というスタンスです。 そうやって彼らと間近で向き合っていると、ふと「自分もまたスタートアップの現場に戻りたいな」と羨ましくなってしまうこともありますね(笑)

-杉原-
ご自身がプレイヤーだったからこそ、現場の熱量に触れると「自分もまた」という気持ちになりますよね(笑)。 それにしても、支援先が52社というのは驚異的な数です。これほどの企業を、どのような形で集められたのでしょうか。

-渡部-
実は、この会社を創業後、しばらく私一人で活動していたこともあり、海外で広報活動はしなかったので(そもそも海外媒体はどこも取り上げないのでニュースにもならなず)採択したスタートアップのほとんどが口コミや私の人脈からの推薦による広がりなんです。私が代表に就任した2023年前後は、コロナ禍を経て世界が大きく動き出し、生成AIやブロックチェーンといったテクノロジーが急激に普及した時期でした。米国をはじめとする国際情勢の変化も重なり、海外の起業家の間で「日本市場に挑戦したい」という機運が高まっていたんです。

そんなタイミングで私がこの仕事を始めたことを伝えると、ありがたいことに世界中の友人や知人が声をかけてくれました。「日本にぴったりの面白い会社があるよ」「うちのVCの投資基準とは少し違うけれど、日本市場なら間違いなく輝くはず」といった紹介が次々と舞い込んできたんです。

また、Google時代に切磋琢磨した元同僚たちのコミュニティからも多くの縁がありました。かつて20代・30代を共に過ごした仲間たちが今や起業家となり、互いに助け合える関係になっていることは大きな財産です。さらに、スタンフォード大学院での恩師であり、ご自身もベンチャーキャピタリストであるリチャード・ダッシャー博士がアドバイザーとして参画してくださったことも、コミュニティの信頼を高める大きな力となりました。

振り返れば、これまで築いてきた世界中のコミュニティが、今の仕事に生きていると感じ感謝の気持ちで一杯です。
(リチャード・ダッシャー博士:スタンフォード大学にてアジアとイノベーションの研究をしている。2025年には長年の日米交流と教育研究への貢献が評価され、日本政府から外務大臣表彰を受けた。設立当時アドバイザーで現在は退任。)

-杉原-
リチャード・ダッシャー博士のような存在がバックアップしてくださるのは非常に大きいですね。 ディ・ポップスグループでも、会長でありKDDI共同創業者の千本さんや顧問の藤崎元駐米大使といった方々が名を連ねてくださっていますが、そうした「重鎮」の存在は起業家へのエールになるだけでなく、事業開拓においても信頼の証となります。トップ層が応援したくなるような志の高い取り組みは、本当に大切ですね。

そうした活動の結果、具体的に飛躍を遂げたスタートアップの事例があれば、ぜひ教えてください。

-渡部-
一つは、もともと日本進出を全く考えていなかった才能を日本へ呼び込めたケースです。 Xoogler (元Google社員からなるコミュニティ)コミュニティ創業者の二人が、テック業界での大規模なレイオフ(一時解雇)に直面した人々のためのプラットフォームにインスパイアされた、Key.aiというスタートアップを始めました。当初、彼らの視界に日本はありませんでしたが、私たちが投資し、伴走することで日本への道筋を拓こうとしています。このように「本来なら日本を素通りしていたはずの層」をエコシステムに巻き込むことこそ、私たちの存在意義だと感じています。

また、生成AIを活用したアニメ制作のスタートアップも印象的です。 2023年に国連から労働環境について指摘を受けるなど、日本のアニメ業界(特に大手を除いて)は人手不足や過酷な環境という課題を抱えています。そこへ、日本のアニメを愛する海外からきた創業者が「生成AIでクリエイターを支援できれば」と活動しています。

私たちは、いわば「産業プロデューサー」のような立ち位置です。製品・サービス、マーケティング・PR、市場進出・資金調達など幅広い戦略を、起業家と二人三脚で練り上げることもします。そうして一企業の運命が変わる瞬間に少しでも力添えできたとき、この仕事の意義を深く実感しますね。だからこそ、サポートの質には徹底的にこだわっています。

~後編に続く~

 

☆インタビューアー
D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太

【シブヤスタートアップス株式会社】
代表者:会長 渡部 志保
代表取締役社長 田坂 克郎
所在地:東京都渋谷区東一丁目29番3号 Shibuya Bridge B棟
設 立:2023年2月
U R L:https://upshibuya.com/

 

次回後編のインタビューでは、
・スタートアップ支援を選んだ理由
・渋谷、日本の魅力
・シブヤスタートアップスが考える、スタートアップエコシステムとは
・「ベンチャーエコシステムの実現」について
などについてお伺いしています。

後編もぜひご覧ください!

