COLUMN

【エグゼクティブインタビュー】藤崎 一郎 顧問(元在アメリカ合衆国日本大使)~後編~

  • INTERVIEW
2024.10.16

今回は、「ベンチャーエコシステムの実現」のため2023年4月よりディ・ポップスグループの顧問に就任していただいた藤崎 一郎 顧問(元在アメリカ合衆国特命全権大使)へ、弊社代表取締役の後藤がインタビューいたしました。

今回はインタビューの後編になります。
前編は以下のURLからご覧ください。
【エグゼクティブインタビュー】藤崎 一郎 顧問(元在アメリカ合衆国日本大使)~前編~

 

-後藤-
それでは次の質問です。

一般の日本の大企業(新日鉄や伊藤忠等)でも社外取締役をされた経験があられますが、外務省で仕事をすることと、大きな違いを感じられたこと、また共通するものと感じられたことは、どのようなことでしょうか?

-藤崎-
大企業と外務省で大きな違いを感じたところは、外務省にいるときは決断にあたって常に対外説明、つまりアカウンタビリティを考えていました。民間ではそこが違うと感じました。

役所におりますと、マスコミと国会というのにさらされて、ちょっとでも何か不備があると対外的に発表が必要になります。例えばどこかの税務署で30万円紛失した場合、それを発表しなかったら大騒ぎになる。そして、 隠蔽工作をした等と言われてしまいますよね。警察だってそうです。

一方で、民間会社で同様に30万円の紛失があった場合、紛失後にすぐに見つけたら、今後はしっかり管理するようにいわれるだけで済みますし、基本的には経営陣の判断でコントロールできる。

役所にいる私どもはそこにエネルギーをかけすぎてるなと思います。

もう一点違うところは、外務省は大企業に比べるとフラットな社会でした。若い人もトップの場に行き発言が許されていました。大企業はヒエラルキーが厳しいように思います。

-後藤-
私も、世の中ほとんどの会社がピラミッド構造になってるので、若い人がチャンスを持ってやろうとしても、特別にものすごい努力したりとか能力が高い人がいても、昇進するまでものすごく時間がかかる。だから、そういった世の中でも、「若者にチャンスがある会社もあるよ」という選択肢を作ってあげないと未来がないなと思いました。それが会社を創ったことの 理由の1つでもあります。

-藤崎-
そうですよね。それは本当に大事です。そうじゃないと海外に逃げちゃうよね、みんなね。

-後藤-
今はそこからさらに発展しています。若者にチャンスのある会社を作ろうっていうところから、今はとにかく日本に起業家を増やして、挑戦するカルチャーや、 懐の深い社会をどんどん広げていこうと思っています。そうすることで、若い人たちが選択肢を持って、どういう会社で働くとか、どういうところに挑戦するか、あるいは起業するっていうこと自体も世の中から称賛されるような社会を、作っていく必要があると思って今頑張ってるんですよね。

-後藤-

それでは、外務省で様々な国と交渉をされてきた藤崎さんにお聞きしたいのですが、

世界的な複数の大国と付き合う場合のパワーバランスの取り方に関して、グローバルの中で、日本のプレゼンスをしっかりと堅持し、向上させる上で、アメリカやEUとの関係、また他のBRICSなどの大国と、どのようにバランスを取るべきだとお考えでしょうか?

-藤崎-
最近大企業のトップと話したときに、「ウクライナや北朝鮮、中国の行動に鑑み、民主主義、平和など、性善説はここ10年は封印して、性悪説でいくべきではないか」と話されました。私は「いえそれは同時です。表向きは性善説ですが、裏では常に性悪説です。誰が何をしてくるかわからないという備えをするのが安全保障の考えです」と言いました。

日本が北朝鮮、ロシア、中国の隣国であることを考えると安全保障のために米国に依存せざるを得ません。しかしそれはまったく同じ政策をとらなければならないという意味ではありません。米国と違い日本はキューバ、イラン、ミャンマーと常に良好な関係を維持していますし、米国が出てもTPPやパリ協定を続けました。声高にいわずにうまくやっているのです。グローバルサウスもBRICSも決して一枚岩ではありません。そのうちのインド、南ア、ブラジルなどとはできるだけいい関係を構築していくことが大事です。

海外に行くと、日本に対しての信頼感とか良いイメージをもっているっていう人が多いですよね。なので、今のままで基本的にいいんじゃないだろうかと思っています。

ただ、気を付けていかなきゃいけないのは、インドですね。インドという国は、中国が悪者になってるおかげでいい国のようになっていますが、なかなかしたたかな国です。インドとは何回かしか交渉はしたことないですが、最も難しい交渉相手でした。

-後藤-
産経新聞の連載の中で、 日本が頼りないという風に国民は言うけれど、素晴らしい功績としては、戦後70年くらい、 戦争が1度もないことを挙げていましたよね。なるほど、確かに素晴らしい功績だなと思いました。

