COLUMN

【グループ会社インタビュー】株式会社フェイスフル 加藤 貴博 社長 ~後編~

  • INTERVIEW
2026.03.17

D-POPS GROUPでは、現在約25社のグループ会社が仲間となっています。
今回は、株式会社ディ・ポップスグループ 常務執行役員 経営企画室室長 及び 株式会社フェイスフル 代表取締役の加藤さんへインタビューいたしました。
(このインタビューは2025年12月に実施しました。)

前編の記事はこちらからご確認ください。

◆M&A責任者としての奔走

-杉原-
一方で、加藤さんは現在もM&Aの責任者を兼任されています。代表を務めるフェイスフルの事業とM&A業務、その比重はどのようなバランスですか?

-加藤-
心の重さで言えば、M&Aのプレッシャーが9割以上を占めていますが、費やす時間としてはフェイスフルの事業運営の方が長いですね。

特にM&Aに関しては、最初は全くの素人からのスタートでした。今は買い手の数が非常に多いため、普通に待っているだけでは良い案件なんて回ってきません。

-杉原-
コネクションもない状態から、どのように案件を動かせるようになったのですか?

-加藤-
最初の1年間は、とにかく泥臭く動きました。あらゆるM&Aセミナーに足を運ぶのですが、それらは大抵売り手を集めるためのものなんです。でも、私はあえて一番前の席に座って質問を繰り返し、最後に「どうすればあなた(仲介会社)と仲良くなれますか?」と正面からぶつかっていきました。

そうして誰も知り合いのいない懇親会に図々しく入り込んで、いつしか少しずつ仲良くなって。そうした人間関係の構築を1年間ひたすら繰り返す中で、ようやく1件目の案件として繋がったのがgraphDだったんです。

-杉原-
M&Aの第1号案件となったgraphDですが、当時の本業からすると、少し意外なジャンルへの挑戦だったのではないでしょうか?

-加藤-
おっしゃる通りだと思います。1件目にしては「少し領域を広げすぎではないか」という懸念もありました。当初、私がこの案件を提案したときは、後藤代表も最初はそれほど乗り気ではなかったんです。

ところが、面白いように風向きが変わりました。主要な取引先である通信キャリアの方から「POP制作に強い会社と組むのは非常に面白いね」とポジティブな反応をいただいたんです。そこで代表も「やはり面白いかもしれない」と。
(※POP=Point of Purchase、販売促進用の広告物)

さらに驚くべき後日談がありました。このgraphDという会社、実は後にディ・ポップスグループの常務執行役員となる渡辺さんが、かつてヨドバシカメラにいた頃に「こういうPOPの会社を作ったらいい、そうすれば事業が円滑に回るよ」とアドバイスをして立ち上がった経緯のある会社だったんです。

-杉原-
そんな不思議な縁があったのですね。

-加藤-
当時は渡辺さんとの接点も全くありませんでした。そんな背景も知らないまま、私は自分の足で見つけてきた案件として提案していました。後からその事実を知って、点と点が線につながったような感覚でしたね。

私の20年を振り返ると、こうした混乱や偶然のような出来事がたくさんありますが、今になってようやく一つひとつのパズルが繋がり、今のグループの形になっているのだと実感します。

◆「人」を重視するD-POPS GROUPのM&A

-杉原-
graphDのM&Aを皮切りに、これまでグループ入りした会社が15社ほどあるかと思いますが、それだけの数を形にする裏側では、膨大な数の案件を精査されていますよね。

-加藤-
そうですね、数えきれないくらい見ています(笑)。今年だけでリスト化したものを見ても、300〜400件は精査しました。

M&Aの仲介会社さんからは「そんな条件の会社、他には絶対にないですよ」と言われることも多いです。たとえば「年商10億円以上の黒字企業」といった高いハードルを設けて絞り込んでいるので、そんな優良案件がそう簡単に転がっているはずがない、と。それでも私たちは、その中から本当に価値のあるものを絞り込む作業を続けています。

-杉原-
年間300〜400件を書類でレビューし、そこから面談に進むのはどのくらいですか?

-加藤-
面談に進むのは、その中でもさらに厳選した案件だけです。ただ、その厳選するプロセスそのものが非常に重要だと思っています。

-杉原-
膨大な案件の中から、面談しようと決める際の判断基準や観点はどこにあるのでしょうか。

-加藤-
よく仲介会社さんから「具体的な企業名や業種を提示してほしい」と言われるのですが、実はそれは難しいんです。

判断の基準は、取締役会などで議論されるグループの今の課題感と、私たちが持っている既存のリソースの掛け合わせにあります。グループのエコシステムがこれだけ出来上がってくると、業種のマッピングで見れば埋まっている場所が多い。その隙間をどう探しに行くか。 そして、あまりに遠い飛び地の案件は論外ですが、今の事業を補完する垂直統合型だけでも不十分だと思っています。

単に競合をM&Aして規模を大きくするのではなく、既存事業と組み合わせたときに面白い次の展開が描けるかどうか。常に「未来から逆算して、このピースがはまれば新しい価値が立体的に生まれるのではないか」という視点で、案件を見極めるようにしています。

-杉原-
グループのポートフォリオにおいて、欠けているピース(隙間)を埋める案件が見つかったとします。書類審査を通過し、実際に経営者と面会する際、どのようなポイントをチェックされているのでしょうか?

-加藤-
一番は「グループのメンバーと空気(カルチャー)が合うか」を非常に重視しています。 たとえ業種が違っても、言葉選びが違っても、根底にある価値観さえ同じであれば、お互いにリスペクトし合える。その直感を大切にしています。一方で、最初から一方的な話し方をされる方などは、やはり難しいと感じますね。

面談の際に私が気を付けてみていることは、面接天井になっていないか、ということです。 面接がピークで、その場だけお化粧をして自分を良く見せている状態のこと。でも、それは見抜けます。実際にDD(デューデリジェンス)の過程で、そのお化粧が剥がれて破談になったケースも過去にはありますから。

-杉原-
その見極めのために、具体的にどのようなステップを踏んでいるのですか?