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—近藤—これは本当にお客様に育ててもらった、という感覚が強いです。僕はどちらかというとすぐに振り切るタイプなのですが、あえて自分から意識したというよりは、お客様からのヒアリングに近い形でブランドが育っていった気がします。今でこそ大阪で1番と言っていただけるようになりましたが、それまでは「麺助」の名前だけでは通じなかったこともありましたし、逆にラーメングランプリのようなイベントに出て、評価が割れてしまい、1位を他店に譲るということもありました。 それが良かったのか悪かったのか、正直今でもわからないままここまで来ましたが、明確に「この店舗の目的は何か」ということを意識し始めてからは、しっかりとブランド作りの一環になっていったのかなと思います。 ただ、正直に言うと運の要素もかなり大きいと思っていて、狙ったからといってブランディングができるかというと、必ずしもそうではありません。インフルエンサーを使えばできるかというと、そういうものでもない。 やはり「共感」というキーワードが重要で、ブランドというのは実はとてもあやふやなものだと思っています。原価率が高い商品でも、それがいいものだと信じてもらえなければ、100円の価値になりますし、逆に1万円の価値があると思っていただければ原材料費が10パーセント以下でも超高級ブランドになる事もある。それくらいあやふやなものだからこそ、理解してもらい共感してもらい、思いをきちんと広げていく、つなげていくということが一番大切な事なのだと思い努力しつづけます。 —杉原—最初からブランド戦略ありきでこの店を作ったのではなく、だんだんと醸成されていったということですね。味の話でもありましたが、最初から完成していたのではなく、じわじわとフィードバックを取り入れながら、お客様と一緒に作り上げてきたと。 —近藤—もちろん最初から緻密に設計できる方もいらっしゃるとは思いますが、僕の場合は、お客様に合わせて合わせていった結果、今の形になったという感覚が強いです。似た店名のお店やコンセプトがやたら似ているお店が出てきたりもしていて、これだけ順調にやらせていただいている分、他店舗のランドマークのような存在にもなりやすいのだと思います。だからこそ、より明確に、より他が追いつけないところにたどり着かなければならないと思って、この数年やってきました。その結果として、思いがけない方々に応援していただけたりするのですが、それは結局のところ、もがき苦しんでいた間に沢山の方々に可愛がっていただいた結果でしかないと思っています。 ◆ 麻布台ヒルズポップアップと”幻の鶏”高坂鶏との出会い —杉原—続いて、麻布台ヒルズで6月に特別ポップアップストアを開催されましたね。私も伺わせていただいて、高坂鶏を使った究極のスープを使ったラーメンを提供していただきました。まずお伺いしたいのですが、こうしたスペシャルなポップアップストアの活動は、大阪以外では初めてだったのでしょうか。また、こうした挑戦は今後も続けていかれるのでしょうか? —近藤—僕が面白いと思えるかどうかが、活動の軸になっています。面白いと思わせてくれる場所であれば、積極的にやっていきたいと思っています。 高坂鶏という食材自体が今、非常に注目されている食材なので、それを使わせていただけているということ自体が本当にありがたいです。高坂さんという生産者の方が、僕のことを認めてくださって「メインで使っていい」と言ってくださっているのは、本当にありがたい話だと思っています。 —杉原—その高坂鶏は、焼き鳥店でもなかなか仕入れさせてもらえないほど貴重だと伺っています。近藤社長は、なぜ仕入れることができたのでしょうか? —近藤—本当にたまたま、知り合いの焼き鳥店に紹介していただいたのがきっかけです。僕はもともと何にでも興味を持つ性格で、高坂鶏のガラがあるなら使ってみたいと思って、骨だけ分けていただいて使い始めました。 ところが最初は全然美味しくならなくて。焼き鳥でいただいた時は間違いなく美味しいとわかっていたのに、スープにすると全く違う結果になってしまって、なぜだろうとずっと考えていました。素材が良ければすぐに美味しくなるだろうと思っていたのですが、実際は全然そうではありませんでした。そのことを周囲に話していたら、それがたまたま高坂さんの耳にも入ったようで。 そこから1か月、2か月、3か月と、かなり長い期間、試行錯誤を重ねました。最終的には、見た目は出汁を取っているような色をしているのに、すっと体に入っていってもたれないスープが完成しました。シンプルに考えると、肉と油のバランスをしっかり整えてあげることが、美味しさの本質だったんです。そこを高坂さんに理解してもらい、認めてもらう結果となりました。 —杉原—その分解の作業を経て、今では高坂さんとの仕入れの関係もしっかり築かれているわけですね。ベンチャー企業あるあるで、「あの人に助けられた」「あの方との出会いが転機だった」という話をよく伺いますが、人との出会いというのは本当に大きいですね。 —近藤—本当にそうだと思います。人間が変わるタイミングというのは、人と出会った時にしかないと、僕は師匠から教わりました。自分1人で「明日から変わろう」と思っても、なかなか変われないものです。それくらい人間は弱いものですが、変わる瞬間というのは、強烈な人との出会いがターニングポイントになることが多くて、僕自身の人生も、いくつもの交差点でそういうターニングポイントがありました。 ☆インタビューアーD-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【麦と麺助】オーナー:近藤佑介所在地:大阪府大阪市北区豊崎3-4-12開業:2018年5月19日(2016年4月、姉妹店「燃えよ麺助」を大阪・福島にオープン)姉妹店:燃えよ麺助(大阪・福島)、なにわ麺次郎各店舗(大阪・難波&梅田) Part3では、 ・ラーメンという日本食の国際展開の可能性・ブランドを活かした他業界とのコラボレーション・飲食店経営で1番大切にすべきこと・D-POPS GROUPが目指すベンチャーエコシステムへの共感・読者の皆様へのメッセージ などについて伺っています。Part3もお楽しみに!
  • INTERVIEW
2026.09.15
行列の絶えないラーメン職人が語る、繁盛店が育つ土壌のつくり方|ミシュランガイド7年連続選出「麦と麺助」近藤佑介氏インタビュー~Part1~
【このパートについて】 全3回にわたるインタビューの第1回となるPart1では、大阪・中津の行列店「麦と麺助」が7年連続でミシュランガイドのビブグルマンに選出された率直な感想、近藤佑介氏がラーメン店を始めるまでの遠回りの道のり、看板メニューであるホロホロ鳥のスープに込められたこだわり、そして味を完成させるまでに重ねてきた試行錯誤についてお聞きしました。(このインタビューは2026年7月に実施しました。) ◆ 7年連続「ビブグルマン」— 率直な喜びと海外からの支持の広がり —杉原— 本日は、2020年から2026年まで7年連続でミシュランガイドのビブグルマンに掲載されているラーメン店「麦と麺助」を経営されるオーナー、近藤佑介様にお話を伺います。 まず最初に伺いたいのですが、経営されている大阪・中津の行列の絶えないお店「麦と麺助」、この春、2026年版のミシュランガイドでもまたビブグルマンに選出されましたね。これで7年連続とのことで、おめでとうございます。率直な感想をいただけますか? —近藤— まずはほっとした、というのが正直なところです。ミシュランの評価というのは、来てくださっているお客様への評価のおまけのご褒美のようなものだと思っていて、応援してくださっている方、何時間も並んでくださる方に対して、良かったなという気持ちが1番大きいです。 —杉原— 「麦と麺助」は、行列がすごいですよね。 —近藤— ちょっとやりすぎだなと思うくらいです。シーズン的なものもかなりありますが、本当にありがたく、自分が想像していたところを超えて待っていただいている状況です。 —杉原— 驚くのが、日本人にとってはお店に並んで食べるのはもう当たり前の感覚ですが、拝見していると3分の1くらいは台湾や香港など、海外のお客様に見えます。 —近藤— これもありがたい話で、海外の方に「このお店は韓国で1番有名ですよ」と言われたり、先日もタイのYouTuberの方が知らないうちに紹介してくださっていて、それをきっかけにタイの方が一気に増えたりと、僕の知らないところで勝手に広がっていっているという感覚があります。 中津にある『麦と麺助』 —杉原— ミシュランの星を、まるで世界遺産巡りのように追いかけている方もいますよね。それはそれで素晴らしいことですが、本当にラーメンの味がわかっているのかなと日本人としては思ってしまう部分もあって、インフルエンサーの方が「これはおいしい」と発信してくれているのかもしれません。 —近藤— 東京の醤油文化のラーメンは、醤油の香りがしっかり立っているものが美味しいとされていて、外国の方にとってはその塩気の強さが少しとっつきにくいところがあるようです。 一方で、世界の方にとっては関西の出汁醤油の方が美味しいと感じてもらいやすいのではないかと思っています。塩のエッジを強く感じさせすぎないように作っているので、それが海外の方にも受け入れやすいのかなと感じています。 もっと本質的な、根本的なところで言うと、人間はカロリーが高いもの、油分や糖分が多いものを美味しいと感じる生き物だと思うんです。極端な話、10キロカロリーのチーズと500キロカロリーのチーズなら、後者の方を美味しいと感じるように。 そう考えていくと、味覚というのはルーツの違いこそあれ、根本的にはそこまで大きく変わらないのかもしれないと思っています。もちろん、パクチーのように僕らが普段使わない食材は受け入れにくいということはありますが、基本的には素直によい食材の旨味を重ねて、油分を加えていくことで、多くの人に美味しいと感じてもらえるのだと思います。 ◆ 「手に職」から始まった、遠回りだらけのキャリア —杉原— では次の質問に移らせていただきます。「麦と麺助」はミシュランの常連店であり、姉妹店の「燃えよ麺助」も食べログ百名店に9年連続で選出されています。ラーメン界の巨匠と伺ったこともあります。近藤社長はいつ頃、どのような理由や経緯でラーメン店を始めることになったのでしょうか? —近藤— 僕の人生は、決して順風満帆な人生ではなくて、どちらかというと遠回りの多い人生だったと思います。大学を卒業したあと、まずは会計士を目指していました。 朝から晩まで勉強して、2年ほど真剣に取り組んだのですが、全く試験に通らなくて。もともと会計士を目指した理由も、これがやりたいというよりは手に職をつけたいという程度の動機だったのですが、それでも「頑張ればできる」とどこかで自分を信じていたところがあったんです。それが全く通らないとなって、これはまずいぞと思っていた時に、たまたま同い年でホテルのイタリアンで6、7年働いていた友人が独立したいと言い出して、「前に会計や簿記をやっていたから、経理ができるだろう」と誘われました。実際にはできないんですが、「そこだけ手伝ってほしい」と言われて、飲食業界に足を踏み入れることになりました。 飲食の道に携わることになったのは、シェフとしてではなかったのですが、それが意外と面白かったんです。飲食業は、その人が作った料理を提供して「美味しい」と言ってもらえる、サービスとしての面白さがありました。もちろん最初は、立っているだけなのに偉そうだとお客様に言われることもあって、悔しい思いもしましたが、そこから飲食をやりたいという気持ちが芽生えていきました。 ただ、そこから1年半ほど経った頃、そのシェフに子供ができて、実家が福井のお寺だったこともあり、「跡を継ぐために帰る」と言われてしまったんです。お店をそのまま譲るからと言われたのですが、正直、退去費用の心配の方が先に立ってしまって、どうしようと悩みました。結局レトルトのような簡易な形でお店を続けようとしたのですが、お客様が離れていってしまって、これはだめだと痛感しました。 その後たまたま見つかったのが和食のお店で、そこで働かせてもらうことになりました。さらにその時に知り合った社長さんから「経理ができるなら、経理だけやりなさい」と言われて、3年ほど経理担当としてサラリーマン生活を送っていました。30歳の時に、このままでは40歳になった時に後悔すると思い、「自分は何が好きなんだろう」と自問した結果、出てきたのがフットサルとラーメンでした。 ラーメン屋をやったら何とかなるかもしれないと思ったのですが、実は自分でラーメンを作ったことは一度もなかったんです。イタリアンのレストランでも、料理はほぼ作っていませんでしたから。ただその少しだけ手伝わせてもらった経験が本当に面白かった。それで、30歳の時に「よし、これをやってやろう!」と決めて退職しました。 親からしたらたまったものではなかったと思います。せっかくまともに働き出したと思ったら、辞めてラーメンをやると言い出したので。母は何でもやったらいいという性格でしたが、父は「大学まで行かせて何を言っているんだ」という反応でした。それでも、すでに引っ越しの手配まで済ませてから話をするような形で、なかば強行突破のように独立の道を歩み始めました。 ラーメンをやると決めてから、当時大阪で1番と言われていたお店に履歴書を1枚だけ持って「働かせてください」とお願いに行きました。「変わったやつだな」と言われながらも受け入れていただいて、そこで4年間修行させてもらいました。いまでも感謝してます。 最後の1年ほどは、僕を応援してくださるお客様も増えていて、ある意味プレ営業のような状態になっていました。結果として、その流れをそのまま引き継がせていただく形で独立することができました。 修行時代の最後の2年間は、本部のマネージャー的な仕事も任せてもらっていて、スーパーバイザーのような業務や、売上をどう伸ばすかという経営視点の仕事も経験させてもらいました。たまたま経理の勉強を会計士のために没頭していただけのつもりが、簿記の考え方や会計学は自分を物凄く助けてくれました。結果としてすべてが今につながっているという感覚があります。 —杉原— ラーメン作りだけでなく、経営という面での修行もそこでされていたわけですね。 —近藤— 当時は、そんなつもりで学んでいたわけではなかったのですが、振り返るとそれが今、しっかり生きています。 —杉原— サラリーマンから起業した経営者の方にも、最初は会社員として働いていて、そこでの経験の点と点がつながって今があるんだと語る方が多くいらっしゃいます。近藤社長の場合も、一生懸命やっているうちに、それがすべてつながっていったんですね。 —近藤— 本当にそうです。一生懸命やっていました。特に本部での2年間は、絶対に戻りたくないと思うくらい大変でした。朝8時前に出勤して、夜12時前に帰る生活を続けていて、正直、自分に才能があるとは思えないような日々でしたが、やりきろうと思っているうちに独立できるところまでたどり着きました。 ◆ ラーメンの「枠のギリギリ」を攻める — ホロホロ鳥という差別化戦略 —杉原— では、ラーメンそのもののお話に移らせてください。ラーメン好きの読者の方も多いと思うので伺いますが、「麦と麺助」で提供される看板ラーメンは、フランス料理などでお馴染みのホロホロ鳥を材料として作られたスープが最大の特徴だと伺っています。私もいただいたことがありますが、珍しくスープを飲み干せるラーメンでした。このホロホロ鳥という食材は、味わいを作るうえでやはり重要な存在なのでしょうか? —近藤— はい、重要な食材です。福島の「燃えよ麺助」が鴨で、「麦と麺助」がホロホロ鳥というように、それぞれのお店で使う食材を変えています。最初から差別化というところは強く意識していて、単に「美味しいラーメンを作りました、いい食材をたくさん使っています」と言われても、僕がお客さんの立場だったら正直あまり惹かれないんです。 ラーメンという枠組みの中で、1番端っこにあるギリギリの食材は何だろうと考えていました。ラーメンの枠を超えてしまってはいけない、例えばワニ肉のようなものでは、多分誰も食べたいと思わない。日本人のルーツにある「美味しい」という感覚の延長線上にある食材を1つフィーチャーすることで差別化を図る、というのが、福島のお店で鴨を使った理由の1つでもあります。醤油、味噌、豚骨という分け方が一般的だった時代に、うちは鴨、しじみ、ホタテという素材そのものにフォーカスしたラーメン屋という位置づけを作ったつもりです。 —杉原— 1つのお店で情報を出しすぎない、というのもポイントなんですね。 —近藤— その素材にフィーチャーしたラーメン屋というのは、当時はあまりなかったと思います。もう1つ、僕自身が飽き性だという理由もあって、鴨のラーメンを福島でヒットさせたなら同じ路線を続けてもよかったのですが、それだと飽きてしまう。それで考えた結果、フランス料理のメインディッシュになるような食材は何だろうと調べていきホロホロ鳥という、正直よくわからない食材にたどり着きました。実際に食べてみたら美味しかったので、これでやってみようというノリで始めました。 —杉原— それはトッピングの肉やチャーシューとしてではなく、スープに使うべきだという発想だったのですか? —近藤— スープに使うのはもったいないという声もあるのですが、やはり全然違うんです。油の軽さやコクの深さが、一般的な鶏とは少しずつ違っていて、スープに突き詰めて使うことで他のお店とは全く違うものになるのではないかと考えました。 ホロホロ鳥の丸鶏そのままを、肉から全てスープに使うというのは、おそらく今でもうちくらいしかやっていないと思います。コストが合わないからです。 また、ちゃんとルーツもある食材で、もっと遡ると『雉肉』は平安時代あたりから貴族の贅沢品として食べられていたようです。豊臣秀吉が鴨を好んでいたという説から「鴨難波」という言葉が生まれたという由来もあるくらいで、日本人と鴨・雉のような食材には、意外と深いつながりがあるのだと思います。 ◆ 「完成」はいらない — 現場の反応から生まれる改善 —杉原— この究極のラーメンというのは、完成してから提供を始めたのか、それとも日々お客様に提供する中で、だんだん今の味に近づいていったのか、どちらだったのでしょうか? —近藤— 完全に後者です。ある程度美味しいものができた段階でスタートして、僕はお客様の反応を見ながら味を寄せていくタイプなので、現場の顔を見ながら「こちらの方が良かったかもしれない」というのを選び取っていく形です。何回リメイクしたか数えきれないほどで、100や500では全然きかないくらいリメイクを重ねています。 お塩の量を考えるとわかりやすいのですが、実は塩の種類を変えただけでも、同じグラム数なのにミネラル分の違いでまろやかさが変わったりします。そういう繊細な違いを、日本人のお客様は特に感じやすいので、さらに美味しくなるように日々試行錯誤を重ねています。 —杉原— それはお客様に直接聞くというより、表情を見て判断するのですか? —近藤— もちろん直接聞くこともありますし、食べてくださっている様子を見ることもあります。結果として、そのラーメンが美味しいから偉いのではなく、お客様に求められているから価値がある。求められる数が増えれば増えるほど、需要が大きくなっていくというのが基本だと思っています。 —杉原— これは特にベンチャーステージの企業とすごく重なる話です。走りながらプロダクトを提供して、フィードバックを得て、また改善するということの繰り返しで、軌道に乗るまで、狙ったお客様に深く浸透するまでの間、何度もトライアンドエラーを重ねるという話がありますが、ラーメン店もまさにそうなんですね。 —近藤— ラーメン店に限らず、あらゆるビジネスに共通することだと僕は思っています。美容師であっても、アプリを作る会社であっても、ラーメン屋であっても本質的には一緒で、基本的には需要が発生する形にどう持っていけるかが重要だと思います。 