-後藤-

では続いての質問です。

日本はバブル崩壊後から、失われた30年とよく言われていますが、グローバルに見て、日本の経済成長や発展が遅れをとってしまったのは、なぜだと思われますか?米国の社会学者エズラ・ボーゲル氏の「Japan as Number One: Lessons for America」の著書が出版された時とは、大きく様変わりしたかと思います。

-藤崎-
そもそもナンバーワンになることもあり得ませんでした。こんな狭い国で資源もなくて、それでも1億人もの人が暮らしている。こんな狭い国土にいるところは、相当な食べ物などを輸入しなきゃいけないんだからナンバーワンになるはずがないのに。友人でしたから言いにくいですが、おだてて本を売ろうという戦略です。

日本は資源もなく背伸びしないことが大事です。米国に言われて産業政策をすっかりやめたのがよかったか。やはりシリコンバレーみたいなものを政府と経済界でつくるべきだったでしょう。

一方で、日本ほどクリーンで快適なところはないと思います。アカセキレイ(安全、確実、清潔、規律、礼節の頭文字)というソフト面が非常に素晴らしい国です。

日本は人口減少化と言いますが、小さな国土の日本に人口1億もの人は本当はいらないかもしれない。国の大きさはせいぜいカリフォルニア州くらいで、そこにアメリカの3分の1の人口がいるんですから。そして日本の80%は山なんです。もう少し、日本の人口は減ってもいいかもしれません。 

昔の自動車産業などのような国内市場なんかいらないんで、例えば台湾のTSMCやフィンランドのノキアのように、国内市場関係なく事業を起こしていく。そういうことも考えながら、産業政策というものを作っていくべきだったんじゃないかなと思うんです。だから、そういうまさにベンチャーなりそういうものをやるということを全然してこなかったのが、ここに繋がっちゃってるんじゃないかなと思いますけどね。

-後藤-
今慌ててというか、5年前ぐらいからですかね、もうとにかくスタートアップベンチャーを後押ししないといけないという流れがありますよね。 政府もそうですし、あと大企業もベンチャー投資を加速したりとか、今やっとという感じなので、本当だったら30年前に進めないといけなかったことが今やっと本腰が入ったと感じています。

-後藤-

それでは最後に、駐米大使時代様々なアメリカの大統領と仕事をされた藤崎さんですが、

これまでにお会いされたアメリカの歴代大統領、もしくは各国の大統領や首相の中で、最も印象深く、心に残っている方は、どなたでしょうか?またそれはなぜですか?

-藤崎-
まずビル・クリントン大統領はね、演説をしてると、400人の聴衆がいても、みんな自分に話してると感じてしまうような話術を持った人らしいんですよ。そして、彼のすごいところは、とんでもない秀才なんですよね。アメリカで1年で50人くらいしか選ばれないローズ・スカラーという大学の優等生しか利用できない奨学制度で、オックスフォード大学に行くんですね。 

ところが、この方は全然授業を聞いていなかったらしいんです。ただね、これは人から聞いた話なんですけど、その50人の秀才たちが 集まって、この中で将来アメリカのリーダーになる人は誰だろうと言ったら、多数が「クリントンだ」といったらしいんですね。

全然勉強してない。でも勉強はできる。それだけじゃなく、一種の人間力だったと思うんですね。秀才ばかり集まって多数がクリントンさんを指名したと言うのはすごい能力ですよね。

それともう1つ、私との関係で申しますと、 小渕元総理が亡くなった時、私は外務省の北米局長だったんです。そのときクリントンさんは小渕元総理のお葬式に来られました。 お葬式の後、赤坂の迎賓館でレセプションがあったんですね。私は北米局長だったので、アメリカの大統領を案内する係だったんです。私が先導役で、クリントンさんを案内しました。その時クリントンさんは、私の後姿を見ることがほとんどで、会話も少しだけだったんですね。

その4ヶ月後に、森元総理が沖縄サミットをやったんです。その時、平和の礎っていうところで、クリントンさんがスピーチをすることになっていました。 実はそのとき、クリントンさんは中東の和平交渉をやっていたので来られるかどうかわからなかったんですよ。でもなんとか来てくださってスピーチをされました。

そのあとクリントンさんと握手をするために列ができたんです。私は、1番前の列にいたんですが、地元の方が握手したいと前のほうに来られたので、私はあとでまた会談の時お話しするタイミングがあるから、どうぞと言って、席を譲って後ろに行ってたんですよ。そしたらクリントンさんが握手をされているときに、ぱっと私を見てね、「お前ここにいるのか!」って言ったんですよ。4ヶ月前に東京で先導役としてお会いしただけなのに、特別な記憶力をお持ちなのか、あるいはこの人は人たらしで有名だから、4人ごとくらいに声をかけていたのかもしれません(笑) そんな人間力のある方でした。