-加藤-
私たちは、いわゆる圧迫面接のようなことは絶対にしません。お互いの夢を語り合ったときに、楽しい想像ができるかどうか。それを確かめるために、通常2回に分けてお会いします。 1回目は私一人でお会いし、2回目は後藤代表を交えて、より深い話をします。ただ、机上の話だけでは見えない部分も多いので、やはり夜の会食をご一緒するようにしています。

お酒を飲んだときにふと漏れる一言や、夢を語る熱量。そこまで踏み込んで初めて、相手の本当の姿が見えてくると思っています。

後藤代表の面談や会食は、3時間以上にも及びます。それだけ時間をかけて、相手の人生の背景までを深く理解しようとする。その熱量を受け継ぎながら、最後は「この人と一緒に未来を創りたいか」という、人間としての本質的な部分で判断しています。

-杉原-
これまで手がけたM&Aの中で、特に印象的だった、あるいは苦労したケースについて教えてください。

-加藤-
私たちのM&A戦略は、経営者の成長支援を方針に掲げているので、買収と同時に創業者が引退するケースは非常に稀なんです。基本的には、創業者の方にそのままグループへ参画していただき、共に走り成長するスタイルをとっています。だからこそ、数少ないグループ入りと同時に創業者が引退されるケースのときは、託された想いのメッセージが、どれも非常に強く印象に残っています。

譲渡した後も、その方々に「あの時、このグループに託して本当に良かった」と思い続けてほしい。バトンを受け取った事業を新たな仲間とさらに大きくするのは、当然の義務であり、その対する意識は人一倍強く持っています。

-杉原-
一方で、苦渋の決断を迫られたケースもあったのでしょうか。

-加藤-
そうですね。唯一、自分の中で今でも「あれが正解だったのか」と自問自答し続けているのが、M&Aした会社を最終的に別の会社に売却する形となったケースです。

経営上の判断や、キャッシュを回収できたというビジネス的な観点で見れば、時代の流れに沿った正しい選択だったのかもしれません。しかし、私は常に相手の懐に飛び込み、人の気持ちを大切にしながらクロージングまで伴走するスタイルです。店舗一軒一軒を大切にするのと同じ感覚で向き合っているからこそ、心残りがあります。

-杉原-
それほどまでに人を重視するからこそ、価格以外の部分で選ばれているのですね。

-加藤-
おっしゃる通りです。私たちの提示する買収価格は、他社さんと比べて必ずしも一番ではないと思います。むしろ高くないことの方が多い。それでも「あなたたちに任せたい」と言ってバトンを託してくださる経営者の方がいます。

高い価格を提示したから選ばれた理由ではないからこそ、託された想いに対する責任をより一層重く感じます。その信頼に結果で応え続ける為にグループで連携することが、M&A担当としての私の使命だと考えています。

-杉原-
先ほど非常にまれにバトンパスされる創業者の方もいらっしゃると伺いました。譲渡側の経営者は、あえて「こう育ててくれ」といった具体的な要望は口にされないとのことですが、加藤さんはどうやってその想いを受け止めているのでしょうか。

-加藤-
直接的な言葉として語られるわけではありません。ただ、最終的に私たちを選んでくださるまでの過程で、「なぜ他社さんを断ったのか」という理由は必ず伺うようにしています。仲介会社さんを通じて入ってくる情報も含め、その積み重ねが、経営者の方の言葉にできない想いとして大事にしていこうと思っています。

最も心に響くのは、引き継ぎ式の会食です。経営者の方が、残る社員の皆さんに向けて「今までありがとう。これからはこのグループで頑張ってね」と声をかける姿。その言葉は、私たちに対する「(この人たちなら)大丈夫だよ」という信頼の証でもある。その背中を見ていると、絶対に裏切れないという強い責任感を感じます。

◆後藤代表が大切にする「気の流れ」

-杉原-
M&Aのプロセスにおいて、後藤代表から言われた言葉で印象的だったものはありますか?

-加藤-
これはもう、一言「気の流れが悪い」ですね。これが一番大変です(笑)。 仲介会社さんも、1年に1件決まるかどうかという案件を必死で進めてきて、ようやくここまで漕ぎ着けた。そこで代表から「気の流れが悪い」と言われてしまうと、返す言葉がありません(笑)。

-杉原-
加藤さん自身は、精査を重ねて提案した案件に対してそう言われた時、納得感はあるのでしょうか。

-加藤-
正直なところ、昔は納得感は全くありませんでした。当時はまだ私自身、数字や事業シナジー、業界内でのポジショニングといった数字的な側面ばかりを見ていて、本質の人の部分が完全に見えていなかったんだと思います。

でも、何度もその答え合わせをしていくうちに、少しずつ理解できるようになってきました。「ああ、代表はここを気にされていたんだな」と。今では、感覚的に納得できる確率がかなり増えてきましたね。それでも時々、「この案件でもダメなんだ」と、自分の思い入れとの間で悲しくなることもありますけれど(笑)。

-杉原-
後藤代表は「気の流れ」以外にも、財務や業績などの面で、どのような視点を持って案件を見ていると感じますか?

-加藤-
代表が最も鋭く見ているのは、「その経営者が、どのように意思決定をしてきたか」という点だと思います。

代表はよく「積み木が一つだけ突出して伸びることはない」と仰います。一人の人がすべてにおいてトップである必要はない、と。一方で、私自身は経営企画として、自分がグループの足かせにならないよう必死に努力してきた自負があります。

実務的な数字や条件面の交渉は私に任せていただいていますが、最終意思決定する取締役会での判断では、ボードメンバーの視点も非常に重要になります。大きな案件の際は、後藤代表が自ら内藤社長や千本会長に対して事前ディスカッションを行い、この案件はどう思うかと徹底的な壁打ちを行う。私はその連携のプロセスを聞きながら、フィードバックを事業計画や譲渡契約に落とし込んで調整してきました。そうした厳しいプロセスを経て仲間になったのが、今リストにある各社の経営者たちなんです。

-杉原-
長年M&Aを担当してきて、最もよかったと感じる瞬間はいつですか?

-加藤-
M&Aというのは、多くの経営者にとって人生に一度の、命をかけた大勝負です。その極めて重要な場に立ち会えること自体、本当に光栄なことだと思っています。

実はディ・ポップスグループでやってきた業務のすべてが、私が会計事務所に入る前からずっと抱いていた想いなんです。「経営者の想いに寄り添い、支えたい」という。今、M&Aを通じて経営者の人生の決断を支援できていることは、私にとって仕事のやりがいのど真ん中にいる実感がありますね。

-杉原-
フェイスフルの社長・グループ全体のM&Aという大役。この二足のわらじを履く上で心がけていることはありますか?

-加藤-
自分自身が事業会社の代表を務めるようになって、他のグループ会社の社長たちに対する尊敬の念がより一層強くなりました。これは、M&Aの担当だけをしていたら決して分からなかった感覚だと思います。

経営者としての本当の課題と向き合う事や孤独感は、当事者になって初めて肌身で感じられる。かつて入社したての頃、管理部門の立ち上げに注力していた時に、現場から「いきなり幹部候補って何だよ」と冷ややかな目で見られたこともありました。しかし今なら、セクションや立場の違いをどう理解し全うすべきかが、経営者の視点を持って理解できます。

グループ全体を俯瞰する立場と、現場の経営を担う立場。その両方を経験させてもらっている今の環境は、非常に贅沢で、挑戦しがいのあるものだと思っています。

-杉原-
複数の顔を持つ多忙な日々の中で、プライベートとの両立や、人生において大切にされていることはありますか?