実際、面白いデータがあって、有名レストラン出身のシェフが独立した場合、味は間違いなく美味しいので、成功率で言うと9割くらいありそうですが、実際には4割ほどが数年で失敗してしまうというものがあります。それだけ味以外のビジネスの部分に目を向けていないと、味だけが完成していてもうまくいかないという、わかりやすい事例だと思います。求められているものを置いておきつつ、それ以外の部分は環境に合わせてどんどん変えていく方が、結果的に生き残っていく。自分のやりたいことを押し通すスタイルはやはり長続きしないのだと思います。 もちろん、語れるだけの知識や技術の裏付けは必要ですが、メインはあくまでお客様が求めるものを作っていく、自分のお客様ならこれを食べたいだろうというものを作っていく、というのがベースにあります。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【麦と麺助】 オーナー:近藤佑介 所在地:大阪府大阪市北区豊崎3-4-12 開業:2018年5月19日(2016年4月、姉妹店「燃えよ麺助」を大阪・福島にオープン) 姉妹店:燃えよ麺助(大阪・福島)、なにわ麺次郎各店舗(大阪・難波&梅田) Part2では、 ・一流の料理人から学ぶという姿勢 ・行列店ならではの経営とコストのリアル ・多店舗経営とブランドの育て方 ・麻布台ヒルズのポップアップストアと希少な高坂鶏との出会い などについて伺っています。Part2もお楽しみに!
  • INTERVIEW
2026.09.10
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part2】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの最終回となるPart2では、赤松社長のバンドマン時代の経験や起業のきっかけ、組織づくりへのこだわり、大病をきっかけに立ち上げたエンタメ事業、そしてディ・ポップスグループへのM&Aの経緯やベンチャーエコシステムへの共感、5年後のビジョン、読者へのメッセージについてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 「バンドマン時代」の経験が経営に活きている —杉原— 事業の話から少し離れて、社長のキャラクターを深掘りさせていただきたいと思います。元はバンドマンだったという話を聞いたことがあるんですが、本当ですか? —赤松— はい、本当です。若い頃はベースを弾いていて、会社経営とは全く違う世界にいたんですが、バンドも一人だけ上手ではチームとしてまとまらないので、結構会社経営と似ている部分もあるのかなと思います。 それぞれ個性もありますし、能力もあります。でも、一つのステージを作るという意味では、会社経営も一緒なのかなと。 —杉原— チームワークやバランス感覚を、音楽の分野で長く経験されていたんですね。その頃のバンドマンとしての経験は、社長業に役立っていますか? —赤松— そうですね、わからないですけどね。ライブでお客さんの反応を見ながら、相手が何を求めているかを感じ取る、という感覚は活きているかもしれません。 —杉原— 確かに。大手企業と取引をするには、空気を読めないと無理ですものね。 ◆ 「納得できる会社をつくる」――opzt創業の原点 —杉原— 最初に少し触れていただきましたが、改めてお聞かせください。opztを起業したきっかけと、創業から13年間を振り返った今のご感想をお聞かせください。 —赤松— 元々の起業のきっかけは、大きな会社、大企業を作りたいという計画があったというよりは、自分自身の責任で事業をやって、自分たちが本当に納得できる会社を作りたいという、割と志が低めの起業ではあるんです。壮大なビジョンはありませんでした。 本当に20年ぐらい前の人材業界は、超がつくブラック企業が多く、その中で働きながら、もっと働く人を大切にしたらいいのではないか、お客様にももっとクイックに柔軟に対応できる会社ができるのではないかと、ふつふつと感じる部分があったので、2013年に創業したというのが元々の経緯になります。 この13年を振り返ると、本当に会社の売上や規模以上に、人とのご縁でなんとかここまで来られたという感覚が大きいですね。 —杉原— 壮大な大企業を作るというより、具体的な計画がないまま起業してうまくいかない社長もいる中で、本当に理想の職場をみんなに提供したいという思いと経験から始まっているというのは、素晴らしいですね。 私自身、以前勤めていたシステム会社にエンジニアになるつもりで入ったのに、結局昔は派遣業だったんです。自分の上司なんて半年に1回ぐらいしか顔を出してくれなくて、派遣先の工場でずっと仕事をしていたんですが、あの頃は単価としてしか見られていなかったんです。現場ではすごく評価されていても、給料には全然反映されない。そんな時代でしたよね。結局、3年で辞めてしまいました。(笑) —赤松— 本当にそうです。僕らも、派遣スタッフに有給を取らせるなとか、人が足りなければ道端で声をかけてこいとか、そういう時代でした。 