一方で、バラク・オバマ大統領はね、 やっぱり秀才なんですけど、 黒人の方ということもあってなのか、自分が秀才だということを印象づけることを大切にされる方でした。

クリントンさんは自分の秀才さを一切見せないですよね。ここは違いがあるなと思いました。

-後藤-
逆にもう元々能力が高い方だからこそ、脳ある鷹は爪を隠すというか。

-藤崎-
そうなんでしょうね、おそらく。そして白人でもあるしね。
オバマさんもね、とってもかっこよくて、大体出てくるとワイシャツを腕まくりしてるでしょ。だけどね、本当はものすごい詰めの鋭い人なんですよね。

 

-後藤-
本日はお忙しい中、お時間を作っていただき本当にありがとうございました。
たくさんの学びと刺激をいただきましたので、これからの日本社会のために必ずベンチャーエコシステムを作り上げたいと思います。

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【あとがき ~株式会社ディ・ポップスグループ 代表取締役 後藤和寛~】

日本の外交で最も重要とも言える駐米大使や在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使などを歴任された藤崎さんにインタビューさせて頂き、本当に重みのある素晴らしいお話や経験談、そしてアドバイスをたくさん頂く事が出来ました。

あまりに楽しみでワクワクが止まらず、前日は特に、夢の中でも質問させて頂きたいことが頭に浮かぶほどでした。そしてたくさんの質問に、真摯にお答え頂きましたが、そのお答えはどれも会社経営に相通じるものばかりでした。

非常に難しい外交や政治の中で決断を出していく事は、想像を絶するものがあります。経営でもあまりに様々な目の前の事象が、さらに複雑に絡み合っている中から、出来る限り適切な解を出すことが常に求められます。そんな中で、藤崎さんからお話頂いた経験談やアドバイスは、私や、今現在リーダー役を担っている方々だけでなく、未来にその役目を担う方々にも、大変参考になる金言ばかりでした。

こちらの記事では、ストレートな内容のお話も非常に多かったため、掲載が出来ないことも多かったですが(笑)、実際は記事の内容の10倍ほどのインタビューをさせて頂きました。現在でも日米協会の会長や、中曽根平和研究所の顧問(前理事長)など、重職をされていますが、これからの日本の未来のために、藤崎さんの知見や経験を次の若い世代に是非継承していって頂きたいと、切に感じるプライスレスな機会になりました。

最後に、貴重な機会を頂いたことに、心より感謝申し上げます。

 