-加藤-
私が社長を目指した大きなきっかけの一つに、EOへの入会がありました。入社した2007年頃から、ずっと先輩方から「あのEOは凄い場所だ」と聞かされてきた、憧れの場所だったんです。

そこで学んだのは、経営のノウハウだけではありません。もっと根源的な人生観のようなものです。「人はいつか死ぬ」という現実と向き合ったとき、自分は最期をどう迎えたいか。仲間と深く語る機会がよくあります。

私の理想は、死ぬときに「あの当時は本当に頑張ったよね」と思い出を振り返り語り合える仲間が、周りにたくさんいてくれること。そして「ありがとうの輪」を広げていくことが、今の私の生きる指針になっています。

また、プライベートでは19歳の時に知り合った妻と今でも仲が良く、今年で共に歩んで30年目になります。家族が円満であることは、私の大きな支えです。

私生活は、順風満帆だったわけではありません。41歳のときに癌を患い、その後100万人に1人と言う病気を併発しました。先日「もう薬を飲まなくていい」とお医者さんに言われて、やっと病気との戦いが落ち着き、少し安堵しました。この経験があるからこそ、家族と仲間の大切さが身に沁みてわかるようになりました。

病気になり自分の弱さを知ったことで、本当の意味で「誠実、謙虚、感謝」という言葉が自分の中で一つに繋がった気がします。これからは、自分が支えてもらったように、今度は自分が誰かの支えになれるような、そんな人間でありたいです。

◆「ベンチャーエコシステムの実現」に向けて

-杉原-
D-POPS GROUPでは、「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしていますが、その目標に共感する部分はどんなところですか?共にベンチャーエコシステム作りを目指す上での意識や活動などはありますか?

-加藤-
実は、20年前の入社面接の際、後藤代表が3時間にわたって熱く語ってくれたのがデパートの構想でした。同じ建物の中にカフェがあり、携帯ショップがあり、香水ショップがある。それらが相乗効果を生んで顧客満足を作れたら最高だよね、という内容でした。

当時の内容は形こそ違いますが、それが今私たちが目指しているベンチャーエコシステムの原型だと思っています。

20年経ち、ビジネスモデルは変わりましたが、「人に喜びと輝きを提供する」という根底の想いは全く変わっていません。昔は自分たちが食べていくための仕事プラスアルファという感覚でしたが、今は教育支援など、より広い社会へ影響を及ぼせるほど遠心力がついてきた。その進化を肌で感じています。

-杉原-
そのエコシステムをより強固なものにするために、加藤さんが日々意識していることは何でしょうか。

-加藤-
これまで約5年おきに、決まって適度な「逆境」がやってきました(笑)。どんな追い風、向かい風が吹こうとも、私が意識しているのは、「持ち場を守れ」「常に挑戦」「3倍速成長」ずっと以前から掲げられてきたこの3つです。

私たちの社名(D-POPS GROUP:Dream-Produce One’s Pleasure and Shining)にある喜びや輝きは、現状維持では決して生まれません。自分たちに心地よいストレッチをかけ、ありえないような高い目標にみんなで挑んでいく。その挑戦のプロセスこそが、3倍速の成長を生み、結果として誰かの喜びや自分たちの輝きに繋がっていく。

これを回し続けることが、私にとってのエコシステム作りそのものだと思っています。

◆5年後の理想の姿

-杉原-
加藤社長、そしてフェイスフル社の「5年後の理想の姿」を教えてください。

-加藤-
「D-POPS GROUPの中で、ダイレクトマーケティングといえばフェイスフル(URIZO)」と誰もが想起するような状態に持っていきたいですね。

私はこれまで、入社から10年弱は「財務戦略」を、その後の期間は「M&A戦略」を担ってきました。ここに「マーケティング戦略」という3本目の柱をしっかりと確立できれば、グループの基盤として大きな貢献ができると考えています。過去に作った仕組みを次に引き継いだ人がブラッシュアップし、より強固なものにしていく。そんな理想を描いています。

-杉原-
新しく加わったURIZOというサービスは、今後の鍵になるのでしょうか。

-加藤-
はい、鍵と思われるようにしていきたいです。2024年、上場企業の子会社を譲り受けての事業ですが、グループ全体のマーケティング戦略において極めて重要な役割を担うと考えています。今はまだ種の段階ですが、これをいち早く大きな芽に育て上げることが私の今の使命です。

-杉原-
AIが普及する中で、マーケティングのあり方も変わってきています。今後の課題をどう捉えていますか?

-加藤-
今はAIを使えば誰でも簡単に一次情報を入手し、マーケティング施策を打てる時代です。だからこそ、AIには真似できない差別化が不可欠です。

実は、そこにはかつての携帯電話と同じようなリテラシーの差があると感じています。デジタルが普及すればするほど、あえてお手紙のようなアナログなマーケティングが再び注目されたり、AI任せではない人の気持ちが乗った提案が価値を持ったりします。最新のツールと、人間ならではの工夫や熱量。この二つをどう掛け算していけるかが、これからの勝負だと思っています。

-杉原-
最後に、この記事を読んでいる方々へメッセージをお願いします。

-加藤-
これまでの経験を振り返ると、成功よりも大きな失敗の方が強く印象に残っています。それでも、失敗の中から学び、そして再びチャンスをもらい、何とか形にして、みんなが喜んでくれるものをいくつか作ってこれた。私にとってこのグループのステージは、何度でも挑戦させてくれる「フェアチャンス」と「リチャレンジ」の場です。
これからも失敗を恐れずに挑戦し続け、グループの中に新しい楽しさや価値を作っていきたい。もし、この記事を読んで私たちのエコシステムに共感してくれる仲間が増えてくれたら、これほど嬉しいことはありません。一緒に、世界が変わるような楽しい挑戦をしていきましょう。

☆インタビューアー
D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太

 