数字だけで見られて、もっと残業させろとか言われて。無茶苦茶な時代でしたね、本当に。 —杉原— それに関連するんですが、創業時、創業間もない頃から社員になっている方が長く続けられている印象があります。組織作りや会社運営の面で、人に関してこだわりや心がけていることがあればお聞きしたいです。 —赤松— 本当に、単純に感謝しかないというか、長く働いてくれる社員が多いので、本当にありがたいなと思っています。 大切にしているのは、社員を単なる役職や数字だけで見ないということです。人それぞれ得意なこと不得意なことがありますし、営業が得意な人もいれば、管理が得意な人もいます。同じ型にはめるのではなく、それぞれが活躍できる役割を作ることを意識しています。 また、創業メンバーだけで意思決定するのではなく、新しく入った人にもきちんと機会を与えて、次の経営人材や責任者を育てていきたいという思いがあります。そういった昔ながらの良さを残しつつ、属人的ではなく、仕組みで動く組織に変えていくということを意識してやっています。 ◆ 拠点を管理せず、経営者を育てる――複数拠点のマネジメント哲学 —杉原— 私自身、渋谷ヒカリエに拠点を置く東京のopztチームの皆さんとよくお会いします。東京のopztチームの皆さんは、社長がいらっしゃらなくても本当に真面目に、和気あいあいと、真剣さもありながら冗談を言い合いながら明るく雰囲気よく仕事を回されているんですよね。先ほどお話にあった名古屋、四国、九州と点在しているオフィスの中で、スタッフや社員の方々がどうしてそんなに自主自立してしっかりと仕事をされているんでしょうか? —赤松— そうですね、各拠点を細かく管理しすぎないというのが、実はキーになっています。地域によってお客様や採用のマーケットもまったく違うので、本社の成功パターンをそのまま押し付けてもうまくいかないというのが過去にありました。 東京のチームが自走できているのも、現地のメンバーが自分で考えて意思決定し、結果にコミットしてくれているというのが大きいと思っています。拠点を管理するというよりは、拠点の経営者を育てる感覚に近いですね。 —杉原— 凄いですね。みんな本当に自分が経営者だという雰囲気で、東京の成績を上げるんだと動いているんですね。 ◆ 大病が教えてくれたこと――エンタメ事業「SELEBRO」誕生の背景 —杉原— 話は変わりまして、赤松社長はopztとは別にエンタメ系の事業をされているとのこと。こちらはopztの後に立ち上げられたんですよね、「SELEBRO」という会社ですね? —赤松— そうですね。今、「SELEBRO」という会社で、ライブハウスやナイトクラブ、アーティストのマネジメント、音楽フェスなどのイベントの企画を行っています。 ビジネスモデルとしては、本当にがっつりエンタメとテクノロジーを合わせたような、エンタメテックのような事業もやっています。opztとは別で、本社も大阪でここではないんですが、元々私自身が音楽やエンタメが好きだったというのもありますし、きっかけとしては、僕自身が脳動脈解離という病気になって入院したことが大きいです。 2018年の12月にディ・ポップスグループにジョインをして、その半年ほど後、2019年の6月か7月頃です。本当に突然のことで、病院に行ったらすぐに入院してくださいと言われて。本当に深刻な状況で、もう明日死ぬかもしれない状態で1ヶ月過ごしました。 そこで人生観が180度変わったというのが大きいです。それまでは自分自身の未来はまだまだあって、根拠もなく80歳、90歳ぐらいまで生きて死ぬんだろうと勝手に思っていたんですが、それがひっくり返って。音楽もいつか将来、長い人生のどこかのタイミングでチャレンジできたらいいなと漠然と考えていたんですが、病気を経験してから、いつかではなく、いつ来るかわからないので、人生の最後にあれをやっておけばよかったという後悔だけはしたくないと思うようになりました。 そういう心持ちでいると、昔の音楽の縁や、すごくいい場所ができたりと、引き寄せのようにどんどんそういう巡り合わせがあって、これはもうやるしかないなと思いました。代表の後藤さんにもちゃんと話をして、「こういうことをやりたいんです」と伝えました。ただし、「opztもちゃんとやるならいいよ。」ということで、中途半端にはやってほしくないという話をいただきました。 ちなみに病気は治りました。結局、手術には至らず、その後は回復して、今は健康に過ごせています。 今は第二の人生を生きている感覚があります。やりたいことを「いつか」に先送りしないようになりました。 いつ死ぬかわからないので。 ◆ 会社の個性を尊重してくれた――D-POPS GROUPを選んだ理由 —杉原— 病気のことまでお話いただいてありがとうございます。大変なご経験をされたんですね。