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-増田- なので、ベースとしての教育を大事にしています。実はディ・ポップスって、今まで仕組みがそんなに無かったんです。なので、ここからはちゃんと仕組みを作って、人は忘れる生き物だということを前提に、覚えさせるんじゃなくて、もっとシンプルに伝えられるような仕組みを作るっていうのが今年のテーマでもあります。 人材教育×仕組み化。適材適所、役割分担も含めてやっていければ、もういけるイメージしかないですね!!(笑) ◆サッカーの活動について -杉原- いけるイメージしかない!いいですね!! 話は変わりますが、増田社長はサッカーうまいらしいですね!会社のフットサルクラブで汗をかいていらっしゃるとか。活動をご紹介いただけますか? -増田- 元々はずっとサッカーを学生時代にやっていて、社会人になってからも趣味でずっとやっていました。 最初はディ・ポップスの社内のサークル活動としてやっていたんです。社内は月1回ぐらいやっていて、あとは僕もいろんな交流があるので、外部のメンバーともやっています。多分所属してるのは、メインは3、4個ぐらいあります。 社内だけに目を向けてると、毎回人数がギリギリだったんです。やりたいのにやれない。そんな時にふと考えたんです。どうせなら社内外ミックスしたらどうなんだろうと思って、ミックスしてやり始めたんです。主催は我々がやらせてもらって、うちの社員とディ・ポップスグループのメンバーにも声をかけて来てもらって、プラス、僕の知り合い、その中には元プロの方もいます。 あと、ディ・ポップスグループで投資したBLUEISHさんとのご縁もサッカーつながりだったので、スポーツってそういうご縁もあるんだなと思いました。 ※ディ・ポップスグループは増田社長のサッカー仲間のご紹介で、BLUEISHに投資しました。 D-POPS GROUP、業界特化型AIワークフロー「Omni Workspace」を運営する株式会社BLUEISHへ出資 今までの人生も大体そういうことが多かったんです。 僕は千本さんが開催する千本経営塾に通っていて、その千本経営塾でお会いしたその理事の方がサッカーをやっていて、その方が僕が北京時代にお世話になったドイツ人のマネージャーと高校生の同級生だったんです。 その理事の方と意気投合して、その方が参加しているサッカーの練習に僕が参加するようになって、そこでBLUEISHの方に出会ったんです。 だけどこれって運もタイミングもあるなと思ってて、これが5年早かったら、多分出資とかの話にはならなかったと思うので。僕自身も今までいろんな経験をしてきて、今経営者という立場にもなっているのでいろんな会話ができて、ディ・ポップスグループにトスアップできたんですよね。 先ほど外部の方とやっていると話しましたが、知り合いの経営者の方とか、その社員さんの中でも役員の方や若手の方でも上手い人がいるんですよ。そして大体そういう人って仕事でも活躍している。なんか繋がるんですよね。これがめちゃくちゃいいですよね。 人間性が良くて、仲良くなれる共通点があって、専門分野やスキル、人脈は異なるものをもっているからいろんなつながりに発展しますね。 ◆入社していただきたい学生について -杉原- 来年度卒業の学生さんの就職活動が始まっている時期ですが、どのようなタイプの学生さんにディ・ポップスに入社していただきたいですか?新卒の学生さんにとって、ディ・ポップスの魅力ってどんなとこにありますか? -増田- うちの会社は、とにかく人がいいですね。自己肯定感が高いですし、行動力もあります。あとは周りに対しても手を差し伸べるというか、貢献心が強いんですよね。 プラスして、今のディ・ポップスとかディ・ポップスグループで言うと、経験や技術、人脈などをサポートしたりコーチングしたりできる環境を活用できるので、これ以上にいい環境ってそうそうないぞと思っています。なので、とにかく早く自分は挑戦して、知識だけじゃなく技術を得る、そして、人間力を磨いていく。最終的にはやっぱりマネージメントまでやってもらいたいですね。 我々は学歴はあんまり求めてないんです。ただ、自己肯定感が絶対高くないとダメですね。ネガティブな人はお互い厳しいかなと思います。自分はこんなことできませんみたいなふうに思われちゃうと、何もできなくなってしまうので。 ◆「ベンチャーエコシステムの実現」に向けて -杉原- さて、D-POPS GROUPでは「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしていますがその目標に共感する部分はどんなところですか?ベンチャーエコシステム作りを意識した上での活動などはありますか? -増田- このエコシステムっていうのは、生きていく上で必要なものだと思うんですよね。というのも、やっぱり人間一人じゃ生きていけないですし、やっぱり誰と過ごすかとか、気づきの違いによって人生が絶対に変わるじゃないですか。それに加えて、できる限り早い方がいい。別に遅くても変わると思うんですけども、できる限り早く気づけた方が正しい選択に繋がると思うんです。 なので私自身も、ベンチャーエコシステムというのは必要不可欠だなと思います。自分の時間やお金を使ってでもお会いしたい人がこのエコシステムにはたくさんいるんで、このグループに入ることで、お金をもらいながら、仕事をしながら、そのコミュニティに属するって、普通じゃないと思うんですよ。 そこにいるだけじゃダメだということをしっかり認識してもらいたいなと思います。どうやって行動に移すかは自分次第なので。そのコミュニティにいるだけじゃなく、結局自分発信で、何か教えてもらうでもいいし、何か自分ができることに貢献するみたいな、そういう集団ができるといいんじゃないかなと思うんです。 ◆5年後の理想の姿 -杉原- 素晴らしいですね!それではディ・ポップスという会社及び増田社長の5年後の理想の姿について教えてください。 -増田- まずは会社がちゃんと成長している。そして顧客のライフデザイン、そして社員の自己実現をよりできるようなステージというのは、5年間で確実にできていると思うんです。それを国内外に展開していくことを目指します。 これが増田将人の生きている使命というかメッセージだと思っていて、自分自身がもっと大きくグローバルな視点で見た時に、じゃあどういったことをしなきゃいけないのかっていうのが、今そこを考えながらいろんな協議ができているんで、そこの実行フェーズがもう今年・来年だったりとかになってくると思うんで、多分会社が大きく変わってんじゃないですかね。 -杉原- いいですね。では、その未来に向けての今後の課題を1つ挙げてください。 -増田- 日本でいうと強烈な人手不足ですよね。私も今子供が3人いますが、この子供たちが大きくなった時、20年後とか30年後って言ったら、かなり人口が減りますよね。8000万人とかなってしまうってなった時に、この日本の今までの文化だったり思いっていうのがどこまで継承できて、これから伝えていけるのかっていうことだと思うんですよね。 なので、やっぱり教育っていうものを自分たちが伝えていって、日本国民だけじゃなくて外国人に対してやっていけるのかみたいな。 あとは、明確に今わからないことではあるんですけど、もう1個は自然ですね。 今僕の中でも挑戦していくことの中で、既存事業とか情報とか通信と、1個はその人に対するパーソナルなところと、最後は自然環境保護だと思っているんです。今は何ができるのか明確にはなっていないですが、情報収集している感じなんです。 ◆ホームページを訪問した読者に向けて一言 -杉原- では最後に、このホームページを訪問した読者の方、一言お願いします。 -増田- このベンチャーエコシステムというは、とにかくベンチャーエコシステムの中だけじゃなくて、強烈な利他精神が働いてるプロフェッショナル集団のエコシステムだと思ってるので、まず見て感じられる部分ってもうすでにあると思うんですよね。 そこから何か自分がいいなとか興味あるなと思ったら、ぜひ進んでみてもらって、何か直接お会いできるような機会を我々も望んでますし、ぜひ何かコンタクトいただけると嬉しいなと思いますね。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太   【株式会社 ディ・ポップス】 代表者:代表取締役社長 増田 将人 所在地:東京都渋谷区渋谷2-21-1 渋谷ヒカリエ32F 設 立:1998年2月 サイト:https://d-pops.co.jp/
  • INTERVIEW
  • グループ企業
2025.05.07
【グループ会社インタビュー】 株式会社ディ・ポップス 増田 将人 社長 ~前編~
D-POPS GROUPでは、現在約23社のグループ会社が仲間となっています。 今回は、ディ・ポップスグループの祖業である株式会社ディ・ポップスの増田 将人 社長へ、インタビューしました。 (こちらのインタビューは、2025年3月に実施しました。) ◆入社の経緯 -杉原- 今回は、ディ・ポップスの増田社長にインタビューさせていただきます。宜しくお願い致します! 増田社長がディ・ポップスに新卒で入社したのは2012年の4月ですよね。入社の経緯を教えていただけますか? -増田- 大学時代、私は留学で北京に行っていました。北京の大学に4年半行ったんですけれども、就職活動というもののやり方自体を知らなかったんです。それで、大学4年の前期が終わった夏休み、7月と8月の2ヶ月間が休みだったので、この期間で就職活動を始めました。 実際に受けたのは、5社ぐらいだったと思います。大手商社などを受けたんですけど、結局ダメで。それで、内定をもらったのが、ディ・ポップスと一部上場している大企業でした。 先に内定をいただいたのはその大企業だったんですが、ディ・ポップスの面接を受ける中で気持ちが変わっていきました。ディ・ポップスの面接を受けてみて、会社の雰囲気がなんか明るく見えたんですよね。未来の発展というのがすごくイメージできました。 あとは、後藤さんと直接お話していて、この会社に入ったらなんか人生変わりそうだなとか、人生にとってすごい大きなプラスの機会に出会えそうだなみたいな、直感が働いたんです。なので、途中から「この会社入りたいな」というマインドに切り替わって、どうにか落とさないでくれと思っていました。(笑) ちなみに、後藤さんとの最終面接は3時間くらいお話しさせて頂きました。 -杉原- 当時、ディ・ポップスの会社規模はどのくらいだったんですか。 -増田- たぶん会社としては15期くらいとかじゃないですかね。 まだ売上も100億円なく、7~80億円とかだったと思います。 当時は「売上100億円行くぞ!」みたいな、そういうのが全体の号令としては強かったイメージですね。 ◆社長就任の経緯 -杉原- ディ・ポップスはグループの代表である後藤さんが1998年設立した祖業ですが、増田さんは2024年3月に、若干30台半ばでその会社の社長になられたのですよね。 この12年の間に部長や本部長、役員等、異例のスピードで出世されたと聞いています。 振り返るといかがですか? -増田- そうですね。「運とタイミング」というのは、もちろんあったと思います。それに加えて、ちょうど会社が大きく変わろうとしていたというのは、外的要因で大きなポイントだったと思うんですね。 というのも、私が入社して翌年くらいにはもうディ・ポップスとグッド・クルーで売上100億円いっていました。そこから後藤さんが、さらに成長戦略を描くときにディ・ポップスだけで成長するということではなくて、徐々にグループ構想になっていったんです。