【株式会社ディ・ポップスグループ】
常務執行役員 経営企画室室長 加藤 貴博

【株式会社フェイスフル】
代表者:(共同)代表取締役 加藤 貴博

所在地:東京都渋⾕区渋⾕2-21-1 渋⾕ヒカリエ32階

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—近藤—これは本当にお客様に育ててもらった、という感覚が強いです。僕はどちらかというとすぐに振り切るタイプなのですが、あえて自分から意識したというよりは、お客様からのヒアリングに近い形でブランドが育っていった気がします。今でこそ大阪で1番と言っていただけるようになりましたが、それまでは「麺助」の名前だけでは通じなかったこともありましたし、逆にラーメングランプリのようなイベントに出て、評価が割れてしまい、1位を他店に譲るということもありました。 それが良かったのか悪かったのか、正直今でもわからないままここまで来ましたが、明確に「この店舗の目的は何か」ということを意識し始めてからは、しっかりとブランド作りの一環になっていったのかなと思います。 ただ、正直に言うと運の要素もかなり大きいと思っていて、狙ったからといってブランディングができるかというと、必ずしもそうではありません。インフルエンサーを使えばできるかというと、そういうものでもない。 やはり「共感」というキーワードが重要で、ブランドというのは実はとてもあやふやなものだと思っています。原価率が高い商品でも、それがいいものだと信じてもらえなければ、100円の価値になりますし、逆に1万円の価値があると思っていただければ原材料費が10パーセント以下でも超高級ブランドになる事もある。それくらいあやふやなものだからこそ、理解してもらい共感してもらい、思いをきちんと広げていく、つなげていくということが一番大切な事なのだと思い努力しつづけます。 —杉原—最初からブランド戦略ありきでこの店を作ったのではなく、だんだんと醸成されていったということですね。味の話でもありましたが、最初から完成していたのではなく、じわじわとフィードバックを取り入れながら、お客様と一緒に作り上げてきたと。 —近藤—もちろん最初から緻密に設計できる方もいらっしゃるとは思いますが、僕の場合は、お客様に合わせて合わせていった結果、今の形になったという感覚が強いです。似た店名のお店やコンセプトがやたら似ているお店が出てきたりもしていて、これだけ順調にやらせていただいている分、他店舗のランドマークのような存在にもなりやすいのだと思います。だからこそ、より明確に、より他が追いつけないところにたどり着かなければならないと思って、この数年やってきました。その結果として、思いがけない方々に応援していただけたりするのですが、それは結局のところ、もがき苦しんでいた間に沢山の方々に可愛がっていただいた結果でしかないと思っています。 ◆ 麻布台ヒルズポップアップと”幻の鶏”高坂鶏との出会い —杉原—続いて、麻布台ヒルズで6月に特別ポップアップストアを開催されましたね。私も伺わせていただいて、高坂鶏を使った究極のスープを使ったラーメンを提供していただきました。まずお伺いしたいのですが、こうしたスペシャルなポップアップストアの活動は、大阪以外では初めてだったのでしょうか。また、こうした挑戦は今後も続けていかれるのでしょうか? —近藤—僕が面白いと思えるかどうかが、活動の軸になっています。面白いと思わせてくれる場所であれば、積極的にやっていきたいと思っています。 高坂鶏という食材自体が今、非常に注目されている食材なので、それを使わせていただけているということ自体が本当にありがたいです。高坂さんという生産者の方が、僕のことを認めてくださって「メインで使っていい」と言ってくださっているのは、本当にありがたい話だと思っています。 —杉原—その高坂鶏は、焼き鳥店でもなかなか仕入れさせてもらえないほど貴重だと伺っています。近藤社長は、なぜ仕入れることができたのでしょうか? —近藤—本当にたまたま、知り合いの焼き鳥店に紹介していただいたのがきっかけです。僕はもともと何にでも興味を持つ性格で、高坂鶏のガラがあるなら使ってみたいと思って、骨だけ分けていただいて使い始めました。 ところが最初は全然美味しくならなくて。焼き鳥でいただいた時は間違いなく美味しいとわかっていたのに、スープにすると全く違う結果になってしまって、なぜだろうとずっと考えていました。素材が良ければすぐに美味しくなるだろうと思っていたのですが、実際は全然そうではありませんでした。そのことを周囲に話していたら、それがたまたま高坂さんの耳にも入ったようで。 そこから1か月、2か月、3か月と、かなり長い期間、試行錯誤を重ねました。最終的には、見た目は出汁を取っているような色をしているのに、すっと体に入っていってもたれないスープが完成しました。シンプルに考えると、肉と油のバランスをしっかり整えてあげることが、美味しさの本質だったんです。そこを高坂さんに理解してもらい、認めてもらう結果となりました。 —杉原—その分解の作業を経て、今では高坂さんとの仕入れの関係もしっかり築かれているわけですね。ベンチャー企業あるあるで、「あの人に助けられた」「あの方との出会いが転機だった」という話をよく伺いますが、人との出会いというのは本当に大きいですね。 —近藤—本当にそうだと思います。人間が変わるタイミングというのは、人と出会った時にしかないと、僕は師匠から教わりました。自分1人で「明日から変わろう」と思っても、なかなか変われないものです。それくらい人間は弱いものですが、変わる瞬間というのは、強烈な人との出会いがターニングポイントになることが多くて、僕自身の人生も、いくつもの交差点でそういうターニングポイントがありました。 ☆インタビューアーD-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【麦と麺助】オーナー:近藤佑介所在地:大阪府大阪市北区豊崎3-4-12開業:2018年5月19日(2016年4月、姉妹店「燃えよ麺助」を大阪・福島にオープン)姉妹店:燃えよ麺助(大阪・福島)、なにわ麺次郎各店舗(大阪・難波&梅田) Part3では、 ・ラーメンという日本食の国際展開の可能性・ブランドを活かした他業界とのコラボレーション・飲食店経営で1番大切にすべきこと・D-POPS GROUPが目指すベンチャーエコシステムへの共感・読者の皆様へのメッセージ などについて伺っています。Part3もお楽しみに!
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2026.09.15
行列の絶えないラーメン職人が語る、繁盛店が育つ土壌のつくり方|ミシュランガイド7年連続選出「麦と麺助」近藤佑介氏インタビュー~Part1~