2018年にM&AでD-POPS GROUPにジョインしていただきましたが、その経緯や、いくつもオファーがあったと思う中で、ディ・ポップスグループを選んでいただいた理由をお聞かせいただけますか? —赤松— 当時、会社は5年目ぐらいで、10億円にいくかいかないかぐらいの規模感だったんですが、一定の規模まで成長していく中で、次のフェーズに進むためには自分たちだけでは持てない経営資源や知見が必要だと思うようになったのが、最初のスタートでした。 順調に成長していたので、いろいろな企業からお話をいただいたんですが、単純に会社を買収するという考え方ではなく、経営者である私自身や会社の個性をしっかり残しながら一緒に成長していくという、D-POPS GROUPの考え方と、後藤さんの人柄に魅力を感じたというのが理由です。 M&Aをした仲間も多いんですが、結局グループ入りした後に経営方針が変わったり、創業経営者が経営から離れるケースも多々見てきたので、そういう意味でも、ディ・ポップスグループは引き続き私自身が経営をさせていただいていますし、opztの文化や強みを尊重しながら成長させてくれています。優しく見守ってくれているというのがすごくいいなと思っています。 本当に、条件面などではなく、誰と一緒に経営するか、グループ入りした後に社員が前向きに働けるかというところを重視して選んだという感じです。 —杉原— その時の期待通り、10億円ぐらいの規模だった会社は、この6年間で大きくなりましたよね。経営体制が変わらないまま、後藤社長やディ・ポップスグループの経営会議などからの学びは結構ありますか? —赤松— そうですね。本当にいろんな面で日々勉強させていただいていますし、今もメンターシップもいただいていて、日々勉強させてもらっている感じです。 ◆ 「グループから次々と経営者が生まれる」ベンチャーエコシステムへの共感 —杉原— 素晴らしいです。では最後に、「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしているディ・ポップスグループですが、この目標に共感する部分や、エコシステム作りを意識した活動などがあればご紹介ください。 —赤松— たくさんあるんですが、特に共感するのは、一社だけが成功するのではなく、グループ内から次々に経営者や新規事業が生まれていくという考え方です。 僕自身も創業経営者として、会社を大きくすることだけが目的ではなく、社員の中から次の事業責任者や経営者が生まれ、その人がまた新しい会社や事業を作っていく、そういう循環する環境を作りたいと思っています。 opztでも、各拠点に権限と裁量を与えて、小さな会社を経営する感覚で拠点運営をやってもらっています。その事業で生まれた人材や資金、信用を次の事業に循環させていくというところが、ベンチャーエコシステムにつながるのではないかと考えていて、そこにすごく共感しています。 —杉原— opztさん自身の中でも、エコシステムができているようなイメージですね。 —赤松— そうですね。規模はまだ小さいですが、通ずる部分があると思っています。 ◆ 5年後、人とテクノロジーで企業の成長を支える会社へ —杉原— 5年後のopztはどのような姿、あるいは具体的な目標があれば教えてください。 —赤松— 5年後は、先ほども出た通り、単純に人材を派遣するだけの会社ではなく、人とテクノロジーを組み合わせて企業の成長を支援していくような会社になりたいと思っています。引き続き派遣事業は大きな基盤でもあるので、しっかりここはやりつつ、AIやデータ、データセンター領域の比率をより高めていきながら、専門性と収益性の高い事業構造に変えていきたいと思っています。あとは、社員やスタッフがきちんと成長して、お客様から長く必要とされること、適正な利益を出しながら新しい事業に投資できるくらいの会社にしていきたいと思っています。 ◆ 読者へのメッセージ —杉原— では最後に、読者の方に一言、何でも結構ですのでお願いします。 —赤松— opzt自体はまだまだ未成熟な会社ですし、これからAIをはじめテクノロジーもすごいスピードで変化していくと思いますが、当社としても過去の成功にとらわれず、新しいことにチャレンジしたいと考えています。仕事を探している方がもしこの記事を見てくださる機会があれば、今の経験だけで自分の可能性を決めてほしくないなと思っています。今経験がなくても、学んで挑戦することで新しいキャリアを作ることができますし、企業の方が見てくださっている場合は、人材の紹介だけでなく、組織作りや業務の改善、新しい事業の挑戦についても一緒に考えられるパートナーでありたいと思っていますので、少しでも興味を持っていただけたら、お気軽にお声がけください。 —杉原— 素晴らしいです。ありがとうございました! ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part1はこちらからご覧ください!
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2026.09.03
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