当時私の上司だった藤田さんがアドバンサー創業のために抜けて、次は保坂さんがSTAR CAREER創業のために抜けました。 上司が独立したりいい意味での卒業が訪れたりして、そのタイミングで、これも外的要因・内的要因あると思うんですけど、会社の業績が落ちた時があって、そのときに組織がおおきく変わりました。 当時私が3年目で、まだ現場のマネージャーをやっていたんですけれども、そこでもともと大きなピラミッド組織だったところを一旦フラットにして、ほぼ全員社長直下のような組織になったんです。 3年目のマネージャーって若手じゃないですか。そこに対しても、いろんな裁量をもたせてもらって、今までは上層部だけでやっていた会議を、選ばれし20名ぐらいが午前中に熱い議論を交わすようになり、学びの場を頂きました。当時3年目ぐらいのメンバーがチャンスを掴めるきっかけになったんですね。そこでどんどん挑戦していって、上からポスト与えてもらったっていうよりも、「自分たちで掴みに行くぞ」みたいな感じでした。 平等にチャンスがあったというのは運がよかったんですが、そのチャンスを掴みにいく行動力はすごい大事だったと思います。 -杉原- チャンスをつかみ取ってどんどん上がっていくにあたって、1番努力したポイントってなんですか。 -増田- 努力したのは、目上の方に飛び込み続けることです。ちょうど千本さんがジョインしてくださったタイミングでもありましたし、後藤さんをはじめ周りの経営者の方や、アドバイザーの方、我々からするとものすごい目上の方々に対して、食事会や勉強会の機会があれば隣に座って学ぶようにしました。なかなかみんなやりたくない。だけど、飛び込んだら必ず得られるものがそこにはあるということはわかっていました。 あと仕事でいうと、会社からすると、業績が悪いところって誰かに任せたいじゃないですか。そんなポジションも自分からどんどん引き受けて、どうにかしても早く回復させたいという思いでやっていました。そこで業績が改善したら注目されるし、そもそも難しいポジションなのですぐに結果が出なくても「頑張ってんじゃん」みたいな言葉をかけてもらえる。どんなことも飛び込んでやってみるというのは意識をしていました。 -杉原- 社長就任の時の打診っていうのは、どういうふうに後藤さんから言われたんですか?その時どう思われましたか。 -増田- これがちょっと曖昧な部分もありまして。 後藤さんに呼ばれて「じゃあ社長就任な」っていう感じじゃなかったんですよ。 というのも数年前から後藤さんは、組織上はディ・ポップスの社長としていらっしゃいましたが、ディ・ポップスグループの経営に専念され、ディ・ポップスの経営はほぼ幹部層に権限委譲している状態でした。 その中で、ディ・ポップスが業績的にも組織的にもどんどん悪くなっていったんです。 すごいふわふわした時代があって、当時私は営業本部長がメインの担当だったんですけれども、そこで執行役員になったりとか、常務・専務になったりする中で、やっぱり会社がどうしても良くならない。急激に悪くなっていってる感覚もありますし、回復がなかなか見えないという悩みを抱えていました。 後藤さんとは、年に2回ぐらい2人で食事をする機会をいただいてて、その時に後藤さんに「僕に社長をやらせてください」と伝えました。 自分の中ではもう変わるしかないと思っていました。今更、後藤さんが事業会社に戻ることはグループ全体の判断として効果的ではありません。だったらもうやるしかないんだと自分の中で腹をくくったんです。 -杉原- 増田さんから見て、当時、社長候補は複数人いたりしたんですか。 それとも自分だけしかいないと思っていたんですか。 -増田- 後者ですね。私しかいないと思っていました。もしかしたら違うと考えていた方もいるかもしれませんが、事実上の後継者という意識ではいました。 -杉原- 何年ぐらい前から、社長の後継者という意識で働いてきたんですか。 -増田- 感覚としては、30歳ぐらいだったと思いますね。当時執行役員になっていたんですけど、見ていたのが営業本部だけだったので、会社全体を見られているかというとそうではなかったんです。ただ、後藤さんがグループ経営に専念されている状況ではあったんで、やっぱり自分が見なきゃなと感じてきました。 そこからいろいろと学ぶようになって、千本さんを通しての出会いだったりとか、後藤さんのご紹介だったりとか、自分でも20代後半ぐらいから経営者コミュニティに入ったりとか、周りの刺激が大きかったですね。 なかなか自分の実力も足りてなかったので最初は全然相手にされなかったんですけど、なんとか食らいついていくみたいな。それがようやくここ数年で知り合いも増えましたし、やってきたことが徐々に芽が出てきてるなっていう感覚があります。 ◆事業概要 -杉原- 準備期間も含めるともうベテランですね。 そんな増田さんが正式に社長になってから1年ですけれども、まずはディ・ポップスの会社概要、現在の事業概要を簡単にご紹介いただけますか。 -増田- ディ・ポップスはもう27期目になるんですけれども、元々祖業で始めた通信の代理店事業が、今でもメインではあります。 事業としては、1つが併売店事業です。独自ブランドの「スマホ相談窓口TOP1」というブランド名でやらせていただいてまして、通信の店舗運営をしてるんですけども、様々なメーカーさんや通信キャリアさんの主要商品・サービスが全部入っています。 それに加えて独自ブランドの商品、セキュリティや保険等、あらゆる商品があるんですけども、そこもまるっと包括的にエンドユーザー様に対して、コンサルティングや小売の販売、アフターサポートなどができます。現在、関東を中心に30店舗強運営しております。 もう1つは、専売店事業です。こちらも通信の代理店として、ドコモショップ、auショップ、UQスポット、楽天モバイルの店舗を運営しています。 