【このパートについて】 全3回にわたるインタビューの第1回となるPart1では、大阪・中津の行列店「麦と麺助」が7年連続でミシュランガイドのビブグルマンに選出された率直な感想、近藤佑介氏がラーメン店を始めるまでの遠回りの道のり、看板メニューであるホロホロ鳥のスープに込められたこだわり、そして味を完成させるまでに重ねてきた試行錯誤についてお聞きしました。(このインタビューは2026年7月に実施しました。) ◆ 7年連続「ビブグルマン」— 率直な喜びと海外からの支持の広がり —杉原— 本日は、2020年から2026年まで7年連続でミシュランガイドのビブグルマンに掲載されているラーメン店「麦と麺助」を経営されるオーナー、近藤佑介様にお話を伺います。 まず最初に伺いたいのですが、経営されている大阪・中津の行列の絶えないお店「麦と麺助」、この春、2026年版のミシュランガイドでもまたビブグルマンに選出されましたね。これで7年連続とのことで、おめでとうございます。率直な感想をいただけますか? —近藤— まずはほっとした、というのが正直なところです。ミシュランの評価というのは、来てくださっているお客様への評価のおまけのご褒美のようなものだと思っていて、応援してくださっている方、何時間も並んでくださる方に対して、良かったなという気持ちが1番大きいです。 —杉原— 「麦と麺助」は、行列がすごいですよね。 —近藤— ちょっとやりすぎだなと思うくらいです。シーズン的なものもかなりありますが、本当にありがたく、自分が想像していたところを超えて待っていただいている状況です。 —杉原— 驚くのが、日本人にとってはお店に並んで食べるのはもう当たり前の感覚ですが、拝見していると3分の1くらいは台湾や香港など、海外のお客様に見えます。 —近藤— これもありがたい話で、海外の方に「このお店は韓国で1番有名ですよ」と言われたり、先日もタイのYouTuberの方が知らないうちに紹介してくださっていて、それをきっかけにタイの方が一気に増えたりと、僕の知らないところで勝手に広がっていっているという感覚があります。 中津にある『麦と麺助』 —杉原— ミシュランの星を、まるで世界遺産巡りのように追いかけている方もいますよね。それはそれで素晴らしいことですが、本当にラーメンの味がわかっているのかなと日本人としては思ってしまう部分もあって、インフルエンサーの方が「これはおいしい」と発信してくれているのかもしれません。 —近藤— 東京の醤油文化のラーメンは、醤油の香りがしっかり立っているものが美味しいとされていて、外国の方にとってはその塩気の強さが少しとっつきにくいところがあるようです。 一方で、世界の方にとっては関西の出汁醤油の方が美味しいと感じてもらいやすいのではないかと思っています。塩のエッジを強く感じさせすぎないように作っているので、それが海外の方にも受け入れやすいのかなと感じています。 もっと本質的な、根本的なところで言うと、人間はカロリーが高いもの、油分や糖分が多いものを美味しいと感じる生き物だと思うんです。極端な話、10キロカロリーのチーズと500キロカロリーのチーズなら、後者の方を美味しいと感じるように。 そう考えていくと、味覚というのはルーツの違いこそあれ、根本的にはそこまで大きく変わらないのかもしれないと思っています。もちろん、パクチーのように僕らが普段使わない食材は受け入れにくいということはありますが、基本的には素直によい食材の旨味を重ねて、油分を加えていくことで、多くの人に美味しいと感じてもらえるのだと思います。 ◆ 「手に職」から始まった、遠回りだらけのキャリア —杉原— では次の質問に移らせていただきます。「麦と麺助」はミシュランの常連店であり、姉妹店の「燃えよ麺助」も食べログ百名店に9年連続で選出されています。ラーメン界の巨匠と伺ったこともあります。近藤社長はいつ頃、どのような理由や経緯でラーメン店を始めることになったのでしょうか? —近藤— 僕の人生は、決して順風満帆な人生ではなくて、どちらかというと遠回りの多い人生だったと思います。大学を卒業したあと、まずは会計士を目指していました。 朝から晩まで勉強して、2年ほど真剣に取り組んだのですが、全く試験に通らなくて。もともと会計士を目指した理由も、これがやりたいというよりは手に職をつけたいという程度の動機だったのですが、それでも「頑張ればできる」とどこかで自分を信じていたところがあったんです。それが全く通らないとなって、これはまずいぞと思っていた時に、たまたま同い年でホテルのイタリアンで6、7年働いていた友人が独立したいと言い出して、「前に会計や簿記をやっていたから、経理ができるだろう」と誘われました。実際にはできないんですが、「そこだけ手伝ってほしい」と言われて、飲食業界に足を踏み入れることになりました。 飲食の道に携わることになったのは、シェフとしてではなかったのですが、それが意外と面白かったんです。飲食業は、その人が作った料理を提供して「美味しい」と言ってもらえる、サービスとしての面白さがありました。もちろん最初は、立っているだけなのに偉そうだとお客様に言われることもあって、悔しい思いもしましたが、そこから飲食をやりたいという気持ちが芽生えていきました。 ただ、そこから1年半ほど経った頃、そのシェフに子供ができて、実家が福井のお寺だったこともあり、「跡を継ぐために帰る」と言われてしまったんです。お店をそのまま譲るからと言われたのですが、正直、退去費用の心配の方が先に立ってしまって、どうしようと悩みました。結局レトルトのような簡易な形でお店を続けようとしたのですが、お客様が離れていってしまって、これはだめだと痛感しました。 その後たまたま見つかったのが和食のお店で、そこで働かせてもらうことになりました。さらにその時に知り合った社長さんから「経理ができるなら、経理だけやりなさい」と言われて、3年ほど経理担当としてサラリーマン生活を送っていました。30歳の時に、このままでは40歳になった時に後悔すると思い、「自分は何が好きなんだろう」と自問した結果、出てきたのがフットサルとラーメンでした。 ラーメン屋をやったら何とかなるかもしれないと思ったのですが、実は自分でラーメンを作ったことは一度もなかったんです。イタリアンのレストランでも、料理はほぼ作っていませんでしたから。ただその少しだけ手伝わせてもらった経験が本当に面白かった。それで、30歳の時に「よし、これをやってやろう!」と決めて退職しました。 親からしたらたまったものではなかったと思います。せっかくまともに働き出したと思ったら、辞めてラーメンをやると言い出したので。母は何でもやったらいいという性格でしたが、父は「大学まで行かせて何を言っているんだ」という反応でした。それでも、すでに引っ越しの手配まで済ませてから話をするような形で、なかば強行突破のように独立の道を歩み始めました。 ラーメンをやると決めてから、当時大阪で1番と言われていたお店に履歴書を1枚だけ持って「働かせてください」とお願いに行きました。「変わったやつだな」と言われながらも受け入れていただいて、そこで4年間修行させてもらいました。いまでも感謝してます。 最後の1年ほどは、僕を応援してくださるお客様も増えていて、ある意味プレ営業のような状態になっていました。結果として、その流れをそのまま引き継がせていただく形で独立することができました。 修行時代の最後の2年間は、本部のマネージャー的な仕事も任せてもらっていて、スーパーバイザーのような業務や、売上をどう伸ばすかという経営視点の仕事も経験させてもらいました。たまたま経理の勉強を会計士のために没頭していただけのつもりが、簿記の考え方や会計学は自分を物凄く助けてくれました。結果としてすべてが今につながっているという感覚があります。 —杉原— ラーメン作りだけでなく、経営という面での修行もそこでされていたわけですね。 —近藤— 当時は、そんなつもりで学んでいたわけではなかったのですが、振り返るとそれが今、しっかり生きています。 —杉原— サラリーマンから起業した経営者の方にも、最初は会社員として働いていて、そこでの経験の点と点がつながって今があるんだと語る方が多くいらっしゃいます。近藤社長の場合も、一生懸命やっているうちに、それがすべてつながっていったんですね。 —近藤— 本当にそうです。一生懸命やっていました。特に本部での2年間は、絶対に戻りたくないと思うくらい大変でした。朝8時前に出勤して、夜12時前に帰る生活を続けていて、正直、自分に才能があるとは思えないような日々でしたが、やりきろうと思っているうちに独立できるところまでたどり着きました。 ◆ ラーメンの「枠のギリギリ」を攻める — ホロホロ鳥という差別化戦略 —杉原— では、ラーメンそのもののお話に移らせてください。ラーメン好きの読者の方も多いと思うので伺いますが、「麦と麺助」で提供される看板ラーメンは、フランス料理などでお馴染みのホロホロ鳥を材料として作られたスープが最大の特徴だと伺っています。私もいただいたことがありますが、珍しくスープを飲み干せるラーメンでした。このホロホロ鳥という食材は、味わいを作るうえでやはり重要な存在なのでしょうか? —近藤— はい、重要な食材です。福島の「燃えよ麺助」が鴨で、「麦と麺助」がホロホロ鳥というように、それぞれのお店で使う食材を変えています。最初から差別化というところは強く意識していて、単に「美味しいラーメンを作りました、いい食材をたくさん使っています」と言われても、僕がお客さんの立場だったら正直あまり惹かれないんです。 ラーメンという枠組みの中で、1番端っこにあるギリギリの食材は何だろうと考えていました。ラーメンの枠を超えてしまってはいけない、例えばワニ肉のようなものでは、多分誰も食べたいと思わない。日本人のルーツにある「美味しい」という感覚の延長線上にある食材を1つフィーチャーすることで差別化を図る、というのが、福島のお店で鴨を使った理由の1つでもあります。醤油、味噌、豚骨という分け方が一般的だった時代に、うちは鴨、しじみ、ホタテという素材そのものにフォーカスしたラーメン屋という位置づけを作ったつもりです。 —杉原— 1つのお店で情報を出しすぎない、というのもポイントなんですね。 —近藤— その素材にフィーチャーしたラーメン屋というのは、当時はあまりなかったと思います。もう1つ、僕自身が飽き性だという理由もあって、鴨のラーメンを福島でヒットさせたなら同じ路線を続けてもよかったのですが、それだと飽きてしまう。それで考えた結果、フランス料理のメインディッシュになるような食材は何だろうと調べていきホロホロ鳥という、正直よくわからない食材にたどり着きました。実際に食べてみたら美味しかったので、これでやってみようというノリで始めました。 —杉原— それはトッピングの肉やチャーシューとしてではなく、スープに使うべきだという発想だったのですか? —近藤— スープに使うのはもったいないという声もあるのですが、やはり全然違うんです。油の軽さやコクの深さが、一般的な鶏とは少しずつ違っていて、スープに突き詰めて使うことで他のお店とは全く違うものになるのではないかと考えました。 ホロホロ鳥の丸鶏そのままを、肉から全てスープに使うというのは、おそらく今でもうちくらいしかやっていないと思います。コストが合わないからです。 また、ちゃんとルーツもある食材で、もっと遡ると『雉肉』は平安時代あたりから貴族の贅沢品として食べられていたようです。豊臣秀吉が鴨を好んでいたという説から「鴨難波」という言葉が生まれたという由来もあるくらいで、日本人と鴨・雉のような食材には、意外と深いつながりがあるのだと思います。 ◆ 「完成」はいらない — 現場の反応から生まれる改善 —杉原— この究極のラーメンというのは、完成してから提供を始めたのか、それとも日々お客様に提供する中で、だんだん今の味に近づいていったのか、どちらだったのでしょうか? —近藤— 完全に後者です。ある程度美味しいものができた段階でスタートして、僕はお客様の反応を見ながら味を寄せていくタイプなので、現場の顔を見ながら「こちらの方が良かったかもしれない」というのを選び取っていく形です。何回リメイクしたか数えきれないほどで、100や500では全然きかないくらいリメイクを重ねています。 お塩の量を考えるとわかりやすいのですが、実は塩の種類を変えただけでも、同じグラム数なのにミネラル分の違いでまろやかさが変わったりします。そういう繊細な違いを、日本人のお客様は特に感じやすいので、さらに美味しくなるように日々試行錯誤を重ねています。 —杉原— それはお客様に直接聞くというより、表情を見て判断するのですか? —近藤— もちろん直接聞くこともありますし、食べてくださっている様子を見ることもあります。結果として、そのラーメンが美味しいから偉いのではなく、お客様に求められているから価値がある。求められる数が増えれば増えるほど、需要が大きくなっていくというのが基本だと思っています。 —杉原— これは特にベンチャーステージの企業とすごく重なる話です。走りながらプロダクトを提供して、フィードバックを得て、また改善するということの繰り返しで、軌道に乗るまで、狙ったお客様に深く浸透するまでの間、何度もトライアンドエラーを重ねるという話がありますが、ラーメン店もまさにそうなんですね。 —近藤— ラーメン店に限らず、あらゆるビジネスに共通することだと僕は思っています。美容師であっても、アプリを作る会社であっても、ラーメン屋であっても本質的には一緒で、基本的には需要が発生する形にどう持っていけるかが重要だと思います。 実際、面白いデータがあって、有名レストラン出身のシェフが独立した場合、味は間違いなく美味しいので、成功率で言うと9割くらいありそうですが、実際には4割ほどが数年で失敗してしまうというものがあります。それだけ味以外のビジネスの部分に目を向けていないと、味だけが完成していてもうまくいかないという、わかりやすい事例だと思います。求められているものを置いておきつつ、それ以外の部分は環境に合わせてどんどん変えていく方が、結果的に生き残っていく。自分のやりたいことを押し通すスタイルはやはり長続きしないのだと思います。 もちろん、語れるだけの知識や技術の裏付けは必要ですが、メインはあくまでお客様が求めるものを作っていく、自分のお客様ならこれを食べたいだろうというものを作っていく、というのがベースにあります。 ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【麦と麺助】 オーナー:近藤佑介 所在地:大阪府大阪市北区豊崎3-4-12 開業:2018年5月19日(2016年4月、姉妹店「燃えよ麺助」を大阪・福島にオープン) 姉妹店:燃えよ麺助(大阪・福島)、なにわ麺次郎各店舗(大阪・難波&梅田) Part2では、 ・一流の料理人から学ぶという姿勢 ・行列店ならではの経営とコストのリアル ・多店舗経営とブランドの育て方 ・麻布台ヒルズのポップアップストアと希少な高坂鶏との出会い などについて伺っています。Part2もお楽しみに!