あとは、メディア運営で、通信に特化した「フォンシェルジュ」というオウンドメディアを展開しています。 そして別会社になりますが、ディ・ポップスを一緒に引っ張ってきた平井が代表を務める『株式会社PlusPass』で、格安SIM/格安スマホに特化したWebメディア「すまっぴー」というメディアを運営しています。なので全体的には、通信専門の、リアルとオンラインを掛け合わせたプラットフォーム、そしてユーザーに対して支援できるようなサービス事業をやっています。 -杉原- ここのところ通信業界、特にショップの運営って変化してきていると思うんですけども、通信業界の波ってどんな感じなんですか。 -増田- 毎年いろんな変化があります。通信キャリアだけでなく、総務省なども含めてですね。そこでいろんな法律が変わることが、1番の大きな要因になると思います。でもその中で、我々も20年以上生き残ってこれたのは、本当に変化に対応してきたからですね。 ◆社長就任で変えたこと・変えなかったこと -杉原- この20年くらい、激動ですよね。 名実ともに社長になってから1年経ったわけですけれども、この間に大きく変えたことと変えなかったことを教えてください。 -増田- この1年は、本当に激動であっという間でした。そもそもまだ社長に就任するかどうかも決まってない時に、1つ決意をしていたものがありました。やっぱりディ・ポップスのいいところって、理念やビジョン、そして人財教育というものが、創業の礎として先代の後藤さんからめちゃくちゃ入っていて、僕自身も教育されましたし、だからこそ生き残れたというところがあるんですよね。 対お客様、対社員、スタッフ、最終的に社会に対しての部分がちゃんと出来上がっていたので、これをもっともっと磨いていかなきゃいけないなと思っていました。 あとはやはり数年間、後藤さんがグループ経営に専念されると覚悟を決めた時期に、実質指揮官不在のような状態だったので、上位レイヤーがふわふわしている、中間層も離職が止まらない、若手も入っては辞めるみたいな負の連鎖があったので、もう1回基礎から徹底しなきゃいけないなと思っていました。 離職率を下げるという短期的なことではなく、そもそも働き甲斐があり、個人も組織も成長できる環境を創るためにまず変えたことは、「毎月1回は全社員をリアルで集めて対話すること」でした。 コロナ期間があったこともそうですが、そもそも我々の拠点が50を超えているので、なかなか全員がリアルで集まる機会というのが、年に数回ぐらいしかなかったんですね。今オンラインでいろんな話をするんですけど、それがメインになってしまったことにすごい違和感を覚えていたのと、ディ・ポップスにはすごくいいものがたくさんあるので、それをちゃんと伝える必要があるなと感じていました。あとは、自分自身ちゃんと教育できている自信がなかったんですよね。 なので、就任するのが3月でしたから、その前の10月ぐらいに自分の中でも決意をして、月1回、全社員をリアルで集めようと決めました。 -杉原- これはすごいことですよね。 -増田- はい。月に1回集まって、とにかく理念とかビジョンとか、そこだけでもいいから1日かけて話そうと決めました。それを10月ぐらいに決意して、そこからいろんな準備をして、実際は2月ぐらいから順次やっていったんですね。 それがうちの月一全体集合研修に繋がっているんですけども、全体集合研修の目的は、1つはリアルで社員同士がちゃんと対話をする。そして自分の理念と会社の理念を、どうやって融合するかなど、その時のテーマに沿って議論を深めていきます。 もう、仕事って人生の一部じゃないですか。それが面白くなかったり、自分の人生の理念とかけ離れていたら、そもそもこのコミュニティにいる理由がなくなってしまうので、リアルで対話をしながらわくわくする未来を一緒にデザインをしていく。 そしてこれは社長が変わったタイミングでもあるので、誰か外部の講師に委託するんじゃなくて、自分の口から言うと決めました。その前までは増田塾というのを3年ぐらいやっていました。その時は有志で、全社員じゃないけどリアルでやっていたんで、それをもうやめて全社員に変えたというのもあります。 あとは会社のロゴとか、ホームページをリニューアルしました。 -杉原- 素晴らしいですね。1日分の稼働を止めてでもやろうというのは勇気がいることだと思います。変えなかったことはありますか? -増田- ディ・ポップスの歴史ある「クレド」は変えませんでした。 僕が就任してから変えたこともたくさんあるんですけど、この行動指針は人として大切なものを教えてくれるので、現時点では変えずに残そうと思っています。 渋谷ヒカリエ本社の会議室内に掲載されている「クレド」 ◆変更したロゴへの思い -杉原- ちなみに、変更したホームページとロゴへの思いについて紹介していただけますか。 -増田- 今回リニューアルした新しいロゴデザインの思いというのは、何かやるんだったらナンバーワンになるという思いを込めています。我々の企業ビジョンでもある、対顧客に貢献するとか、対社員に対して、自分の人生をコントロールできるような自己実現の舞台を整える・与える、最終的に利益を出していって、社会貢献を続けるという思いがあるので、やっているビジネスの中で、ニッチでもいいから、ナンバーワンになる「1番」って思いが強いんですね。 なのでロゴを見ていただくと、1番の1っていう風に見える部分と、D-POPSの「D」と見える部分をつくっています。 あとは、我々のコーポレートカラーってブルーやスカイブルーなど、青が強いんですよね。やっぱり青って晴れやかな気持ちになったり、爽やかな気持ちになったりとかしますよね。 でもそれだけじゃなくて、青い炎の熱い心と冷静さも、コーポレートカラーへの想いとして入っています。 