  • INTERVIEW
2026.09.10
大手企業との信頼を積み重ね続けるopzt赤松文則社長に聞く、人が育つ人材派遣ビジネスのつくり方【Part2】
【このパートについて】 全2回にわたるインタビューの最終回となるPart2では、赤松社長のバンドマン時代の経験や起業のきっかけ、組織づくりへのこだわり、大病をきっかけに立ち上げたエンタメ事業、そしてディ・ポップスグループへのM&Aの経緯やベンチャーエコシステムへの共感、5年後のビジョン、読者へのメッセージについてお聞きしました。(このインタビューは2026年8月に実施しました。) ◆ 「バンドマン時代」の経験が経営に活きている —杉原— 事業の話から少し離れて、社長のキャラクターを深掘りさせていただきたいと思います。元はバンドマンだったという話を聞いたことがあるんですが、本当ですか? —赤松— はい、本当です。若い頃はベースを弾いていて、会社経営とは全く違う世界にいたんですが、バンドも一人だけ上手ではチームとしてまとまらないので、結構会社経営と似ている部分もあるのかなと思います。 それぞれ個性もありますし、能力もあります。でも、一つのステージを作るという意味では、会社経営も一緒なのかなと。 —杉原— チームワークやバランス感覚を、音楽の分野で長く経験されていたんですね。その頃のバンドマンとしての経験は、社長業に役立っていますか? —赤松— そうですね、わからないですけどね。ライブでお客さんの反応を見ながら、相手が何を求めているかを感じ取る、という感覚は活きているかもしれません。 —杉原— 確かに。大手企業と取引をするには、空気を読めないと無理ですものね。 ◆ 「納得できる会社をつくる」――opzt創業の原点 —杉原— 最初に少し触れていただきましたが、改めてお聞かせください。opztを起業したきっかけと、創業から13年間を振り返った今のご感想をお聞かせください。 —赤松— 元々の起業のきっかけは、大きな会社、大企業を作りたいという計画があったというよりは、自分自身の責任で事業をやって、自分たちが本当に納得できる会社を作りたいという、割と志が低めの起業ではあるんです。壮大なビジョンはありませんでした。 本当に20年ぐらい前の人材業界は、超がつくブラック企業が多く、その中で働きながら、もっと働く人を大切にしたらいいのではないか、お客様にももっとクイックに柔軟に対応できる会社ができるのではないかと、ふつふつと感じる部分があったので、2013年に創業したというのが元々の経緯になります。 この13年を振り返ると、本当に会社の売上や規模以上に、人とのご縁でなんとかここまで来られたという感覚が大きいですね。 —杉原— 壮大な大企業を作るというより、具体的な計画がないまま起業してうまくいかない社長もいる中で、本当に理想の職場をみんなに提供したいという思いと経験から始まっているというのは、素晴らしいですね。 私自身、以前勤めていたシステム会社にエンジニアになるつもりで入ったのに、結局昔は派遣業だったんです。自分の上司なんて半年に1回ぐらいしか顔を出してくれなくて、派遣先の工場でずっと仕事をしていたんですが、あの頃は単価としてしか見られていなかったんです。現場ではすごく評価されていても、給料には全然反映されない。そんな時代でしたよね。結局、3年で辞めてしまいました。(笑) —赤松— 本当にそうです。僕らも、派遣スタッフに有給を取らせるなとか、人が足りなければ道端で声をかけてこいとか、そういう時代でした。 数字だけで見られて、もっと残業させろとか言われて。無茶苦茶な時代でしたね、本当に。 —杉原— それに関連するんですが、創業時、創業間もない頃から社員になっている方が長く続けられている印象があります。組織作りや会社運営の面で、人に関してこだわりや心がけていることがあればお聞きしたいです。 —赤松— 本当に、単純に感謝しかないというか、長く働いてくれる社員が多いので、本当にありがたいなと思っています。 大切にしているのは、社員を単なる役職や数字だけで見ないということです。人それぞれ得意なこと不得意なことがありますし、営業が得意な人もいれば、管理が得意な人もいます。同じ型にはめるのではなく、それぞれが活躍できる役割を作ることを意識しています。 また、創業メンバーだけで意思決定するのではなく、新しく入った人にもきちんと機会を与えて、次の経営人材や責任者を育てていきたいという思いがあります。そういった昔ながらの良さを残しつつ、属人的ではなく、仕組みで動く組織に変えていくということを意識してやっています。 ◆ 拠点を管理せず、経営者を育てる――複数拠点のマネジメント哲学 —杉原— 私自身、渋谷ヒカリエに拠点を置く東京のopztチームの皆さんとよくお会いします。東京のopztチームの皆さんは、社長がいらっしゃらなくても本当に真面目に、和気あいあいと、真剣さもありながら冗談を言い合いながら明るく雰囲気よく仕事を回されているんですよね。先ほどお話にあった名古屋、四国、九州と点在しているオフィスの中で、スタッフや社員の方々がどうしてそんなに自主自立してしっかりと仕事をされているんでしょうか? —赤松— そうですね、各拠点を細かく管理しすぎないというのが、実はキーになっています。地域によってお客様や採用のマーケットもまったく違うので、本社の成功パターンをそのまま押し付けてもうまくいかないというのが過去にありました。 東京のチームが自走できているのも、現地のメンバーが自分で考えて意思決定し、結果にコミットしてくれているというのが大きいと思っています。拠点を管理するというよりは、拠点の経営者を育てる感覚に近いですね。 —杉原— 凄いですね。みんな本当に自分が経営者だという雰囲気で、東京の成績を上げるんだと動いているんですね。 ◆ 大病が教えてくれたこと――エンタメ事業「SELEBRO」誕生の背景 —杉原— 話は変わりまして、赤松社長はopztとは別にエンタメ系の事業をされているとのこと。こちらはopztの後に立ち上げられたんですよね、「SELEBRO」という会社ですね? —赤松— そうですね。今、「SELEBRO」という会社で、ライブハウスやナイトクラブ、アーティストのマネジメント、音楽フェスなどのイベントの企画を行っています。 ビジネスモデルとしては、本当にがっつりエンタメとテクノロジーを合わせたような、エンタメテックのような事業もやっています。opztとは別で、本社も大阪でここではないんですが、元々私自身が音楽やエンタメが好きだったというのもありますし、きっかけとしては、僕自身が脳動脈解離という病気になって入院したことが大きいです。 