その青色の「1」に見える部分を実はグレーで支えてるんですね。というのも、人生も組織も一緒で、必ずしも前線の人たちだけが成果を作ってるわけじゃなくて、支えてもらってる、支える立場でもあるよと。 なので、この持ちつ持たれつの環境をちゃんと作っていくこと、そして我々はどっちかっていうとしっかり支えていこうよ。会社としても支えられる器をどんどんどんどん大きくする。その中で、自分たちが信じた道とか、やるべきミッションを信じて、この1番を目指していく。 そういう想いでロゴを作成しました。 ディ・ポップス ロゴ ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【株式会社 ディ・ポップス】 代表者:代表取締役社長 増田 将人 所在地:東京都渋谷区渋谷2-21-1 渋谷ヒカリエ32F 設 立:1998年2月 サイト:https://d-pops.co.jp/   次回後編のインタビューでは、 ・マーケット状況における戦略 ・TOP1の販売・積極方針について ・新商品「OTHEBES(アザベス)」について ・サッカーの活動について ・「ベンチャーエコシステムの実現」に向けて などについてお伺いしています。 後編もぜひご覧ください!  
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  • グループ企業
2025.04.30
【投資先インタビュー】バーコードを通して外国人観光客に商品情報を伝える!株式会社Payke 古田 奎輔 社長
先日弊社は、訪日外国人向けショッピングサポートアプリを運営する株式会社Paykeへ出資を行い、ベンチャーエコシステムの仲間として歩み始めました。 ☆株式会社Paykeへの出資に関するプレスリリースはこちら https://d-pops-group.co.jp/column/payke/ 今回は、株式会社Paykeの創業者である古田 奎輔社長へ、創業の秘話やショッピングサポートアプリ「Payke」に対する想い等についてお伺いしました。 ①創業のきっかけは? 一社目の起業である貿易業時代に、海外で商品を売るには「価値」を伝えることが重要だと実感しました。商品の情報がうまく伝わらないことが課題だと気づき、その障壁は言語の壁だと考えました。 この経験から、商品に貼られたバーコードが情報伝達に活用できると考え、バーコードをメディア化し、商品情報を多言語で提供する仕組みを作ろうと決心して、そのアイデアがPaykeの起業につながりました。 ②サービスの概要を読者に分かるよう簡単にご紹介ください 商品についているバーコードを読み取るだけで商品情報を多言語で伝達できるアプリです。 インバウンド向けのショッピングガイドアプリとして(もうすぐ)600万人を超えるユーザーに利用されています。 パッケージだけではわからない訴求情報やコンテンツを多言語で確認することができます。現在は、繁体字・簡体字・韓国語・タイ語・ベトナム語・英語・日本語の7ヶ国語に対応しています。 ③ここがどんな類似会社よりも優れている、というポイントは? Paykeは、商品をスキャンすると、その商品の詳細情報を多言語で提供するサービスを展開しています。これにより、外国人観光客や在住者が日本で買い物をする際に、言葉の壁を感じずに商品情報を確認できる点が魅力的です。また、Paykeのアプリはユーザーフレンドリーで、簡単に商品をスキャンしたり、お得なクーポンを獲得したりすることができます。 これにより、技術に不慣れな外国人でも利用しやすくなっています。 ④起業以来、最も苦労したことは? 一番苦労したのは、最初の段階でのユーザー獲得とコロナ渦によるインバウンド消失時代です。 ⑤株主に対して最も期待することは? 株主様には、一番のサービスの応援団として、見守り、支援していただきたいと考えています。特に、事業の拡大や新サービスの展開において、積極的な意見交換やネットワークの提供を通じて、Paykeの成長を加速させるために協力していただけることを期待しています。 ⑥D-POPS GROUPからの出資を受けて良かったことは? D-POPS GROUPからの出資を受けて、間もないですが、既に多くの企業さま等をご紹介、お繋ぎ頂いております。 実際に案件として動き出しているものもあり、その際もD-POPS GROUPの皆さんが同席/並走してくれる姿勢が非常に心強いです。 ⑦ベンチャーエコシステムの実現に対して共感する部分はどんなところですか? 様々なアイデアやリソースを持った企業が、互いに支え合い、共に成長することです。 “「ベンチャーエコシステム」についてはこちらをお読み下さい。” ⑧理想とする10年後の会社とは? 10年後には、Paykeが日本国内にとどまらず、アジアを中心にグローバルに展開し、海外製品の購入を手軽に楽しむことができることが当たり前となっているような世界を目指しています。 ⑨その未来に向けての今後の課題は? 今後の課題は、海外市場への拡大と、さらに多くの消費者にとって使いやすいサービスを提供することです。 人的資本の増強も必要です。 ⑩最後に一言何でも Paykeを支えてくださる皆様に感謝の気持ちを込めて、これからも成長し続ける企業として、挑戦を続けていきます。グローバルな買い物をより便利に、そして楽しくするために邁進します。応援よろしくお願いします!   【株式会社Payke】 代表者:代表取締役CEO 古田 奎輔 所在地:沖縄県那覇市真嘉比2-5-16 クラリオンハウス203 設 立:2014年11月26日 コーポレートサイト:https://payke.co.jp/  
  • INTERVIEW
2025.04.10
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