2018年の12月にディ・ポップスグループにジョインをして、その半年ほど後、2019年の6月か7月頃です。本当に突然のことで、病院に行ったらすぐに入院してくださいと言われて。本当に深刻な状況で、もう明日死ぬかもしれない状態で1ヶ月過ごしました。 そこで人生観が180度変わったというのが大きいです。それまでは自分自身の未来はまだまだあって、根拠もなく80歳、90歳ぐらいまで生きて死ぬんだろうと勝手に思っていたんですが、それがひっくり返って。音楽もいつか将来、長い人生のどこかのタイミングでチャレンジできたらいいなと漠然と考えていたんですが、病気を経験してから、いつかではなく、いつ来るかわからないので、人生の最後にあれをやっておけばよかったという後悔だけはしたくないと思うようになりました。 そういう心持ちでいると、昔の音楽の縁や、すごくいい場所ができたりと、引き寄せのようにどんどんそういう巡り合わせがあって、これはもうやるしかないなと思いました。代表の後藤さんにもちゃんと話をして、「こういうことをやりたいんです」と伝えました。ただし、「opztもちゃんとやるならいいよ。」ということで、中途半端にはやってほしくないという話をいただきました。 ちなみに病気は治りました。結局、手術には至らず、その後は回復して、今は健康に過ごせています。 今は第二の人生を生きている感覚があります。やりたいことを「いつか」に先送りしないようになりました。 いつ死ぬかわからないので。 ◆ 会社の個性を尊重してくれた――D-POPS GROUPを選んだ理由 —杉原— 病気のことまでお話いただいてありがとうございます。大変なご経験をされたんですね。2018年にM&AでD-POPS GROUPにジョインしていただきましたが、その経緯や、いくつもオファーがあったと思う中で、ディ・ポップスグループを選んでいただいた理由をお聞かせいただけますか? —赤松— 当時、会社は5年目ぐらいで、10億円にいくかいかないかぐらいの規模感だったんですが、一定の規模まで成長していく中で、次のフェーズに進むためには自分たちだけでは持てない経営資源や知見が必要だと思うようになったのが、最初のスタートでした。 順調に成長していたので、いろいろな企業からお話をいただいたんですが、単純に会社を買収するという考え方ではなく、経営者である私自身や会社の個性をしっかり残しながら一緒に成長していくという、D-POPS GROUPの考え方と、後藤さんの人柄に魅力を感じたというのが理由です。 M&Aをした仲間も多いんですが、結局グループ入りした後に経営方針が変わったり、創業経営者が経営から離れるケースも多々見てきたので、そういう意味でも、ディ・ポップスグループは引き続き私自身が経営をさせていただいていますし、opztの文化や強みを尊重しながら成長させてくれています。優しく見守ってくれているというのがすごくいいなと思っています。 本当に、条件面などではなく、誰と一緒に経営するか、グループ入りした後に社員が前向きに働けるかというところを重視して選んだという感じです。 —杉原— その時の期待通り、10億円ぐらいの規模だった会社は、この6年間で大きくなりましたよね。経営体制が変わらないまま、後藤社長やディ・ポップスグループの経営会議などからの学びは結構ありますか? —赤松— そうですね。本当にいろんな面で日々勉強させていただいていますし、今もメンターシップもいただいていて、日々勉強させてもらっている感じです。 ◆ 「グループから次々と経営者が生まれる」ベンチャーエコシステムへの共感 —杉原— 素晴らしいです。では最後に、「ベンチャーエコシステムの実現を目指す」をスローガンにしているディ・ポップスグループですが、この目標に共感する部分や、エコシステム作りを意識した活動などがあればご紹介ください。 —赤松— たくさんあるんですが、特に共感するのは、一社だけが成功するのではなく、グループ内から次々に経営者や新規事業が生まれていくという考え方です。 僕自身も創業経営者として、会社を大きくすることだけが目的ではなく、社員の中から次の事業責任者や経営者が生まれ、その人がまた新しい会社や事業を作っていく、そういう循環する環境を作りたいと思っています。 opztでも、各拠点に権限と裁量を与えて、小さな会社を経営する感覚で拠点運営をやってもらっています。その事業で生まれた人材や資金、信用を次の事業に循環させていくというところが、ベンチャーエコシステムにつながるのではないかと考えていて、そこにすごく共感しています。 —杉原— opztさん自身の中でも、エコシステムができているようなイメージですね。 —赤松— そうですね。規模はまだ小さいですが、通ずる部分があると思っています。 ◆ 5年後、人とテクノロジーで企業の成長を支える会社へ —杉原— 5年後のopztはどのような姿、あるいは具体的な目標があれば教えてください。 —赤松— 5年後は、先ほども出た通り、単純に人材を派遣するだけの会社ではなく、人とテクノロジーを組み合わせて企業の成長を支援していくような会社になりたいと思っています。引き続き派遣事業は大きな基盤でもあるので、しっかりここはやりつつ、AIやデータ、データセンター領域の比率をより高めていきながら、専門性と収益性の高い事業構造に変えていきたいと思っています。あとは、社員やスタッフがきちんと成長して、お客様から長く必要とされること、適正な利益を出しながら新しい事業に投資できるくらいの会社にしていきたいと思っています。 ◆ 読者へのメッセージ —杉原— では最後に、読者の方に一言、何でも結構ですのでお願いします。 —赤松— opzt自体はまだまだ未成熟な会社ですし、これからAIをはじめテクノロジーもすごいスピードで変化していくと思いますが、当社としても過去の成功にとらわれず、新しいことにチャレンジしたいと考えています。仕事を探している方がもしこの記事を見てくださる機会があれば、今の経験だけで自分の可能性を決めてほしくないなと思っています。今経験がなくても、学んで挑戦することで新しいキャリアを作ることができますし、企業の方が見てくださっている場合は、人材の紹介だけでなく、組織作りや業務の改善、新しい事業の挑戦についても一緒に考えられるパートナーでありたいと思っていますので、少しでも興味を持っていただけたら、お気軽にお声がけください。 —杉原— 素晴らしいです。ありがとうございました! ☆インタビューアー D-POPS GROUP アドバイザー 杉原 眼太 【opzt株式会社】 代表者:代表取締役 赤松 文則 所在地:大阪市中央区本町4-2-12 野村不動産御堂筋本町ビル5階 設 立:2013年9月10日 コーポレートサイト:https://opzt.net/ Part1はこちらからご覧ください!
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2026.09.03
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